神様からの愛(受洗者記念文集)

光山 真理子(仮名)

 私が、多摩教会を初めて訪れたのは、4年前の春・・・。
 その日は、母の洗礼式の日でした。
 司式をされたのは、もちろん晴佐久神父様。

 以前から毎週末になると、母から教会や晴佐久神父様のことを聞かされていたのですが、この時の私はまだキリスト教というものにあまり「ピン! 」と来なくて、何が何やらよくわからず、ただ相づちを打つだけしかできませんでした。
 母の洗礼式の日、ウワサ(?!)の晴佐久神父様とお会いし、その説教の素晴らしさや、洗礼式の美しさなど、見るものすべてにとても感動し、衝撃を受けたことを、今でも鮮明に覚えています。水をかけられる時の母の顔は、緊張していながらも「やっと救われた!! 」という安堵の表情であると同時に、希望に満ちあふれたような表情にも見えました。
 そんな母の姿を見て、「いつの日か、私も洗礼を受ける日が来るのかなぁー? その時は、私も晴佐久神父様に司式をしていただけたらいいのになぁー」・・・と思うようになりました。
 そして、この後・・・母に付き添って土曜日の夜ミサに時々(あずか)らせていただき、祝福をいただけることに喜びを感じるようになりました。しかし、三日坊主な私は毎週ミサに通うことはできず、いつしか教会から離れてしまいました。
 2年前の夏・・・。母に勧められて信徒館で行われたパーティに参加し、そこで出会った信者さん達の優しさに触れ、気が付くと、いつの間にか教会へ行くのが楽しくなり、入門講座や、おやつの会などに自ら参加するほどまでになりました。
 しかし、昨年の春。またしても私は、教会から一時離れてしまいました。人間関係に悩み、すれ違ってしまったことが原因でした。
 子どもの頃、ずっといじめられていて友達がいなかった私は、人と接するということに、とても臆病になり、人とも自分とも正面から向き合うことができず、自分を守りすぎてしまっていつも本音を言えず、家族や周囲の人に助けを求めることができずにいました。そのため、コミュニケーションの取り方がよくわからず、誤解やすれ違いがたびたび起こるようになってしまいました。
 最初は、出られていたミサも、気がつくと出ることができなくなり、聖堂に入ることも、エントランスに入ることも、信徒館に流れるアナウンスでのミサすらも怖くなってしまったのです・・・。
 ミサに出ている時に、過去のつらかったことや、淋しかった思いが、(父や祖父母を次々に亡くしてしまったことなど・・・)フラッシュバックしてしまうようになり、目の前にいくつものフィルターのようなものが出てきて、胸がギュッ!と締めつけられて呼吸がしづらく、パニック状態になってしまうようになりました。
 毎晩のように泣きながら眠ったり、早朝に仕事に行くため、駅に向かって歩きながらも涙を流してばかりいました。
 それでも神様を信じていた私は、「これ以上悲しい思いはしたくない。何とかしなきゃ!! 」と思い、昨年のクリスマスパーティの日に、神父様に「私、洗礼を受けます」と思い切って伝えました。その宣言から、少しずつ周囲の皆とも和解をし、ずっと暗闇の中にいた私に光が射し始めました。
 受洗を決意してからの私は、今まで言いたくても言えなかったこと、やりたくても後回しにしてしまったこと、素直に言えなくて心に残してしまった言葉、伝えられなかった心の声・・・。
 そんな普段やり過ごしてしまうすべてのこと全部ひっくるめて「今を大切に生きよう!!! 」って思うようになりました。少しずつだけど、ポジティブになることで、気持ちに少しゆとりが持てるようになりました。

——そして、2013年春——。
 念願だった晴佐久神父様の司式のもとで、洗礼に与ることができました!!!
 水をかけられた瞬間・・・冷たいと感じるよりも、「やっと救われる!!! 神様ありがとう!!! 」と思う気持ちの方が大きかったです。
 洗礼名のマリア・クララは、自分で考えたのですが・・・、大好きな聖母マリア様と若くして教会のために尽くし続けたアッシジのクララを合わせて名付けました。それに、「アルプスの少女ハイジ」のクララからも付けています。足の不自由なクララは、ハイジやおじいさんなど、周囲の愛に救われ、いつしか自らの足で立ち上がり歩けるようになるんです!! 私も自分の足でしっかり大地に立ち、沢山の人に感謝しようと思い選びました。

 私に関わってくださっているすべての人達
 私のことを、いつも支えてくださっている人達
 離れていても見守っていてくれる人達

 私という人間に出会ってくれたすべての人達に
 心から感謝しています。