洗礼を受けて

加留部 隆(仮名)

 入門講座にもあまり出られず、どたばたの洗礼となった。
 晴佐久神父様とは高円寺教会の頃、何度か入門講座に参加したり、ミサの後で話を聞いていただいたりと、わりと古くからお世話になっている。そんなこんなで何とか洗礼を受けられたのだが、まだ実感がわかないのが正直なところだ。
 ただ、今までは遠目でながめていたキリスト教の歴史に対しての見方の変化が起きた。やはり内側と外側では全然違う。受け入れたり、ゆるしたり、理解しようとしたり、知ろうとしたりと、曇っていたものが晴れて見やすくなった。また、変化へ恐怖を感じていたのだが、変化すら普遍の中では無意味となり恐怖を感じることがなくなった。
 そのわざを、深めていきたい。洗礼名の名のもとに。