多摩教会との出会い(受洗者記念文集)

アーデルハイト 川島 悠紀(仮名)

 息子が小学校6年生の時、DV・児童虐待・不倫を繰り返す夫から逃げて、関西から2005年の10月17日に東京に来ました。

 関西にいた頃、簡単には別れてくれない夫。不倫とDV・児童虐待、夫の日常にも似た度重なる行為で心身ともに疲れ切り、うつ病になってしまい、精神科で処方される精神安定剤を多量に摂取していました。精神科の主治医に、「先生もっと薬をください。このままじゃ生きていけませんっ!!」 と診察のたび泣きつき、切迫した状況が続く中、デパス(精神安定剤)を多く処方してもらいました。それでも精神安定剤が足りず、近所の心療内科へも行って、またそこでも多くのデパスを処方してもらっていました。精神安定剤をかき集めてもかき集めても足りず、かき集めた精神安定剤を少なくない量のアルコール度数35%の酒で流し込み、その薬の効き目を増幅させることを繰り返ししていました。身も心もボロボロ・・・地獄でした。

 ネット友達のプロテスタントのTさん、同じくネット友達のWさん、お二人の尽力のおかげで関西から関東へ逃げ、DV・児童虐待の苦しみから解放されました。ですが、うつ病は治りません。東京へ来て最初の頃、懸命に職探しをし、ホームヘルパーの資格を取り就職したものの、薬をなくしてしまい、すぐパニック状態に陥り外出する事ができなくなり、「今日、仕事を休みます。もう行けないかもしれません」と早朝6時に泣きながら事業所長へ電話をした事を思い出します。その後療養のため休職、そして仕事を辞めてしまうことになりました。
 以降、家に引きこもり、死ぬことばかりを考えていました。死ぬことばかりを考えているのに、精神科の主治医は30錠が致死量のべゲタミンA(睡眠薬)を月60錠も通院のたびに処方してくれます。大事な息子をおいては死ねないと踏んだのでしょうが。それが意外にも私には幸いしていたのです。「いつだって死ねる」

 そんな中、一昨年の秋頃、ネット友達のプロテスタントのTさんから、2011年7月26日(火曜日)、サクラファミリアにての聖トマス大学 夏期神学講座の晴佐久先生の講義 『俗は聖の器』の動画を見るように勧められました。それ以降、もう食い入るように何度もその動画を見ました。何度も何度も見ました。本当に素晴らしかった。私が求めていた素敵な優しい言葉ばかりで埋め尽くされていました。それが私とカトリックとの初めての出会いでした。
 晴佐久先生の動画を見るうちに、ネット友達のTさんから、メトロ東池袋(自宅近く)から数駅先のメトロ市ヶ谷駅からすぐのところ、援助修道会で第三土曜日、晴佐久先生の「お帰りミサ」 があるからと、ミサの2日前に電話で強引に誘われ、引きずられるようにして生まれて初めてカトリックのミサに参加しました。いつも支えてくださったネット友達のTさんとリアルでお会いするのも初めてで感動しました。そして、憧れていた晴佐久先生に念願かないお会いすることができました。
 援助修道会の 「お帰りミサ」では、晴佐久先生のお話で今の状況・古傷などを思い出し、涙が止まることなく困ったこともあります。

 「おかえりミサ」に行くようになった数カ月後、東京へ来て数年後に出会った千葉に住むネット友達から始まった彼に、晴佐久先生の講義の動画を見て欲しいと頼みましたが、宗教嫌いの彼は、なかなかその動画を見てくれることはありませんでした。大げんかになり、別れるのどうのというようになって初めて、晴佐久先生の 『俗は聖の器』を見てくれました。それは感動の出会いで。
 それから間もなく、彼と私は連れ立って、晴佐久先生の「おかえりミサ」に行くことになりました。ところが彼は私よりも熱心にメモ帳に何かを書き留めながら、晴佐久先生の説教を真剣に聞いていました。
 それが一年近く続いた頃、多摩教会の「ここクリ」に連れて行ってくれると彼が約束してくれました。とんでもなく嬉しいクリスマスプレゼントでした。初めて多摩教会を訪れ、それはそれは天国のような時間が過ぎました。後、入門講座に初めて行った時、「どうしても洗礼が受けたいです」と申し出、代母さんを教会員の方に引き受けていただき、4月19日カトリック多摩教会で洗礼を受け、今に至ります。(^-^)

 ホームヘルパーをしている時に利用者様に言われました。「あなた、クリスチャンでしょ?? 私、病院の総婦長してたから人を見る目はあるのよ。(笑)」そう言われて何年経ったでしょうか。私は本物のクリスチャンになりました。もっともっと本物のクリスチャンになるように、皆さまのご指導のもと励みたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。