巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

大震災後に増えるもの

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 震災後、結婚する人の数が急増したというデータが報道されていました。個々の結婚の動機はさまざまでしょうが、震災が何らかの影響を与えたことは間違いありません。そこには共通した理由があるはずであり、おそらくそれは人々が「人間の尊さ」や「人と人のつながりの大切さ」に気づいたということではないでしょうか。
 たしかに、このたびの震災はわたしたちに大きな価値観の転換をもたらしました。ひとことで言えば、これまでの経済第一主義や効率至上主義から人間第一主義、生命至上主義へと変わりつつあるのです。その意味では、よく言われるようにようやく「戦後」が終ったのかもしれません。第二次大戦後、ともかく豊かになろう、強い力を持とう、便利に暮らそうという至上命題のもとに「発展」してきた日本ですが、今人々が本能的に求め始めているのは物よりも心が豊かである人生であり、弱くても互いに助け合う社会であり、不便でも安全で人間らしく生きられる暮らしなのです。
 そのような傾向はバブルの崩壊後、次第に高まって来てはいましたが、そうは言ってもこの不況はなんとかせねばとか、隣国の台頭に負けちゃおれんなどといった戦後の残り火がくすぶっていたのが、この20年だったような気がします。しかしその残り火も、このたびの津波でついに消えたように見えるのです。
 被災地はもちろん東京でも、地震の直後電話が不通になり、家族や友人、パートナーと連絡がつかなくなるという事態が発生しました。そのときわたしたちは決定的に悟ったのです。何が一番大切なのか、何を最優先で守らなければならないのかを。すべてが普通に存在し、当たり前につながっている時は、人々は物事の優先順序をちゃんと考えていませんでした。しかし、ひとたびわが身の危険を体験し、大勢の人を失う悲しみを体験し、互いの安否がわからぬ不安を体験してみると、否応なしに優先順位の真のトップが何であるかが浮かび上がってきたのです。経済も発展も便利も大事だけど、やっぱりなんと言っても大切なのは安らかに共に暮らす家族であり、命を任せられる信頼関係であり、どんなときも助け合う仲間でしょう。つまりは、人と人を結ぶ愛がすべて。そのような気づきこそが、結婚急増の背景に他なりません。

 さて、もしそうであるならば、当然のことながらそれは洗礼が急増するということでもあるはずです。キリスト教こそは、人と人のつながりと、神と人のつながりを何よりも大切にする教えであり、実際にそれを生きている集いだからです。キリストの教会はこの二千年間、神の子である人間第一主義、神によって生かされている生命至上主義を謳ってきましたし、神の愛のうちに人と人を結ぶ愛がすべてだと主張し続けてきました。それを御言葉と犠牲を伴う愛のわざで教えてくれたイエス・キリストを信じることで、愛の文明をつくり、愛がすべてである世界を実現し、神の国を完成させようと呼びかけて来ました。キリストの教会こそは、いかなる時代にも常に真の優先順序を守り続け、危険と不安の闇の中でも本物の安らぎと希望の光を見出せる魂の避難所として機能してきたのです。
 現に、震災後の不安と孤独感の中、とても独りではいられずに教会を訪ねてきた人が何人もいました。人々は、苦難のときに本能的に神を求め、神の愛を求め、神の愛の目に見えるしるしである教会を求めるのです。これから、キリストの教会を求める人が次第に増えてくることは、間違いありません。多摩教会でもいっそう受け入れ態勢を整え、いっそう声を大にしてここに救いがあると呼びかけなければなりません。それこそが、何にもまして「今わたしたちにできること」なのです。

 今年の復活祭に受洗した仲間たちには、何度もお話しました。今年2011年、大震災の直後に洗礼を受けたみなさんは、神から特別の使命を頂いている。苦難の日々に受洗したということは、いつにもまして真の希望を世に証しするようにとの召命を頂いているのだ、と。
 もちろんそれは、全キリスト者に言えることでもあります。多摩教会のみなさん、いつにもまして、福音を語ろうではありませんか。今こそ、イエス・キリストを告げ知らせようではありませんか。千年に一度の大災害を乗り越える真の希望を語るためにこそ、二千年の苦難を乗り越えて福音を語り続けてきたキリストの教会が存在しているのですから。