連載コラム「音楽と私 -音楽から授かる恵み-」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第38回
「音楽と私 -音楽から授かる恵み-」

諏訪・永山地区 佐々木 邦雄

 私が音楽に係わるようになったのは、小学校3年生の時にビクター少年合唱隊に入団してからです。(今はTOKYOFM少年合唱団となっていて、以下、ビクターと記載します)。
 私がビクターに入団したきっかけは、小学校の音楽の先生とビクターの先生が知り合いで、団員募集のために男子全員が入団試験を受けることになり、なぜか合格したからです。このように書くと、いかにも音楽のセンスが良かったようですが、楽譜を読めず、ピアノと同じ音で歌えず、「ドレミファソラシド」を満足に歌えず、正直、センスが悪い子供でした。
 数年後、ビクターの先生に聞いたところ、「君は音楽のレベルでは正直不合格だが、他の子にはない誠意と情熱を感じたので特別に補欠合格とした!」とはっきり言われました。
 入団後も実力があれば演奏グループに昇格しますが、劣等生の私は、演奏グループに昇格するまでの2年間、発声、ソルフェージュ、楽典といった基礎練習の繰り返しでした。でも、基礎を文字通り「たたき込まれた」おかげで、それ以降の音楽活動をする上で非常に役に立っています。
 ところで、ビクターに入団した際に、先輩方が歌った「アルカデルトのアヴェマリア」は今でも強烈な印象が残っています。歌詞の意味はまったく分かっていませんでしたが、世の中にこんなに美しい曲があるかと思い、大げさではなく「天使のコーラス」だと感じたことを、昨日のように覚えています。
 その後、大学生時代、30歳以降は何らかの形でコーラスを続けていて、いろいろな作曲家のミサ、レクイエムを演奏する機会がありました。でも、訳詞の表面的な意味しか分かっていないまま歌っていたわけで、今思うと赤面する次第です。

 こうした中、2005年に出会った高田三郎先生の典礼聖歌には衝撃を受けました。
 きっかけは、その年に愛知万博があり、名古屋を拠点とし高田三郎音楽を得意とする男声合唱団「東海メールクワイアー」から「愛知万博記念演奏会(ひたすらないのち 愛知演奏会)で、男声合唱で典礼聖歌を演奏しよう」と呼びかけがあり、それに応えたものです。
 典礼聖歌の練習で受けた印象は、音程もリズムも難しくはないが、音楽の奥が深い、言い換えれば、「60点の演奏をするのは簡単だが、80点・90点を目指すと難しい」というものです。実は、受洗時の文集にも書きましたが、教会に来た理由の中に、本物のミサの中でどのように典礼聖歌が歌われているかを知りたい、という不純(?)な動機があったのです。しかし、そこで晴佐久神父様に出会ったのが運のツキで(いや、運命で)、教会に来ることから逃げられなくなった(いや、教会に来ることがあたりまえになった)わけで、典礼聖歌の魅力を知ったことが、結果として洗礼を授かる理由のひとつになりました。

 さて、音楽には力があると言われますが、これは、音楽を通してメッセージが直接伝わるからだと思います。あるピアニストの先生は、「音楽は天と地を結ぶメッセージです」と話をされていました。更には、音楽によって、一定の時間と空間を数多くの方々と共有できるからだと思います。
 そして、私にとって音楽は「人生を豊かにしてくれる、心のオアシス」といえます。
 最後に、光栄なことに答唱詩編を奉仕する機会を頂いていますが、上手い下手ではなく、しっかりとメッセージを伝えることを心がける所存ですので、引き続き、宜しくお願いいたします。