巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

そういうことだよね

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大西 勇史神学生の助祭叙階式が、3月18日高円寺教会にて行われました。
 大西神学生は、私が高円寺教会の主任司祭だった時に、私が推薦して神学校に入学したので、出身教会は高円寺教会、召命の上での親代わりとなる推薦司祭は晴佐久神父ということになります。それで、叙階式では新助祭に助祭のストラと祭服を着せる役を仰せつかり、当日、今まさに助祭の秘跡を受けたばかりのわが子に祭服を着せることができました。上気した顔のわが子の祭服姿はふしぎにまぶしくて、なるほど親心というものはこういうものかと感無量でした。
 残念ながら、自分の助祭叙階式のときはだれが祭服を着せてくれたのか覚えていません。着せてくれるはずの推薦司祭小林五郎神父は、その3年前に亡くなっていたのです。叙階式が行われたのは、私の出身教会である小平教会ですが、そこはその7年前に私の父親の葬儀ミサがあり、3年前には親代わりの神父の通夜式のあったところでもありました。
 1986年の3月23日の自分の助祭叙階式は、十字架のイメージがくっきりと残る叙階式でした。なにしろ、受難の主日に行われたのです。その年は珍しく5人の助祭叙階式があったので、復活祭前の主日に順番にやっていくと、その日しか残っていなかったのです。当然、式は枝の行列で始まり、受難の朗読が行われ、会衆は前に亡くなっていたので、どなたかが代役をしたからです。叙階式が行われたのは私の出声を合わせて叫びます。「十字架につけろ、十字架につけろ」。その声をわが身に受け止めながら、「そういうことだよね」と、身の引き締まる思いをしたものです。
 さらにその日は、記録的な豪雪だったのです。朝方から降り始めた雪はみるみるうちに積もり、教会へ向かう私の乗った車は交差点の真ん中でストップ、参列者もタクシーで駆けつけるなど何とか来れたものの、式が終わるころには見たこともないほどの積雪となって交通機関がすべて止まり、お祝いもそこそこにみんなあわてて帰ったけれど、中にはその日はついに教会に泊まった人も出るという騒ぎとなりました。また、西武線が積雪によるポイント故障の事故を起こして、それに乗っていたシスターが怪我をするということもあり、まさに受難の主日の受難の叙階式でありました。でも、十字架から復活へ向かう主の後を慕うのですから、まさに「そういうことだよね」ということでしょう。
 大西新助祭の叙階式は何事もなく無事に終わり、これからの活躍に大いに期待ですが、あれから26年たった親代わりとしては、心から祈るばかりです。
 「神さま、すべてはあなたの恵みのうちにあります。どうか新助祭が、どこまでも秘跡の恵みを信じ、ひたすらに秘跡に奉仕し、秘跡そのものとなりますように。すべての十字架は復活に向かうという、真の希望の証し人となれますように」