前向きでやってます

前向きでやってます

主任司祭 豊島 治

(この原稿は入稿締め切り1時間前の6月27午前7時32分に書いています。掲載されている情報はその時点でのものです)

 四旬節から復活節に至る長い自粛期間を経て、制限をもってミサを一部公開で行うことの通達がでました。ただ、感染には波があるとも指摘され、完全に終息したわけではありませんから、未だ安全宣言が出ていないしばらくの間、ミサを捧げることの制約を守るための犠牲は継続しています。
 いのちを守るためとはいえ、普段の活動が制限され、自粛ばかりを求められていると、どうしても思考が内向きになってしまいます。内向きになった思いは、自分の心の世界を中心に展開しますから、ともすればとても利己的になり、さらには、普段であれば心の奥底に秘めているような思いや、常識が盾となって表に出さない感情までもあらわにしてしまうということは、大司教様もおっしゃっています。このストレスのはけ口を、大変な立場にいる人に向けてはいけません。じっくり神さまの計らいはどのような形を私に示して下さるのか、神さまの時間の使い方に思いを合わせていきたいと思います。

【ミサについて】
 他の小教区の情報を見てみますと、ある教会では、6月21日のミサは〇〇地区の人、29日は〇〇地区の人と地区ごとにして、ミサにあずかれるのは月に1、2回としています。奉仕者の手配もあるので各々小教区教会の状況はあるでしょう。
 でも私は、来られる人は毎週ミサをモットーに、委員の方に今回設定をお願いました。ミサに参加できる人は、ミサに赴けない人の思いも背負いながら、ミサの祈りをせねばなりません。郵送されているミサ案内を参照下さい。
 通達に、ミサに来ることのできる年齢制限がありますが、これは「いのちをまもる」、つまり「ミサに行きたい」という衝動を祈りにかえて、「私のいのち、神さまが与えてくれた私のいのち、神さまは私に、今どのような期待をなさっているのか、何ができるのか」について黙想することができるチャンスと考えて過ごしていただければと思います。(注:実際、およそ90歳の母にもそう言いました→怪訝な顔をされました→親子の間での福音宣教は難しいと感じることがあります。でもせねば。)
【インターネットに頼らざるを得ない状況、でも、、、、雑言も捨てきれない】
 コロナ感染症対策で脚光を浴びたのが、インターネットを使った対応です。日曜10時の大司教司式ミサ、14時頃の教皇ミサ、他の教区、教会でも実施され、居ながら多様なミサをそれで「閲覧」できる状態となりました。でもちょっと疲れたという声も聞こえてきます。「つまらない」という感情は、人との心の距離感から発せられるものですから、実況中継では補えません。
 Zoomやスカイプというインターネットから出る機能を使って会議を実施することが多くなりました。教会でも委員会や飲み会など、そうやって代わりに行うことも考えられたでしょう。でも「雑音」も大切です。インターネットを使った交流方法については、従来の会議室でのやり方と気持ちを切り替えなければなりません。機械を使った方法は、物理的距離を乗り越えて聞くには便利ですが、マイクの使い方にたけている人、声が大きい人、意志をもって発言したい人に、その場の流れが持っていかれることがあります。会議で起こる「雑音」「ひそひそ話」も実は重要で、思いもかけない呟きが、場を良い方向に持っていくことがよくあるからです。司会をする人のオンライン用トレーニングも必要です。私はしばらくそれらのツールは公的には使用せず、オンラインのミーティングのよい在り方を考えたいと思っています。
【多摩教会の運営について】
 多摩教会の組織運営は、数年前改訂された規約によって運営されていました。その規約の定着完了前に、この感染症がはやりました。この規約には、「ミサ公開中止」「会合の時間制限、年齢制限」の場合の対応案件は入っていません。基となる教会法典も、ほぼ記載がないのです。また、教区からくる通達もおよそ1週間単位で、月1回の司牧評議会スケジュールでは対応できなくなっています。そして、参加者の年齢制限、集会ごとに名簿を作って対応する作業や保管、会場の換気も限界があります。
 そこで、司牧評議会にあたる機能は、しばらく司牧評議会委員長による任命者での構成で行います。活動については、運営にあたる典礼、会計(集計は休み)、総務、営繕、受付、掃除のみです。さらに、今後の感染症による特別対応のため、教会家族委員会も機能し始める予定です(詳しくは後日)。
【祈りに頼りましょう】
 司祭修道者が神の御許に召されました。ニコラス神父様は福音宣教推進の中心でした。ネメシェギ神父様は多くの教えの著書を与え、シスター石川和子は聖歌の作曲で貢献されました。カルペンティール神父さまもそうです。病者のためにも祈っています。
 日々の事柄を祈りで受け止め、バランスをとって心を健全に保って過ごしましょう。