受洗への思い(受洗者記念文集)

マグダラのマリア・飛鳥(仮名)

 幼稚園から高校までの14年間、自分はカトリックの学校で過ごしました。
 幼稚園では「おいしいごちそう今日もまた、お与えくださる神様にみんなでお礼を申しましょう」という食前の歌が大好きでした。小学校では「右の肩には天使、左の肩には悪魔がいて、迷ったときは右の肩をたたいて天使に助けてもらいなさい」と教わりました。これは不思議なことですが、今でも思わずやってる自分がいます(笑)。
 5月はマリア様の月。良いことをすると百合の花のスタンプを押してもらえたっけ。友達とけんかしたり、先生に怒られたりしたときは、よくお御堂(みどう)に寄って、お祈りして「ごめんなさい」をして帰りました。人として生きるために大切な柱、道しるべがカトリックの教えだったように思います。

 中学校では卓球が大好きで、学校帰りには教会にあった卓球台でよく遊びました。そんなことがきっかけで、受験勉強が始まるまでの中学校3年間と高校1年までは、毎週日曜日にはミサに行くようになりました。「公教要理」の勉強にも通いながら、聖書を読んだり、知らない聖歌を教わるのがとても楽しかったことを覚えています。
 兄が小学校のときに洗礼を受けたので、よもや自分の受洗を両親が反対するなど思ってもいませんでした。「女は結婚するときに不利になる」ということが理由で、何回頼んでも結局許可はおりませんでした。一緒に講座を受けていた友達は、一人、また一人とみんな洗礼を受けることができました。当時、勉強部屋の本棚に小さな祭壇を作って、よくお祈りをしたものです。

 大学進学で東京で暮らすようになって、まったく教会に行くことはなくなりました。祈ることも忘れました。本当に長いこと、忘れていました。たくさんのつらいことがあってもお酒に酔うことや、なんやかんやですり抜けてこられたのですが、とうとう仕事人間だった私は、四面楚歌、どうにもこうにも、何をどう動けばよいのかわからず、立ち尽くすような困難に陥りました。娘の病気でした。まったく先の見通しが付かないまま、ただ体が動いているのみという日が何年も続きました。
 10年が過ぎようとする頃、通勤途中の車の中でマリア様に「助けてください」「助けてください」ただ、そればかり叫んでいる自分がいました。

 再び、祈りが帰ってきました。
 ちょうどその頃、高校の担任のシスターが「祈りはどこでもしていいのよ。神様はいつもあなたのそばにいらしゃいます。でも一度高円寺教会にいらっしゃい」と言われました。でもそれからも仕事や家族のことがあって、教会に行くことがないまま数年が過ぎました。
 ご縁があって多摩教会でミサに行きました。そのときに、神様の中で優しさに包まれるように溶けていく自分がいました。涙が止まらず、さらに、そばにはマリア様が寄り添っていてくださると感じることができました。そして、苦しんでいる大切な人のために祈ることも思い出しました。故郷にもどってきたような、祈りの時間が甦りました。
 晴佐久神父様の「大丈夫。もう大丈夫」とミサでおしゃった時も涙が止まりませんでした。今は天国におられる、担任のシスターが私に高円寺にいらっしゃいと言われたのは、この出会いだったのだと確信しました。

 あんなに夢に見た45年前の洗礼。真っ白なベール。すべてが新しくはじまりました。故郷、神様のもとで、また生まれることができました。
 感想?「うれしい! 天にも上る思い!」多摩教会の皆様とファミリーの仲間入りができて、本当にうれしいです。
 どうぞよろしくお願いします。