巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「岩 波 ホール」

岩 波 ホール

主任司祭 晴佐久 昌英

 岩波ホール。
 その名を聞いただけで、ある特別な感情が沸き起こってきます。ときめき、感謝、そして、敬意。およそ200席の、こじんまりとしたこの映画ホールで、私たちはどれだけ感動し、学ばされ、そして生きる力をもらったことか。靖国通り、神保町交差点角に立つ岩波神保町ビル10階は、映画ファンにとってはもはや、聖地にほかなりません。

 この聖地で最初に観た映画は、宮城まり子監督の「ねむの木の詩がきこえる」という、セミドキュメンタリー作品。1977年夏、ぼくが二十歳の時です。自閉症児の「やっちゃん」と、ねむの木学園の創始者である宮城まり子さんの交流に、心ふるえる感動を覚えました。人と人がつながること、それ以上に貴いことはなく、それこそがキリスト教のすべてだと直感した瞬間であり、自分自身の司祭召命においても大きな影響を受けた映画です。
 そして、何と言っても1979年の「木靴の樹」。エルマンノ・オルミ監督珠玉の名作であり、カンヌ国際映画祭のグランプリ受賞作品です。この映画からは、感動を超えた、聖霊体験ともいうべき影響を受けました。イタリア北部ロンバルディア地方の農夫たちの日常を淡々と描いたドキュメンタリータッチの作品ですが、そこには、目には見えない神のみ心と人間の信仰が、目に見えるごく普通の生活として、奇跡のごとく映っていたのです。素人だけを使った素朴な情景を、自然光だけで撮ったフィルムはあまりにも気高く、ああ、映画の本質は秘跡体験なんだ! と知ったのでした。
 その翌年神学校に入ってからは、なかなか映画も観に行けなくなりましたが、司祭になってからは堰を切ったように聖地巡礼を再開したものです。「TOMORROW/明日」、「八月の鯨」、「サラーム・ボンベイ!」、「コルチャック先生」、「ミシシッピー・マサラ」、「ジャック・ドゥミの少年期」、「森の中の淑女たち」、「山の郵便配達」、ケン・ローチの「大地と自由」、アンジェイ・ワイダの「聖週間」・・・ああ、書ききれない! なんというラインナップ、なんという幸福! 映画評論などを手掛けていたせいもあり、このころは年間100本は見ていましたが、ぼくにとっては、岩波ホールにかかる映画は、特別でした。

 岩波ホールは知る人ぞ知る「ミニシアター」の先駆けであり、日本で初めて定員制・完全入れ替え制を導入したホールです。予告篇のときに企業コマーシャルを流さないとか、一度公開日程を決めたらどんなに客が入らなくとも決して途中打ち切りをしないとか、ともかく映画を愛し、映画を愛する人を愛するという姿勢を徹底して打ち出した、まさに「ほんもの」を感じさせるホールなのです。
 上映される機会の少ない作品をていねいに選び、アジア・アフリカ・中南米の名作に目配りし、女性監督の作品も積極的に紹介することなども岩波ホールの特徴ですが、それらはすべて、創立以来の総支配人を務めてきた高野悦子さんの功績です。残念ながら高野さんは今年の早春亡くなりました。生前、ていねいなお手紙までいただいたことがあります。高野さん、「ある老女の物語」をかけてくれてありがとう! 東京国際映画祭で観て以来、いつかかるかと心待ちにしていたのに、何年たってもどこもかけてくれなかったのを、5年後についに公開してくれたのは、やっぱり岩波ホールでした。

 このたびその岩波ホールから、「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督の最新作「楽園からの旅人」上映後のトークショーに招かれて、観客の皆さんにお話しできたことが、ぼくにとってどれほどうれしく、誇らしいことであったか、ご理解いただけると思います。
 高野さんの後に支配人を引き継いだのは、岩波ホール前社長の長女、岩波律子さんですが、トークショー当日、岩波さんにお会いしたときに、真っ先にひとこと、申しあげました。「これは恩返しです」、と。
 実際、この日は期間中最高の入りになったことも恩返しでしたし、詰めかけた皆さんに福音を語ることができたことも、何よりの恩返しでした。客席には若い観客もいましたが、あれはかつてのぼくだと思いつつ、心こめてお話ししたのでした。

 「楽園からの旅人」10月4日金曜日まで。岩波ホールにて上映中です。


※:『楽園からの旅人』
 ・ 『楽園からの旅人』公式サイト : http://www.alcine-terran.com/rakuen/