連載コラム:「私の求める場所はここだった」

「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第67回
私の求める場所はここだった

稲城・川崎地区 Monica 下田 尊子

 Hallelujah !!!  多摩教会の皆さん、こんにちは。
 今回、「連載コラム」に載せていただくことになり大変嬉しく思います。昨秋、カトリック多摩教会家族の仲間に入れていただきました。どうぞよろしくお願いします。

 私は、4年前にプロテスタント教会で受洗しましたので、カトリック信徒への転会者です。最近まで、「私の洗礼は神様のお導きによるもので私が受け入れたから、私は生まれ変われた」と思っていました。ところが、旧知のペルーの友人や、数年前に滞在していたバンクーバーの友人たちが、実は地球の反対側から諦めることなく、長い間、私のために神に祈り続けていてくれたことを知り、根気強いとりなしの祈りがもたらしてくれた恵みに改めて感謝しています。

 さて、クリスチャンになった当初は、魂を生き返らせてくれる、み言葉に憩いを見出し、兄弟姉妹と共に祈り合うことで癒やしを得ていました。楽しんで教会活動に参加し、聖書勉強会へも積極的に出席していました。しかし、間もなく、信仰に何か違和感を感じるようになってきました。
 聖書をよりどころとし、そこからの学びから、かたくなで狭い解釈しかできなかった私は、人生の究極の問題にぶつかりました。「天国の住人には誰がなれるのか?」という問いでした。
 死後、誰でも天国に行くことができる?
 まさか、クリスチャンだけが行くことができるの?
 実際に昨春、父が逝去した時に、生前、浄土真宗の僧侶になった父との「天国」での再会を想像して、自分の信じているものに不確かさを覚えました。不安になりました。いつしか心の安らぎ、「砂漠の中のオアシス」を別の何処か他の所に求めるようになっていました。
 折も折、受洗後半年経った頃から私はプロテスタント教会の日曜礼拝に通いながら、長女に誘われてカトリック多摩教会に足を運んでいました。土曜ミサのお説教や金曜日の入門講座で、神父様が語られる慈しみに満ちた神様、イエス様のお人柄に耳を傾けると心が落ち着きました。安心できました。
 そして、私の求めるイエス様と再会して2年半が過ぎる頃、新しい風が私の中を通り過ぎました。爽快で心地よい気分になりました。その時、「私の求める場所はここだった!」、「やっとオアシスを見つけることができた!」、「隣人を愛する人たちの中で私も優しい人になりたい!」と気付き、教会を移ることを決意しました。すぐに神父様に願い出て、昨秋、カトリック信徒に転会することが許されました。
 主のみ心のまま、すでに2年前に次女、今春には長女が洗礼を授かりました。娘たちを導いてくださった聖霊のお働きと、「主の時」に心から感謝しています。
 二人の娘と一緒に御ミサに与り、欲しくて仕方がなかった御聖体、憧れの恵みのパンを今は毎週いただくことができて幸せです。
 「まだ、神様の大きな愛に気付いていない大切な家族、友人、親戚、みんなが心の扉を開いて主を招き入れることができますように」・・・これからも祈り続けます。

  「聖霊きてください。私の願いをお聞きください。主よ、お話しください。聴いています。さて、今日、私はあなたのために何ができますか? お望みなら、どうかあなたの道具として私をお遣わしください」
 主の平和