巻頭言:主任司祭 豊島 治「導かれます」

導かれます

主任司祭 豊島 治

 急な気温の低下もあり。聖母被昇天は雨という気候の変化に心身ともに、とまどいをもった一カ月でした。皆様の体調はいかがでしょうか。
 今年は8月13日に「恐れることはない」の福音箇所があった年間第19主日のミサ、14日に多摩教会保護の聖人コルベ神父さま記念日のミサ、そして15日聖母被昇天と続きました。この三日間のミサをコルベ神父さまの生涯からみると、ふしぎな計らいを感じます。

 コルベ神父さまが列聖されたのは1982年。当時私は30数人の同期といっしょに堅信準備の勉強会に通う日々でした。そのなかでコルベ神父さまの生涯を学ぶことになりました。家族を想って命乞いを訴えたガイオニチェク氏の身代わりを申し出て処刑された神父さま。命の大切さとすばらしさ、いのちを育む家族への想いに話はつながっていたのです。「聖母の祝日に召されたい」と願ったコルベ神父さまは、亡くなった翌8月15日(聖母被昇天の日)に火葬されました。

 堅信をうける仲間と学びと分かち合いのなかで、凛としたコルベ神父さまの言葉やふるまいに感銘をうけました。そしてもうひとつ、ガイオニチェク氏の「死にたくない、家族をのこしてはいけない」という言葉に当時の私は何か感じました。生死をかけた緊張の場で発した家族への愛です。

 8月30日に教皇フランシスコの使徒的勧告「愛のよろこび」の日本語訳が発行されます。教皇さまは対話するための道具となるようにと、この本の活用をすすめられました。320ページもあるのですが、読んで分かち合うことによって「困難な状況」にある家庭を励まし、助けることができると訴えられました。

 結婚して家族をもつというあこがれは華々しいイメージを与えます。しかし、結婚そして家族は、入籍や結婚式当日に突然生まれるわけではありません。家族を形成してゆく過程にはときには、辛い毎日を二人でのりこえていきます。二人から、はじめて、一緒に創造していく長い人生航路の間には、喜怒哀楽の出来事が含まれています。人は他人の痛みは正確にはわかりません。どんな間柄でも同じです。しかし痛みは教えてくれます。痛みを分かち合いたい人がいて、そこで大切な存在に気づかせてくれるのです。コルベ神父さまは「家族の保護聖人」にもなっています。多摩教会を見上げるとき、聖人のとりつぎを願い、家族を思うことからくる痛みの意味を悟らせてくださいと願えるでしょう。そして今後、多摩教会で結婚の誓いをなさる方々には結婚講座をしっかりと行い、しっかりとした気持ちをもって向かっていくよう導きたいとおもっています。

 使徒的勧告『愛の喜び』は入荷次第、一年前にでた英語版とともに売店にて購入できます。

連載コラム:「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」

「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第80回
「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」

諏訪・永山地区 佐内 美香

 2012年クリスマス。心の病の人のためにクリスマス会をしようという、晴佐久神父様の提案で、「心の病で苦しんでいる人のためのクリスマス」、通称「ここクリ」が誕生。「年に一回なんて淋しい」という参加者の声に応えて、2014年夏から「心の病で苦しんでいる人のための夏祭り」、「ここナツ」が続いて誕生した。
 今年も「ここナツ」は主日のミサから始まった。そして参加者が書いた七夕飾りの短冊が奉納された。続いてフルートの演奏、正太郎くんのコンサート。どちらも心のこもったパフォーマンスで、その場の雰囲気をなごませたと思う。その後、信徒館に場所を移し、皆で食卓を囲んだ。一つのテーブルに2、3人のスタッフがつき、参加者のお相手をする。初めはポツリ、ポツリの会話でも徐々にうち解けてきて、時折笑い声も聞こえる。熱心に話を聞く人、少し暗い表情の方に語りかけている人、スタッフも慣れないながらも参加者の心に寄り添うことを心がけて接していた。食事はすべて手作り。この日のために皆腕をふるった。今年は国際色豊かなメニューで、タイ、ドイツ、イタリア、エジプトなどバラエティに富んだご馳走となった。食材も信徒の方が、ご自分の畑で作られた野菜を沢山提供してくださった。産地直送だ。楽しいひと時も終わりに近づき、皆で聖歌をいくつか歌った。名残惜しいのか、それでもおしゃべりは続く。最後の方が帰られたのは予定の時間をだいぶ過ぎていた。

 晴佐久神父様の異動後、去年に引き続き、今年も「ここナツ」を提案したが、正直なところ以前のように実行できるのか心配だった。「ここナツ」「ここクリ」に対する多摩教会の熱意も、年々冷めつつあるのではと懸念していた。実際ミーティングの出席者も少なかった。心がくじけそうになり始めたころ、数名の方々が助言してくださったり、準備を手伝ってくださり、当日のメドもついてきた。そして本番、ふたを開けてみるとスタッフ総勢約30名でお客様をお迎えすることができた。さすが多摩教会、いざという時の団結力は凄い! 今までのように、いや、今まで以上に良い集いとなった。

 ルカによる福音書(17:20)に、「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というイエスの言葉がある。この世には辛いことが多々ある。人は自分が生きるだけで精一杯だ。心の病の人、貧困の中にいる人を顧みる余裕がない。そんな中でキリスト者に求められているのは何か? 微力ながらも、そのような人々に神の国を垣間見せてあげたい。教会はこの世という砂漠の小さなオアシスだ。渇いている人の喉を潤すことができる。
 今年の参加者は約20名。でもこの裏にはもっと沢山の人々がいる。「いつかここナツに行けるようになりたい」「こんな催しがあるんだ」と心の励みになるだけでいい。私たちの知らないところでこの集いが種となり、小さな花をたくさん咲かせてくれることを願っている。