連載コラム:「最期のプレゼント」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第48回
最期のプレゼント

南大沢地区 波多野 直子

  洗礼を受けて初めてのクリスマス。わが家にとっては母兄父の洗礼25周年のクリスマスでもあります。まさにワクワク待っている待降節第3主日。
 そんな今わたしは、伊豆で泳いできたお魚と旬の素材、おもてなし相手を思いながら、「右近の列福を願う茶事」の水屋を終えて、ひと休み。10月、「高山右近の列福祈願公式巡礼ツアー」で出逢った方々が再び集い、お濃茶でより結びつきを深める静かな時を感じつつ、書いています。
 人との出逢いに恵まれて生きてきました。父を早く亡くしたこと以外にこの降り積もるお恵みの要因はないように思います。
 天に帰った父が、天の住人同士で神さまに取り次ぎ、地上のものを結びつけてくれていると。今わたしが多摩教会にいることが何よりその証しと捉えています。神さまの近くで、神さまとともにこちらを見ていてくれる天の援軍を何よりの宝物と受けとめて欲しい。ワタシさえ気づけば、亡くしたその人は永遠に生きていることを伝える役目かと。わたしも伝えられ、守られてきたので、失敗続きの奮闘中です。

 25年前のクリスマス。父は洗礼式へと、ある教会のお御堂へ続く外スロープを兄に支えられながら上っていました。病身ながら教会へ行って、受けたいと。小学校からの親友である神父さまが手招きする扉へ。お御堂の中では、主任神父さまが、今ここに洗礼を受けるために向かっている方がいらっしゃいます。皆さんで待ちましょう、とお迎えくださったと聞き及びました。
 その3カ月後、お御堂の暖められた小聖堂に残された家族三人。安心して眠りに落ちた暖かい空気を今でも肌に感じられます。「病院の床で寝ていらしたなら、ここでも大丈夫でしょう」との神父さまからのうれしいお申し出。お御堂に立っていて、ふと気づくと神父さまが横に立っていらして。「…ピアノ…弾いていいですか?」「いいですよ。」
 バッハの平均律第一番アヴェ・マリアの旋律を父へはなむけることができました。
 遠くの親戚が帰ったあとも、うちに最後まで残ってくださったのは二人の神父さまでした。
 「何かあったら、この人たちに会いに行けばいい」と思えるだけで、その後の多難もあらたまって会いに行くこともなく過ごせました。支えとなってくれるそういう存在がアルと知っているだけで、大概のことはクリアできます。

 ご絵にのせるため用意してくださったふたつの言葉からひとつを選びました。
 「なすべきことはただひとつ…」〈フィリピ 3-13〜14〉
 後半の賞を得るためにという箇所はよくわからないし、賞なんかいらないけど、わたしたちはまだ若いから前を向いていたい、と選んだみ言葉ひとつで25年。
 昨日のごミサでもうひとつの「いつも喜んでいなさい」を聞き、ごミサは訪れたもの一人ひとりに、その時その時に響くみ言葉のオアシスであり、福音のあふれだすオアシスであると実感し、幸せでした。
 ただただ、そこにいるだけで。生で。ともに集う人の中で。
 全ての人の心の平安につながる暖かな空気を身にまとって、心のオアシスをなくした人のもとへ一歩だけでも近づき、「こんにちは」と結ばれたい。
 涸れない水をいただいたものは、オアシスの場所を知っている。今、星の見えない人をいざなう小さな満天の星のひとつになるべく、後ろのものを忘れ、前に向かってただひたすら走るのみ、あまねく全ては神さまのご計画のうち。イエス様を近づけてくださった神父さまに感謝。