連載コラム:「私を支えてくれるもの」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第32回
「私を支えてくれるもの」

愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区 石濱 裕絵

 まず初めに、私の信仰を支えてくれる言葉を紹介します。
 「信者であっても、信者でなくても、好きでも、嫌いでも、みんな神さまに愛されている子供だよ」。
 この言葉は、お世話になっているイエズス会の神父様から教わった言葉です。
 今までの私は、苦手だなと思う人がいるとその人を遠ざけて、なるべく関わらないようにしていました。でも、イエスさまが教えてくれた祈りの中には、いつも「私たち」という言葉がありました。この言葉に支えられて私もその人も、神さまの子供として同じ存在であると思えるようになったのです。

 2010年の復活祭に多摩教会で受洗して3年の月日が過ぎましたが、そのころと比べて自分の中で変わったな、と思うところが2つあります。
 そのひとつがカフェ・オアシスの店長を引き受けたことです。
 もともと自分たちの代のメンバー内で「新しい人たちで何か奉仕活動ができないか」と思い立ったのが始まりでした。最初は小さな集まりでしたが、教会の正式な活動と認められてからは、さまざまな場面でみなさんに奉仕できるようになりました。
 私は、もともと先頭を切って物事を進めるタイプではなく、人と接するのも苦手だったりなど、店長を務めるにあたって不安なところもあったのですが、周りのメンバーに助けてもらいながら続けられています。
 また、カフェ・オアシスの活動を通して、これまで知り合えなかった方たちとも関わりが持てました。いつも多摩教会に来る人にはカフェ・オアシスの活動は、大分認知してもらえるようになりましたが、もっといろいろな方に知ってもらいたいです。
 例えば、初めて教会に来た人が気楽に入れたり、仲の良い友達同士でおしゃべりをしたり、コーヒーを飲みながら知らない人同士が知り合ったり、息抜きにひとりで飲んだり・・・など、訪れる人たちがホッと和めるオアシスのような存在になれたら嬉しいです。

 また、もうひとつ自分で変われたなと思うところは、今年の復活祭で、ある方の代親をさせていただいたことです。
 代親になれることはお恵みですが、今までの私ならきっとプレッシャーに負けて断ってしまったかもしれません。でも信仰という大きなお恵みに育ててもらい、カフェ・オアシスでの経験を通して成長ができ、引き受けることができました。
 その方と知り合うことができて、これからまた一緒に成長していけることをとても幸せに思います。
 3年前の受洗記念文集に、「私の代親をしてくれた友人のように心に大きな柱がある人になれたら嬉しい」と書いたことを覚えています。その友人とも同じ信仰を分かち合える仲間になれたことで、より強い絆を感じられるようになりました。

 まだまだ神さまの優しさに甘えてばかりの弱い私ですが、言葉や態度には出さなくても、見守っていてくれる人達に感謝の気持ちを忘れず、今までの自分より、あと半歩・・・あと半歩・・・と進みながら、頑張っていきたいと思います。
 そしてどんなときも、どんな私でも神さまが一緒にいてくださることに安心して、歩いていきたいです。