連載コラム:天国の先取り 〜ミサへようこそ〜

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第49回
天国の先取り 〜ミサへようこそ〜

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 佐内 美香

 「行きましょう、主の平和のうちに」
 この言葉に背中を押されて、私は毎週日々の生活を始動します。ミサに与るために生きるのか、生きるためにミサに与るのか -もちろん後者ですが、どちらか分からなくなるときもあります。

 初めてミサに与ったのは12年前、長女を通わせたいと訪れたカトリック校のクリスマスのミサでした。何の予備知識もなく、ミサ式次第もなく始まったミサでは、司祭と会衆のやりとりに圧倒され、挙動不審者のように、きょろきょろと周りをうかがい、立ったり座ったりを繰り返し、冷や汗のうちに終わりを迎えました。そのときに私の胸のうちに湧き上がった思いは、「ミサに滞りなく最初から最後まで与りたい。聖歌をきちんと歌えるようになりたい」でした。
 それから毎年、学校でのクリスマスのミサに与るようになり、ミサ式次第も手に入れ、年に一回のミサを楽しみにしていました。
 9年後、ご縁があって初めて多摩教会を訪れた日、教会でのミサは初めてだと気が付いたら、心臓の鼓動が速くなり、12年前の戸惑いが蘇ってきました。教会のミサに初めて訪れる者を教会の方々は、快く迎えてくださるのだろうかという不安が頭の中を支配し始め、教会へと続く乞田川沿いの道を行く私の足取りも重くなりました。
 そんな思いでたどり着いた教会の受け付けで、初めてだということを告げると、受け付けの方は温かく迎え入れ、ベテランの信徒の方を紹介してくださいました。その方のお陰でミサに滞りなく与ることができ、入門係をはじめ、たくさんの方々にお世話になり、今では10年も前からいたような顔をしています。

 「ミサは天国の先取り」と晴佐久神父様は言われます。
 ミサはこの世のオアシスです。私は、ミサのなかで神様がともにいてくださると実感します。聖体拝領で生きる力をいただきます。ミサは私の生活の中心です。毎日でもミサに与りたい。
 そんな私の願いが叶ったのが、昨年と一昨年の列聖式とイタリア・ローマ巡礼でした。毎日いろいろな教会を巡り、ミサに与りました。小さな聖堂、大きな聖堂、バチカンの聖ペトロ大聖堂でのミサ、列聖式のミサ、私たちツアーの参加者だけでなく、外国の観光客の方も一緒に与ったミサもありました。もちろん日本語で晴佐久神父様が司式されるミサに、外国の国の方々も神妙な面持ちで与っておられました。
 ミサに国境はない-当たり前かも知れませんが、そう思いました。

 そんな普遍的愛で私たちを包んでくださる神様の愛を実感できるミサを、天国を垣間見た私はまだ経験していない人々に伝えたい。私は何者でもありませんが、一信徒として伝えたい。
 そんな思いから日曜の朝、案内係として立つようになりました。戦々恐々としながら、ミサに与るようでは神様の愛どころではありません。少しでもゆったりとした気持ちで臨むことができるよう、お手伝いできればと思います。日曜の朝は普段と違い6時にはパチッと目が覚めます。今日はどんな方とお会いできるのだろうか?と楽しみでもあります。
 『ミシュランガイド教会部門』で三ツ星をいただけるよう、心を込めて初めての方をお迎えします。