巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

オアシス広場

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 多摩教会献堂10周年を迎えました。10年はあっという間と思う人も多いでしょうが、10年ひと昔でもあります。過ぎし10年の実りを心から感謝すると同時に、次の10年に向けて、10年前の熱い初心を思い起こしましょう。
 当時の献堂記念誌を開くと、教会委員長がこう書いています。「この聖堂に地域の人々と共に集い、黒光りするようになるまで使いましょう。聖堂は、使われることによって、はじめて生きている聖堂になります。大いに使い、床や、柱や、取っ手がすり減るくらい活用しましょう」。今回、10周年記念事業の一つとして床のすり減ったところを修理し、それはまさしくこの聖堂が生きているしるしと言えますが、それは「地域の人々と共に」であったかどうか。
 聖堂建設委員長は、こう書いています。「私たちはこの聖堂を建てる前に確認しました。この聖堂を宣教活動の拠点にしよう。地域社会のために開かれた聖堂にしよう。(中略)教会の目標は宣教活動です。聖堂建設を私たちの自己満足に終わらせないためにも」。今回、10周年記念事業のメイン事業として教会看板の設置も実現しましたが、それはまさしくこの聖堂が宣教の拠点として地域社会のために開かれていることのしるしとなるためです。
 主任司祭は、こう書いています。「神によってこの聖ヶ丘の地が選ばれ、しかも大聖年に鎌倉街道から一目で教会とわかる聖堂をお与えになったのは、『多くの人々に神の愛を宣べ伝えろ』という神の強いご意志による」。

 「カトリック多摩教会」という大きな看板を設置することを強く願った理由は、そのご意志をいっそう発展させていくためです。地域社会と言うなら、まずはそこにカトリック教会があることを認知してもらわなければ話が始まらないからです。
 初めて多摩教会を訪ねてきた一人のシスターが言うには、バスを降りて見回しても教会がわからず、鎌倉街道を歩いて来てちょうど教会の正面にあるトヨタの販売店で「この辺に教会ありませんか」尋ねたところ、店員はみな首をかしげるばかりで誰ひとり目の前の教会を知らなかった、と。一事が万事。これは放っておけないと思いました。そこにカトリック教会があると知らないということは、そこに天国の入り口があると知らないということですから。
 設置された看板をご覧になったでしょうか。もう、トヨタさんに知らないとは言わせません。大きな文字が遠くからでもよく見えて、誇らしい気持ちです。ぜひ、夜も見に来てください。文字が光るのです。わたしはうれしくて、毎晩うっとりと眺めています。つい先日などは、文字に光がともる瞬間を見ようと暮れなずむ橋の上で待ち構え、光った瞬間拍手しました。電気代が安く耐久性に優れたLED内蔵で、輝度抜群です。言うまでもなく、その輝きはキリストの光です。看板はただの名称の表示ではありません。「カトリック多摩教会」という光る文字は、「あなたに神の愛を伝えたい、私たちは本気です」という、意思表示なのです。
 さっき目の前の鎌倉街道の交通量を調べたら、5分で228台でした。おそらく一日3万台は通過しているでしょう。その多くは繰り返し通っているはずで、そのたびにチラリと看板を目にしては「ああ、あそこにカトリック教会があるな」「あそこにカトリック教会があるな」と、次第、次第に洗脳されていくのです。ふふふ。

 そんな人々がやがてふらりと教会前まで来たときのために、聖堂に向って左側のスペースにテーブルとベンチを並べ、大きな日よけパラソルを広げました。茶色い柄の上に緑の傘が開くとまるでヤシの木のようで、これぞ荒れ野のオアシス。その名も、「オアシス広場」と名づけました。日曜日はミサ後の歓談や軽食のテーブルとして活用していただきたいのですが、オアシスの本来の目的は、あくまでも旅人の歓待です。ある日、聖霊に導かれて通りかかった旅人に「どうぞひと休みしていってください。今、コーヒーをいれますから」と、みんなでもてなしましょう。おいしいコーヒーに一息ついたその旅人は、まだ知りません。自らの人生の旅路の真の目的地が、すぐ目の前の階段を上ったところにあることを。
「よろしかったら、聖堂をご案内しましょうか?」