連載コラム:「創刊500号に寄せて」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第52回
創刊500号に寄せて

鶴牧地区 北村 司郎

 多摩カトリックニュースが1972年6月に創刊されてからこの4月号で500号になる。私自身創刊2号から何回か発行のお手伝いをさせていただき、その後を受け継いでくださった方々の努力によって、40数年をかけて500号に達したことは大きな喜びでもある。当初はタイプ印刷を依頼していたこともあり経済的な問題で隔月発行ということであったが、今では広報部の皆さんの努力により毎月ニュースが私たちの手元に届くということは素晴らしいことだと思う。
 多摩教会が教区から認可されたのが、72年5月だから教会発足とともにニュースも発行されたことになる。このことは多摩教会がニュースを必要とし、教会の本質的な部分をニュースが担っていたことだとも思う。

 福音書の中で教会を表すギリシア語は「エクレジア」だそうだ。この言葉の本来の意味は「呼び出された者たちの集会・集まり」の意で、建物だとか教えるという意味はないのだそうだ。多摩教会が教区から認可される前の年(1971年)、白柳大司教(当時)をお迎えして信徒の家庭でニュータウンでの初ミサが行われた。ミサ後、この多摩の地に「教会を」という私たちの要望に対して「教会は建物ではありません。私の名のもとに二人、三人集まるところが教会です。」と話された。まさに、教会の本質が集まりであることを、最初に私たちに話しかけてくださったのである。
 翌年(72年)、建物も司祭館もないまま、3月主任司祭が決まり、5月には教会として認可された。教会の本質が「集まり」であるとはいえ、今から考えると東京教区もずいぶん大胆な決定をしたと思う。なぜなら、その時建物を建てる土地購入などの計画は全くなかったからである。ともあれ、多摩教会が認可されたという喜びと同時に集まる場所を確保する必要があった。それが家庭ミサであった。また、クリスマスや被昇天などの多くの人が集まる時には農協などの公的な施設お借りすることであった。

 多摩カトリックニュースの創刊号は6月であったが、発行を急がなければならない理由はミサの行われる場所を、皆様に知らせる必要があったからである。月2回の家庭ミサだったから、2カ月分4枚の地図が創刊号の最終頁を飾っていた。主日のミサに欠席された方はニュースを見て、次の集まりがどこで行われるのかを理解したのである。そのため欠席された方にはニュースを届ける必要があった。当時の信徒たちは手分けして各家庭に届けたのである。ニュースが前述したように「集まり」の大切な役割を担っていた、というのはこのことある。その意味からすれば 教会の本質である「集まり」を現実化するため、ニュースを利用したのである。もっとも、根源的な所に「呼び集められた」という部分はあるにせよ、ニュースを利用し「集まり」を現実化出来たのである。
 また、そのニュースを届ける、という行為も教会を創設していった、といってよいと思う。なぜなら「集まり」の中の人間関係はこのことによって、即ち、他の信徒と関わることによって、深くなった、といってもよいと思う。
 今後、ニュースは1000号に向けて、発行されていくのであろう。もう、地図を載せることはなくなった。しかし、今も信徒全員にニュースは届けられている。それによってニュースが私たち多摩教会のひとりひとりを結んでいる。そしてエクレジアとは「集まり」をその度ごとに確認していきたい。