巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

小さな赤い箱

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 ペルーの首都リマからインカの都クスコへ向かう国内線の機中で、機内サービスの飲み物と一緒に小さな赤い箱が配られました。十五センチ四方くらいの紙の箱で、開けると中にはお菓子の袋が三つ入っていました。大きい袋がパウンドケーキ、中くらいの袋がクラッカー、小さな三角の袋がチョコレートです。チョコレートは中にジャムのようなものが入っているペルー名物で、さっそく食べ始めた周囲からは「おいしい、おいしい」の声が。
 こういうコンパクトなものに、なぜか心惹かれます。「小宇宙マニア」として、大変そそられるものがあります。小さな空間にさまざまな要素が絶妙に配置されていてひとつの意味ある世界を作り出している、小宇宙。日本庭園とか、幕の内弁当とか。このときは、手をつけるのも惜しいって感じでそっとふたを閉じました。さっき空港でサンドイッチを食べたばかりでしたし。今日はこの先、バスと列車の旅が待っています。お楽しみは後でゆっくり、というわけです。

 この日、巡礼旅行の5日目は、いよいよ世界遺産の空中都市マチュピチュを目指します。まずはクスコの空港からバスで渓谷の町オリャンタイタンボへ。途中、広い中庭のある素敵なレストランで昼食をとったのですが、ちょうどこの日は移動日のためミサをあげる予定がない日だったので、このレストランの一室を借りてミサをさせてもらうことになりました。巡礼旅行ですから、毎日ミサが必要です。成田で出発する時も、いつも有料の団体待合室を借りて結団式のミサをあげてから出発します。そんな時のために、巡礼旅行ではいつでもミサができるように携帯用のミサのセットを持ち歩いています。ホスチアとワインの小瓶と一緒に。ちなみにホスチアは多摩教会の香部屋から持ち出しました。お許しを。おかげで、予定外のミサができてみんな喜びました。ミサ後のペルー料理のバイキングもとってもおいしく、こころもおなかも一杯になりました。
 オリャンタイタンボからは、鉄道に乗り継ぎます。よく旅番組などでも紹介される高原列車で、車窓の風景はまさに絶景です。アンデスの切り立った山々と清冽な渓谷の流れ。そろそろ日も傾いて、山の端からスポットライトのように斜めに差し込む光が、風景の一部を舞台美術のように切り取って浮かび上がらせます。それはさながら天然仕様の小宇宙。二度と見ることのできない一瞬一瞬の芸術を、うっとりしながら脳裏に動画で記録していきました。

 一時間ほど走ったでしょうか。車内サービスが周ってきて、ペルー人の常用茶であるマカ茶が配られました。ここでいよいよ、お楽しみの小さな赤い箱の出番です。心弾ませながら小宇宙を座席のテーブルに置いた、そのとき。
 列車は小さな駅に止まりました。ふと前方を見ると、線路際をみすぼらしい身なりの少年が一人、次々と窓を見上げながらこちらへ歩いてきます。何か売り歩いているのか、なんとなく必死な感じが伝わってきますが、誰も相手にしていないようです。彼は目の前まで来ると、こちらを見上げながら片手の指を自分の口元に向けてパクパクと動かし、口をもぐもぐさせました。言うまでもありません。万国共通のサイン。「何か食べるものをくれ」です。
 一瞬、「何もあげるものはないよ」と思い、0・5秒後には「ウソつけ、目の前に赤い箱があるだろう」と思い、その0・5秒後の表情を彼は見逃しませんでした。早くくれ、と手招きで合図します。列車はもう発車しかけています。あわてて窓を開けようとしました。しましたが、そんな時に限って、窓が固くて開きません。人生って、そういうものです。心の中で「ごめんね」を繰り返す中、列車は非情に走り出し、再び美しい風景が車窓を流れて行きました。
 ところが。何気なく振り向くと、なんと先程の少年がこちらに手を伸ばしたまま、全速力で列車と一緒に走っているではありませんか。わが体は条件反射のように飛び上がり、思いっきり窓を開けると、小さな赤い箱を放り投げました。慣れた手つきでキャッチした少年は、すぐに小さくなり、やがて見えなくなりました。

 マチュピチュ山麓のホテルは、去年出来たばかりというモダンなデザイナーズホテルでした。ここに一泊して、明朝はついにマチュピチュ登山というわけです。デザインが売りらしく、夕食は見たこともないようなおしゃれな盛り付けのコース料理で、お皿がどれも四角いのです。そんな四角いお皿があの小さな赤い箱を思い出させたせいもあり、食事中、ずっとあの少年のことを考えていました。
 何歳なんだろう。どんな家に住んでるんだろう。学校に行ってるのかな。毎日あんなことしてるんだろうか。放り投げられた赤い箱、受け止めるの、上手だったな。きっとすぐに、ボリボリ食べたんだろうな。おいしいと思ってくれたかな。
 ホテルのおしゃれすぎる夕食は日本人の口に合わなかったのか、それともお昼を食べすぎたのか、みんなひとくち食べては残しています。毎日ご馳走続きじゃ、無理もありません。残すくらいなら、あの少年に食べさせたいなと思ったそのとき、ふいに確信しました。
 彼は、あのお菓子を食べていない。あの全速力は、自分のためじゃない。きっと家で誰かが待ってるんだ。たぶん栄養不足の病気のお母さんが、いまごろ小さな赤い箱を開けているに違いない。「ごめんね、ごめんね」って涙こぼしながら。