洗礼に寄せて

音無 のぞみ(仮名)

 先日4月7日に洗礼を受けさせていただき、本当に嬉しく、また感謝に思っています。
 私がカトリック多摩教会に初めて来たのは、今から1年半位前になります。その時の私はどうだったかを思い返してみると、まるで自分が悲劇のヒロインみたいに思えていたように思います。

 私は、現在もそうですが、主人と一緒に混声合唱団の一員としてやっていました。確か11月19日の日に定期演奏会を控えていたので、10月の初めの土・日を強化練習として泊まりでオケと合同でモーツァルトのレクイエムを中心に合宿になっていました。主人は体の弱い私を気にして、宿泊なしで、車で2日間とも往復をしてくれました。
 もちろん私も風邪を引かないように気を使いましたが、土曜日はひどい風と雨で寒い日でした。何とか二日間練習をこなしましたが、次の日の月曜日には私は喉が痛く、頭痛と気分の悪さで、(どうしよう風邪を引いたかも)と思っているうちに、夕方には38度近くまで熱が上がり、起き上がることもできない状態でした。
 帰ってきた主人に、「夕飯、熱でできない」と言うとイライラしたように、「だから気をつけろって言ったろ。普通に練習しただけなのになぜあなただけ具合悪くなるんだよ。どうかしてるんじゃないの? 本当イヤだ、バカヤロウ」そう言ったのです。
 あまりのことに、私はショックを受けました。どうしたらよいのかわからなくなったのです。
 気をつけていたことは確かです、でも、会場になったホールは、暖房で乾燥しているうえに結構ほこりっぽかったのです。
 熱の下がらない私は、薬を飲んで寝ているだけ。惨めで、なぜ「バカヤロウ」呼ばわりされなければならないのかわかりません。情けなくて涙しか出なかったのです。

 熱でぼんやりしている時、小さかった私を、祖母がクリスマスミサに連れて行ってくれたことを思い出しました。そのとき神父様が私に、「神様はいつも君を見ているよ。でもつらいことがあったときは教会へおいで」、そう言われたことを思い出しました。
 気がつくとパソコンの前で多摩市の教会を探していました。パソコンは、教会の名前をいくつも出しました。でもカトリック教会はただ1カ所、場所は馬引沢・・・。数日悩みました。電話してみようか、しかし、なかなか電話できません、どうしたらよいのかわからなかったからです。(信者でもない私が電話したらきっと迷惑だよね)。
 でも私の重たい気持ちは晴れず、迷うたびに「つらいときは教会においで」と言われたことを思い出すのです。私は(それならば)と思い切って電話しましたが、カラカラの喉、ガクガク震える電話を持つ手・・・。
 電話に対応してくださったのは神父様でした。「何も心配しないでおいで。場所はね・・・」と行き方を丁寧に話してくださいましたが、私は方向オンチで、(大丈夫かなあ? )と心配になりました。

 「何も考えないでおいで、待っているから・・・」。その言葉で、私は本当に何も思わないまま教会に来ました。
 神父様とお話ししているうちに、私の心はいつしか本当に晴れやかに明るくなり、(最後は夕飯何を作ったら主人は喜んでくれるかな? )などと思っていました。夜になり、(そうだ、私のあの重い暗い気持ちはどうなったのだろう。もしかしたら教会へ置いてきた? )とさえ思ったほどです。
 こんなふうに晴れやかに明るい気持ちになれるなんて、最初は思ってもみなかった私です。神父様は「入門講座においで。ミサにおいで。みんなに触れ合ったらいいよ」。笑顔でそう話してくださり、私はその週の金曜日の講座に行きたいと思うようになりました。

 この優しくて大きくて深い気持ちがイエス様の心。
 講座へ最初に行ってとまどう私に、入門係の方や他の方は私に違和感なく話しかけてこられ、その中にいられる私は幸せだと思うようになっていきました。だから教会に行けることが楽しみになりました。
 そうするうちに、主人への気持ちも変化していきました。体調を崩した私に罵倒とも思える言葉を使った主人、普通ならばとても赦せるものではありません。
 でも、講座やミサへ行き、お話を聞いているうちに、主人はきっと、一生懸命私をかばって最大限のことをやったのに、それでも体調を崩した私に、きっと(こんなに心配しているのにまったく! )という、そんなため息をつきたくなる思いで、「バカ」と思わず言ってしまったのだ。それなのに、私は大げさに落ち込んで、今思うと恥ずかしいとも思えるのです。
 教会へ通うようになると、主人の態度も変わっていったように思います。
 車で仕事場近くまで送ってくれることもあり、以前はなかなか言えなかった「ありがとう」の言葉を言えるようになりました。

 今、洗礼を受けて思うことは、改めて合唱を主人とやれることや、私にピアノを弾くことを教えてくれた母、また私のことを親身になって心配してくださった入門係の方々、大きな愛情で導いてくださる神父様、本当に感謝だと思います。
 いつか主人と一緒に、ミサへ、講座へと行かれたら、こんなにうれしいことはないと思うのです。きっとそうなると願っています。