巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

教皇のケーキ

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 ヨハネ・パウロ2世前教皇の故郷の町ヴァドヴィッチェを訪ねて一番驚いたことは、前教皇の生家が地元の小教区教会のすぐ隣の家だったことです。我が家の玄関を出たらもうそこは教会なわけで、カロル少年は毎朝、まず聖堂の聖母子イコンの前でお祈りしてから学校に行っていたそうですから、まさに将来の教皇を育てるには絶好の環境であったと言えるでしょう。わたしたちが聖堂を訪れた時も、ちょうどお昼のアンジェラスの鐘が鳴り響いて、ああ、パパ様も子供のころから朝な夕なにこの音を聞いて育ったんだなあと思うと、いっそう親近感が深まりました。

 カロル少年は7歳のとき、母親を亡くしています。多感な年ごろ、どんなにさみしかったことでしょうか。そんなある日、父親は息子を連れて近くの巡礼地であるカルヴァリオの修道院を訪れると、有名な聖母子イコンの前に立たせてこう言ったそうです。
 「カロル、これからはこの方がお前のお母さんだよ」
 この一言は前教皇にとっては預言的な一言となりました。前教皇にとってまさに聖母はまことの母となって、彼は生涯聖母を慕い続け、聖母は彼を教皇職にまで守り導いたのですから。
 今この修道院を訪ねると、ヨハネ・パウロ2世教皇が教皇に選ばれて最初にこの地を訪問した折にこの聖母子イコンの前にひざまずいて祈る写真が飾ってあり、前教皇の胸中を思うと胸に迫るものがあります。何を祈ったかは定かではありませんが、さしずめこんな感じではないでしょうか。
 「ママ、ボク、教皇に選ばれちゃったよ。精一杯がんばるから、ママ、守ってね・・・」
 この想像はあながち、的外れではないかもしれません。前教皇が世界平和のためにどれほど必死に努力したかについては誰一人異論のないところですが、それでも世界の情勢が悪化し、戦争が始まってしまい、市民が殺戮されるなんてことも現実にあり、そんなとき、身近な人は前教皇が涙を流しながらこう祈っている姿を目撃しています。
 「ママ、ママ、何故!」
 そういえば、ポーランドの巡礼地の土産物屋に大抵おいてあるヨハネ・パウロ2世前教皇の写真や絵の中に、聖母が前教皇を抱きしめている絵がありました。実際、今頃天国で聖母は自慢の息子を抱きしめていることでしょう。「よくがんばったね・・・」と。

 ポーランドを訪れたら、ぜひ召し上がっていただきたいケーキがあります。その名は「クレムフカ」。上下二枚のしっかりしたパイ生地に、これまたしっかりしたカスタードクリームがたっぷりと挟まっている素朴なケーキです。カスタードクリームが大好きな身としては、これがクレムフカかと、大変おいしく、かつ感銘深くいただきました。なぜ感銘深いかというと、このケーキがヨハネ・パウロ2世前教皇の大好物だったからです。
 それが明らかになったのは、1999年6月、前教皇がヴァドヴィッチェを訪問して生家の隣の教会前広場でミサをした折、前教皇は何気ない思い出話のつもりだったのでしょう、「小さいころ、この広場の一角のケーキ屋さんでよく大好きなクレムフカを食べたものです」と口走ったのです。そのケーキ屋自体はとっくに廃業していたのですが、さあ、大変。翌日にはヴァドヴィッチェ中のケーキが売り切れ、以降クレムフカは「教皇のクレムフカ」と呼ばれるようになって国中で大流行し、今やすっかりポーランドを代表するケーキになってしまいました。
 今年2月に前教皇を慕ってローマを巡礼した折に、ポーランド人神父や神学生が寄宿する神学校を訪れました。そこはローマに住むポーランド人聖職者にとってはある意味で最もくつろげる「小さな故郷」なわけですが、そこの院長様が思いがけないことを教えてくれました。なんと、ヨハネ・パウロ2世前教皇が、ヴァチカンをお忍びで抜け出して、宿舎のポーランド人シスターが作るクレムフカを食べに来ていたというのです。
 それを聞いてますますあのパパ様を身近に感じましたし、ぜひ食べてみたいと思ったのでした。そして、このたび実際に食べながら思ったのです。ああ、きっとパパ様は小さいころ、広場のケーキ屋で、このケーキをお母さんと一緒に食べたんだろうなあ、と。
 心労の絶えない激務の中、お忍びで食べに来たクレムフカは、ママの味だったのかもしれません。