2012年 3月号 No.463

2012年 3月号 No.463

発行 : 2012年3月24日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 神父 】


そういうことだよね

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 大西 勇史神学生の助祭叙階式が、3月18日高円寺教会にて行われました。
 大西神学生は、私が高円寺教会の主任司祭だった時に、私が推薦して神学校に入学したので、出身教会は高円寺教会、召命の上での親代わりとなる推薦司祭は晴佐久神父ということになります。それで、叙階式では新助祭に助祭のストラと祭服を着せる役を仰せつかり、当日、今まさに助祭の秘跡を受けたばかりのわが子に祭服を着せることができました。上気した顔のわが子の祭服姿はふしぎにまぶしくて、なるほど親心というものはこういうものかと感無量でした。
 残念ながら、自分の助祭叙階式のときはだれが祭服を着せてくれたのか覚えていません。着せてくれるはずの推薦司祭小林五郎神父は、その3年前に亡くなっていたのです。叙階式が行われたのは、私の出身教会である小平教会ですが、そこはその7年前に私の父親の葬儀ミサがあり、3年前には親代わりの神父の通夜式のあったところでもありました。
 1986年の3月23日の自分の助祭叙階式は、十字架のイメージがくっきりと残る叙階式でした。なにしろ、受難の主日に行われたのです。その年は珍しく5人の助祭叙階式があったので、復活祭前の主日に順番にやっていくと、その日しか残っていなかったのです。当然、式は枝の行列で始まり、受難の朗読が行われ、会衆は前に亡くなっていたので、どなたかが代役をしたからです。叙階式が行われたのは私の出声を合わせて叫びます。「十字架につけろ、十字架につけろ」。その声をわが身に受け止めながら、「そういうことだよね」と、身の引き締まる思いをしたものです。
 さらにその日は、記録的な豪雪だったのです。朝方から降り始めた雪はみるみるうちに積もり、教会へ向かう私の乗った車は交差点の真ん中でストップ、参列者もタクシーで駆けつけるなど何とか来れたものの、式が終わるころには見たこともないほどの積雪となって交通機関がすべて止まり、お祝いもそこそこにみんなあわてて帰ったけれど、中にはその日はついに教会に泊まった人も出るという騒ぎとなりました。また、西武線が積雪によるポイント故障の事故を起こして、それに乗っていたシスターが怪我をするということもあり、まさに受難の主日の受難の叙階式でありました。でも、十字架から復活へ向かう主の後を慕うのですから、まさに「そういうことだよね」ということでしょう。
 大西新助祭の叙階式は何事もなく無事に終わり、これからの活躍に大いに期待ですが、あれから26年たった親代わりとしては、心から祈るばかりです。
 「神さま、すべてはあなたの恵みのうちにあります。どうか新助祭が、どこまでも秘跡の恵みを信じ、ひたすらに秘跡に奉仕し、秘跡そのものとなりますように。すべての十字架は復活に向かうという、真の希望の証し人となれますように」

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第21回

≪「荒れ野のオアシス教会」を目指して≫

中原 信一郎

 今回、このコラムを書いて欲しいとのお話を頂いた時は、ためらいを感じましたが、自分の心の内にいるイエス様、また父なる神様にさまざま問いかけた中、光栄に思い一筆書かせて頂くことにしました。
 人は生きている限り、心から『オアシス』を求めるものだと思っています。なぜなら、日々の生活において、渇きや苦しさを覚える時に『心の潤い・安らぎ』を求めることは自然なこと、少なくとも、私はそのように感じています。
 私自身にとって、「オアシス=心の潤い・安らぎ」とは、あるがままを受け入れてくれる「イエス様の愛の泉」、つまり「慈しみ」であると感じます。そういう意味で、私が両親の愛と神様の愛の「結晶」として生まれ、4歳の時に幼児洗礼を四谷のイグナチオ(麹町)教会で与かり、信仰生活を続けられることは大きな恵みです。これまでの信仰生活を振り返って見ると、幼児洗礼を授かってから、かれこれ40年近く経つなかで、私と関わってくださり、育ててくださった方々や出来事から、たくさんの影響を頂いたと深く感じています。中でも、私が通学していたプロテスタントの中学・高校のモットーである『敬神愛人』の精神が基盤となっていることも大きなことの一つと言えます。
 私は初聖体を7歳に受け2年後から侍者をし始めましたが、子供の頃は母親の命じるままに、いやいやしていたのを覚えています。でも、教会のお兄さんと一緒に侍者をし、神父さまにも可愛がってもらい(もちろん、なってないとかなり叱られました!)、愛情を持って接してくれたおかげで、居心地の良さを知らず知らずのうちに覚え、大人になってから、神様・イエス様のはかりしれない愛を意識して、感じることができました。姉の勧めでCLC(クリスチャン ライフ コミュニティ)と関わりを持ち、夫婦共に歩む日々は、「神に感謝」です。また、主なる神の御手に委ねながら、一時一時を大切にしていこうと思います。
 さて、東日本大震災から1年経ち、被災された方々が求める「オアシス」、またその方々に「オアシス」を与えたいと様々な形で、支援をされている方々がおられます。私自身も妻と共に、3日ほど釜石ベースにてボランティアとして参加してきました。被災された方々に「心のオアシス」を・・・という思いはあるものの、私達にできたことはほんの僅かにすぎません。しかし、少しでも力になりたいという思いの中で各地から来られていたボランティアの存在は大きくたくましいものでした。   
 教会での奉仕では、憂い・患いの中でもがき苦しみ教会に助けを求める方々のためにも、祭壇奉仕や祈りを通して「心のオアシス」という恵みが与えられるように、聖霊の働きと共に助けになれればと願っています。