巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

福音の村

主任司祭 晴佐久 昌英神父

  晴佐久神父の説教を掲載するホームページ「福音の村」が、開設されました。すでに待降節第一主日の説教から載っていますので、ぜひ開いてみてください。
これは原則として、晴佐久神父の多摩教会の主日ミサでの説教を信徒有志が録音してテープ起こししたものを、晴佐久神父が校正し、もう一度有志が最終チェックして掲載するものです。説教というものは特定の共同体内の特定の信徒に向けて語られるものですから、昨晩だれそれさんが亡くなったとか、個人名等が出てくる場合もありますので、個人情報の保護には十分配慮して、少しでも問題がありそうな場合は校正の段階で削除したり、匿名にするなどしていくつもりです。

  私の説教に関するこのようなホームページは、初めてのことではありません。ちょうど10年前にお隣の高幡教会にいたときに、熱心な信徒のチームが「福音の森」というホームページを立ち上げて毎週の説教を載せていたことがありました。これは高円寺教会に転任してからも続きましたが、4年前に半年間日本を離れたときをきっかけに中止しました。正直言って毎週の校正は大変でしたし、そもそも私のような原稿・メモの一切ないひらめき系の説教が全世界に流れることについての気後れもあったので、中止したときは残念な思いと同時に、少しホッとしたものです。
そんなこともあったので、数ヶ月前、あのころと全く同じような熱心な信徒チームが多摩教会にも自然発生して、あのころと全く同じような説教ホームページを作りたいと言い出したときは「やっぱりきたか・・・」という逃げ腰な気持ちになってしまい、簡単には「はいどうぞ」と言えませんでした。
しかし、すでに説教集を4冊も出しておいてなにをいまさらの感もありますし、来春からはラジオでも放送するとかですでに局が録音に来ていますし、なによりも福音を語れ、語れと人には言っておきながら、自分が臆しているのでは筋が通りません。このようなホームページを待ち望んでいる大勢の人がいるのは事実ですし、このたび、「福音の村」の村人たちの福音に対する情熱に後押しされて、お応えすることにしたという次第です。

  やるからには、ちゃんとやりたい。今回、今までと違う点のひとつは、たぶん説教をアップするスピードでしょう。なにしろ、日曜日の説教のテープ起こしをしたものが、早いときは当日の夜には私のところに届いているのです。その熱意に応えるべくこちらもすぐに校正にかかるので、早ければ水曜、木曜あたりにはできあがって配信されるというわけです。その週の福音の説教をその週のうちに読めるということで、そうなると何かと便利なこともあります。それも含めて、福音の村の上手な使い方を3つにまとめてみました。

  1:復習 話というものは聞いているようで聞いていないものですし、聞いてもすぐに忘れてしまいます。もう一度確かめることで、いっそう理解が深まります。また、校正してある文章で読むととてもわかりやすく、聞いたときとは違った発見もあります。福音にはさまざまな側面がありますから、そのときはあまり必要ない内容でも、ずっと後になって必要となったとき、確認することができます。

  2:予習 事情があってミサにあずかれないとき、その週の説教を読むことができます。典礼の暦には流れがあるので、欠かさず読むことはその流れに加わることができますし、それは次週以降の準備にもなります。特にこの神父の説教は「先週お話したベテルギウスの方角に・・」などと、連続物になっていることがありますので、油断できません。毎週のチェックをお勧めします。

  3:宣教 いうまでもありません。だれかにこのホームページを勧めること、イコール福音宣教です。ブログやメールで、こんなページがあるよ、おもしろいよと、どんどん流してください。特にこの話はあの人に聞かせたいという時で、相手がパソコンを使わない場合は、プリントアウトして送るという方法があります。以前は、毎週プリントアウトして、コピーして配っている人もいました。

  実際にこのホームページを開く方はほとんど多摩教会には来られない方です。自宅から出られない方、入院中の方、海外で日本語の説教を聞けない方、耳の不自由な方、そしてなによりも、今苦しんでいて、必死に福音を求めている方。ぜひ、「福音の村」という天国の入り口を教えてあげてください。あなたに教えられて魂が救われたという人が、必ず現れるでしょう。このホームページを支える「村人」たちも募集しています。アドレス等、詳しくは「福音の村」のご案内をお読みください。