巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

みんなの教会 みんなの委員長

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 「今年一杯で教会委員長の任期が終りますので、そろそろ次期委員長をお考えください」 夏の暑い盛りに突然そう言われてびっくりし、思わず問い返しました。
 「『お考えください』って、ぼくが選ぶんですか!?」

 多摩教会では創立以来、教会委員長を司祭が選び、依頼し、時には拝み倒して任命して来ました。本質的に言うならば、それは間違いではありません。カトリック教会は民主主義を大切にはしますが、それを最高の権威とするのではなく、あくまでも真の権威はイエス・キリストの教えを正しく受け継ぐ教会教導職にあると信じる組織です。教皇が司教を任命し、司教が司祭を任命し、司祭が委員長を任命するのはある意味で当然のことではあります。

 しかし、司教が司祭を任命する時にしても、いきなり司教が独断で誰かを選ぶわけではありません。大勢の信徒や養成者からのいわば「推薦」を受けて、最終的に司教の責任で叙階し任命するのです。教会委員長も司祭が任命するにせよ、そこまでのプロセスに教会全体が関るのが望ましいことは言うまでもありません。「司祭が選び、司祭が任命する」のではなく、「みんなで選び、司祭が任命する」というかたちです。ちなみに、わたしが過去に関った5つの教会はすべて後者のかたちでした。

 そこでこのたび、司牧評議会のもとに小委員会を設けて話し合ってもらった結果、新たな教会委員長選出の方法が提案されることになりました。正式には11月の司牧評議会で決定して発表されますが、簡単に説明すると、各地区から一名の教会委員長候補を推薦してもらい、推薦された人同士で互選して一名を決め、それを司牧評議会で承認し、司祭が任命するというものです。

 少々面倒に思うかもしれませんが、この方法のいいところは「みんなで選んだ」というところです。それは、思いのほか、教会全体の雰囲気を前向きにしてくれます。「教会委員長」は、教会法的に言うならば「司祭と共に教会活動を推進する信徒の代表者」という立場です。選んだほうも「私たちが選んだ代表」という責任を持ちますし、選ばれたほうも「みんなに選ばれた代表」という自覚を持てます。

 これを司祭が独りで拝み倒して任命するのでは、信徒全体が「まあ、可哀そうに、断りきれなかったのね」という意識になり他人事になってしまいがちですが、みんなで選んだ以上は、そうは行きません。教会委員長が困っていたら、「わたしたちが選んだのだから」と協力を惜しまないでしょうし、委員長の方も「あなたたちに選ばれたのだから」と、堂々と協力を要請できます。

 多摩教会の歴代の教会委員長は、いずれも能力と資質に恵まれたまさに適役と言える人選で、そのそうそうたるラインナップを見れば歴代の主任司祭がいかに的確な選択をして来たかが一目で分かります。しかし、教会委員長という奉仕を単に個人の能力と資質に頼っていては、そこにどうしても限界があります。教会はみんなで話し合い、みんなで助け合う共同体ですから、その代表である教会委員長をみんなで話し合って決め、みんなで助け合って支えていくならば、そのこと自体がとても教会的なしるしになるのではないでしょうか。
 次期委員長が「自信はありませんが、みんなに推薦され、みんなに選ばれ、みんなに支えられて、お引き受けします」と言えるように、みんなで話し合っていきましょう。主任司祭はその人を信徒の総意として全面的に受け入れ、信頼を持って任命し、共に働いていくことをお約束いたします。