巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

アヴェ・マリアの祈り

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 わたしは子どものころ、歌うことの大好きなボーイソプラノで、東京少年少女合唱団のメンバーでした。春に入団して一通りの発声練習を終え、最初に練習したのがアルカデルトのアヴェマリアだったことをよく覚えています。ほかのみんなは初めて聞く曲なので一から練習を始めたわけですが、わたしは心の中で叫んでいたからです。「そんなの、いつも教会で歌ってるよ。カトリック聖歌集に載ってるじゃん!」
 おかげで、発音がいいとほめられたものです。アヴェマリアの「ヴェ」とか、グラツィアの「ツィ」とか。当たり前と言えば当たり前。こっちは小学校一年の時からラテン語で侍者をしていたのですから。ともかく、いつもの教会の歌が一般の世の中でも大切に歌われていることがうれしかったし、誇らしくも感じたものです。

 このたび、日本司教協議会の決定により、いわゆる「聖母マリアへの祈り」の改定案として「アヴェ・マリアの祈り」が作成され、公表されました。これはまだ案ですが、半年の試用を経て、2011年6月には正式に決定されることになります。内容について何かご意見があれば申し出てください。
 「えーっ、また変わるの?」と思われる方も多いと思いますが、よりよいものにしていくために忍耐強く微調整を続けていくのはカトリックの美しい伝統です。全文は以下の通りです。ぜひ早めに親しむことにいたしましょう。

  アヴェ・マリア、恵みに満ちた方、
  主はあなたとともにおられます。
  あなたは女のうちで祝福され、
  ご胎内の御子イエスも祝福されています。
  神の母聖マリア、
  罪深いわたしたちのために
  今も、死を迎える時も祈ってください。
  アーメン。

 ちなみにわたしはこの改定案に、大満足です。
 今までの「恵みあふれる」では、神からのみ溢れ来るはずの恩寵がマリアからも溢れているかのようにもとれる点や、「あなたの胎の実」という詩的なことばが「あなたの子」という敬意に欠けた乱暴な表現だったことなどが気になっていたからです。
 しかし、なんと言っても大きな特徴は「アヴェ・マリア」というラテン語がそのまま使われている点でしょう。「アヴェ」とは、天使ガブリエルが聖母マリアに挨拶した時の「おめでとう」のことで、かつての文語体では「めでたし」と翻訳されていました。大切なこの祝詞が口語訳の「恵みあふれる聖マリア」では抜け落ちてしまっていたことは、早くから大きな欠陥として指摘されてきました。だからと言って「おめでとうマリア」を祈りの冒頭に置くのは、繰り返し唱える日本語の祈りとして違和感があります。通夜の席などで「おめでとう」では一般の参列者がギョッとするでしょう。だったら、何も無理に翻訳しなくとも「アヴェ・マリア」でいいじゃん、というのがわたしの持論でありました。「アーメン」だって、「アレルヤ」だってそのまま使っているわけですし。
 なにしろ、外来語を母国語にしてしまうのは日本人のお家芸です。というか、すでにアヴェ・マリアは知らない日本人はいないと言っていいほどに認知されたことばです。もちろんそれはグノーやシューベルトのおかげでもありますが、今回「アヴェ・マリアの祈り」となったことで、これがいっそう広く「カトリック教会の祈り」として認知されるようになることでしょう。

 
 火葬場で献花するとき、いつもロザリオの祈りを唱えています。隣の一団ではお坊さんがお経を唱えていたりするわけですが、そちらの参列者は「あら、めずらしい。キリスト教のお経だわ」という顔でこちらを見てたりします。そんなとき、大きな声で「アヴェ・マリア」と唱えていれば、「まあ、アヴェ・マリアって、キリスト教のお祈りだったのね」となります。これは大きな印象を残すのではないでしょうか。それに、そもそもカトリックはラテン語を共通語としていたという比類のない財産を持っているのですから、それを生かさない理由は何ひとつないでしょう。海外でひとこと「アヴェ・マリア」と唱えれば、見知らぬ国の人が声をかけてくるに違いありません。「カトリックですか?」。

 後半部分は以前のままとはいえ、17年間唱え続けてやっと口になじんだと思っていた祈りを覚え直すのは少々面倒ではありますが、これから170年も1700年も唱え続けるのですから、さっそく覚えることといたしましょう。新しい年をアヴェ・マリア元年として、これからは今までにもまして、いつでもどこでもアヴェ・マリアを唱えるならば、聖母はどれほどお喜びになるでしょう。
「今から後、いつの世の人もわたしを幸いなものというでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから」(ルカ1・48)
 アヴェ・マリア!