巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

イエナカクリスマス

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 今年もいよいよ待降節、クリスマスも間近です。よい準備をして、例年にもましてステキなクリスマスを迎えましょう。
 人間は、慣れる生き物です。どんなに素晴らしい行事でも、同じことを同じように繰り返していると、どうしても新鮮味がなくなり、良い意味での緊張感が減り、悪い意味での合理化が進み、いつの間にか、ただなんとなくこなすだけの行事に成り下がってしまいます。
 なんとなく過ごすクリスマス。そんな悲しいクリスマスになっていないかどうかをチェックしてみましょう。次の質問にお答えください。
 「去年のクリスマス、家ではどんな風に過ごしましたか。教会ではどんなクリスマスでしたか」
 すぐに答えられたら、ちゃんとクリスマスをしていた証拠です。え? 最近は記憶力が落ちているから忘れちゃった? そうでしょうか。もしも去年、イエスさまを迎えるために各家で相談して何か新しいことを工夫し、手間ひまかけてていねいに準備し、大切な人たちを大切にするステキなクリスマスを過ごしていたら、必ずや印象に残って覚えているはずです。

 先日の新聞で、今年のクリスマスの傾向を特集していました。それによると、最近はレストランではなく家で過ごす「イエナカ」傾向が定着しているそうで、「今年は家ですごす」と答えた人が78パーセント。タイトルをつけるとしたら、「まったりクリスマス」なんだとか。不況のせいかと思いきや節約志向はすでに下げ止まっており、どうやら「家でちょっとぜいたくに」ということのようです。これは我々キリスト教にとってもいい傾向だというべきではないでしょうか。クリスマスとは、家族や人々がいっそう深く結ばれるために神さまから贈られたプレゼントなのですから。
 ふと、数年前パリでクリスマスシーズンを過ごした時のことを思い出します。待降節になると街は賑わい、人で溢れます。シャンゼリゼ通りはまばゆいイルミネーションに彩られ、華麗なディスプレイで有名なデパート、ラファイエットの前は見物客で歩けないほど。もみの木や暖炉用の薪を担いで帰る姿なども見かけるようになり、クリスマスの飾りやプレゼントを売る店のレジは長蛇の列。
 ところが12月24日になると、街は突然静寂に包まれます。それでも昼過ぎまではフランスではそれがないとクリスマスを迎えられない定番ケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルを買って帰る人が歩いたりしていますが、冬の早い日も落ちるころになると、ぴたっと街が静止します。凱旋門やシャトレ付近などの観光地は別ですが、普通の街なかは本当に人っ子一人見当たらなくなるのです。
 この雰囲気、何かに似ていると思ってハタと気づきました。もう半世紀前、ぼくが子どものころの日本のお正月です。ともかく家族がみんな家にいて、一緒に過ごしていたころの。あのころは、どの家もお正月の準備というものをしていたものです。時間をかけてていねいに、心を込めて。家族が家族であるための大切な行事として。
 きっとあのクリスマスの夜も、パリのアパルトマンの中では、前の日から掃除をし、ささやかでも工夫して部屋を飾り、ていねいにクリスマス料理を準備し、一年に一度だけ暖炉に火を入れ、全員そろって家庭祭壇前でお祈りをし、何日も前から用意してあったプレゼントを贈りあい、乾杯をしてビュッシュ・ド・ノエルを食べ、信心深い家族は深夜ミサに出かけたことでしょう。

 2010年のクリスマスを、いつまでも忘れられないクリスマスにしませんか。もちろん、教会での行事や典礼をていねいに準備するのは言うまでもないことですが、今年はいつにもまして「イエナカクリスマス」を準備しませんか。この日こそは何としても家族全員集れと厳命し、部屋を片付けて家庭祭壇を飾り、よくよく考えて安くてもいいからきっと喜んでくれるプレゼントを全員分そっと用意し、時間をかけてスペシャルメニューの料理を作り、ミサから帰ってみんなそろったら家長はちゃんと短いスピーチとお祈りをし、取って置きのワインを抜いて乾杯をし、たまには全員そろった写真を撮ってはいかがですか。一人ぼっちでクリスマスを迎えることになる人をだれかお招きするなんてのも、ステキじゃないですか。ちゃんと招待状を出して。できれば、ミサにもお誘いして。
 クリスマスは、それだけの準備をするに値する、かけがえのない日です。
 いよいよ待降節。クリスマスも間近です。