連載コラム:「ジャネットのオアシス」

人生の旅をいっしょに
= ウエルカムのサインをあなたからあなたに =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第92回
ジャネットのオアシス

南大沢・堀之内地区 セツコ

 親という字は木の上に立って見ていると書く。まことに深い哲学をもつ一字である。
 喜寿を迎えた今でさえ、息子や娘を前にするといつの間にか木から見事に滑り降りて親風をふかしている自分を見出すのが常なのだから。
 54年ぶりにシカゴでジャネットに再会した。当時妊娠後期だった彼女は、にも拘らず学生だった私を数カ月ホームステイさせてくれたのである。
 「これから忙しくなることはわかっているから、一年に一度、たとえばクリスマス頃にカードを送ってくれると嬉しい。そしたら地球のどこかで元気でいることがわかって安心するから。」
 別れ際に、そんな慎ましやかな願いを口にしていた彼女の夫のボッブは一昨年亡くなった。あれだけ沢山のことをしてくれたのに、文字どおり青春の模索の中でそうしたカード一枚書く気持ちのゆとりすら見いだせなかった私は、結局そのままに……。若さとはそのように恩知らずなものなのだ。
 フェイスブックで近年彼らの行方を探し当てて半世紀ぶりに再び繋がった。すぐに出かけていれば会うこともできたのに……。ただ彼の一言だけは覚えている。どうやってそれまでの恩に感謝したらいいのか聞いた時、「僕たちではなく、君を必要としているこれから出会う人たちに返せばいい。」

 当時妊娠中だった子を含め、ジャネットは10人の子の母、孫を含めると総勢45名の一族の中心となっていた! 「なんて忙しい人生だったの?!と言うと、「子供が子供の面倒をみあって遊んでいたから簡単なものよ。子育てはホント楽しかったわ」とほほ笑んだ。
 国際結婚をした子供たちや、さまざまな問題を抱えた親族、孫たちの結婚式など、あちこちから声がかかって、81歳の彼女は今、世界を飛び回っている。静かで、それでいて率直で、でも相手を縛らない彼女を子供たちが歓迎するわけだ。不可能と思える約束も平気でする。シカゴに立ち寄った私にぜひ会いたい、最後の一日だけは泊りに来てと言いながら、私の到着のわずか10分前にクリーブランドから自宅に滑り込んで私を迎えるといった具合だ。
 驚いたのは、部屋がきれいに整えられ、私たちを待っていたことだ。留守の間に、孫とそのガールフレンドがやってきて掃除を担当したとのこと。10人の子供たちの成長に合わせて増築を重ねていった彼女の家は、さながら迷路のようだが、二つのバスルームは際立ってしっかり造られていた。優れた建築士が子供たちの中から輩出したからだ。
 30分もすると、近隣のあちこちの州に住んでいる息子夫婦や娘夫婦とその子供たちが次々到着し、リビングルームが再会の喜びに包まれた。心づくしの食事もすっかり用意されていたのは勿論である。ウイスコンシンからはるばるやってきた娘の一人とそのパートナーが、心を込めて私たちのために料理していたのだ。全て、「54年前の友人のセツコが来る。当日まで私は不在だから、手が空いてる人は手伝って」という彼女から子供たちへの一斉メールだけの力だ。
 幾組もの幸せな家族に混じって、痛ましい離婚を迎えた息子とその子供たちもいるし、社会でやっと認知されたLGBTのカップルもいる。敬虔な彼女に息を詰まらせて、娘の一人は17歳で家を飛び出している。やっと和解ができたのは、ボッブの死がきっかけだった。
 10人の子供を持つ母の心は、多様な現代世界の縮図さながらである。これまでどのようなドラマを抱えながら……どれ程傷つき、苦渋と喜びを織り交ぜて味わいながら、それでも希望をもってボッブと共に祈り、家族の歴史を築きあげてきたことだろう。

 皆が近くの公園に散歩に出かけた後、ジャネットは私を広い裏庭に招いた。子供たちの遊具がたくさん並んだその奥に、どっしりとしたブランコが置かれていた。
 「これだけは私のものなの。一緒に座ってみて。」
 不思議な体験だった。ゆっくりとした揺れに身をゆだねていると、家を取り巻く世界の喧騒も、そして、これまで彼女の子供たちが小さい頃から散々遊んできた種々の遊具も、一瞬シールドされ、徐々に別の世界に戻っていくかのようであった。
 この何気ない日常からの距離が、ジャネットをささえる貴重なオアシスだったのだ。
 中学時代から今に至るまで、日々のミサ出席を欠かしたことのない彼女が、日々の生活にみ言葉を重ね、再び力を取り戻すための「人里離れた場所」――総勢45人の子供と孫たちを木の上に立って見るためのささやかな高みなのである。