連載コラム:「多言語による聖書輪読」

= 弱音・不安は神様に預けて、受け入れあう笑顔をもらいに行こう =
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第98回
「多言語による聖書輪読」

マイナ・アーネスト・ウェケ Maina Emest Weke

 聖書に書かれているのは神の御言葉ですが、その文章の組み立て、言葉選び、言葉のリズムなどには非常に優れた特徴があります。これらの特徴がよりはっきりするのは、幾つかの聖書の翻訳を読み比べる時です。
 今、多摩教会の聖書輪読では三つの聖書を使用しています。日本語聖書はカトリック教会標準の「新共同訳」。英語の聖書は二つ、アメリカのカトリック教会標準の「New American Bible Revised Edition」(2010)と、分かりやすい英語で書かれている「Common English Bible」(2011)です。聖書輪読の仲間は20名前後で、普段集まる平均人数は6名です。

 聖書の御言葉に興味をもち始めたのは、20年以上前の大学の学部の時で、カトリック学生の祈りのグループの一員としてでした。当時お気に入りの聖書は、節ごとに詳しい注釈が沢山詰まっている「新エルサレム聖書」(New Jerusalem Bible,1985)でした。ある注釈では、アラム語やギリシア語から訳された聖書本文の表現の問題が明らかにされていました。また、歴史的な背景も解説していました。それらの追加情報をもって聖書を読むと、以前より聖書の語句が生きたように感じました。
 それから、日本に来ました。はじめは、ひらがなとカタカナを読むのが限界でした。もちろん、日本語はまだ理解できませんでした。日本語のミサを理解できるまで年月がかかりましたが、やがて新しい言語環境に慣れて、ミサの全体を理解できるようになりました。
 約5年前、昔の友人たちとの聖書輪読と分かち合いの楽しさを思い出し、もう一度やりたいと思い始めました。今度は、多摩教会の仲間のなかで輪読をやってみたい人と一緒に、聖書の英訳と日本語訳を比較しながら読もうと思い立ったのです。幸運なことに、教会の多くの信者さんは、英語の聖書にも大きな関心を持っていました。皆さんの支援を得て、およそ5年にわたって、毎週日曜日にミサ後、日本語と英語で聖書輪読をしながら聖書本文についての分かち合いをやってきました。

 この多言語聖書輪読を通じて、いくつかのことを学んできました。まず、当たり前かもしれませんが、順に朗読することで、ペースがゆっくりとなり、偉大な言葉の選ばれ方と、美しい文章に気づきやすくなります。
 二つ目は、聖書に描かれた使徒たちを通しての気づきです。読むほどに、使徒たちは、私たちのような人間だったことがより明確になり、イエス様の教えは直接私たちに宛てたものであるということを感じます。彼らはキリストによって選ばれた聖なる人々でした。しかし、彼らが直面した信仰問題は、私たちが今日直面している信仰問題です。
 この輪読会には、たまに海外からの参加者もあります。その時は、彼らの母国語で聖書の文法表現も比較して分かち合います。多言語の聖書輪読によって、聖書の御言葉をよりよく味わうことができます。ところで、翻訳が変わっても変わらない、一つの例外に気づきました。それはキリストの御言葉です。今まで確認している限り、どんな訳もキリストの御言葉はほとんど同じです。これに気づいて、非常に安心しました。
 最後に、どなたでも興味をお持ちの方は日曜日のミサ後、信徒館でご一緒に聖書輪読をしましょう。