巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英 神父

被災地方報告・釜石教会と宮古教会

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 5月の塩釜教会と米川教会(南三陸町ベース)に続いて、6月に釜石教会、今月7月は宮古教会を訪問してきました。塩釜と米川は宮城県、釜石と宮古は岩手県です。
 釜石教会はかろうじて津波の被害を免れました。波はちょうど庭の聖母像の前まで来て止まったそうで、しばらくは聖母像の前に瓦礫がたまっていたそうです。震災以降、カリタスジャパンのベースとして大勢のボランテイィアを受け入れるとともに、被災者のための支援物資を配布する集積拠点としての役割も担ってきました。信徒館には常時バザー会場のように物資が並べられ、避難所の方や在宅の被災者がひっきりなしに訪れてきます。会場に整えられたカフェコーナーが地元の方々の憩いのサロンともなっていて、そこで被災者同士がひととき交流したり、傾聴ボランティアがさまざまな思いを受け止めたりする場として重要な機能を果たしているのが印象的でした。物は大事だけれど心はもっと大事、ということでしょう。

 釜石の町は、世界一を誇った堤防が津波の勢いを一旦食い止めたため、壊滅的ではあるけれど比較的建物が残っているのが印象的でした。とは言っても、残った建物も内部は瓦礫の山で、人は住んでいません。早朝ゴーストタウンの中を歩いていると、ふと人類最後の一人が町のメインストリートを歩いていくハリウッド映画のワンシーンを思い出しました。
 そんな被災地区のちょうど端のところに、プロテスタントの新生釜石教会があります。こちらは一階部分が津波被害にあい、牧師の柳谷先生は今も避難所生活をしています。先生が5月に多摩教会を訪ねてくださったご縁もあって先日の新生釜石教会支援コンサートが実現し、そのとき集った義援金を直接お届けしました。壁の破れた礼拝堂で教会員の方々とともに祈り、福音を語る機会を頂き、みなさんも宗派を超えたつながりを大変喜んでくださいました。
 この教会前にたつ通称「赤テント」は、いまや町の名物です。運動会の時に使うあの大きなテントですが、布の部分が赤いので大変目立ちます。常にお茶とお菓子が用意してあり、牧師先生はいつもそこに座って道行く人に声をかけてお誘いするので、さまざまな人がそこでくつろぎ、話し合い、時につらい気持ちを語ります。朝はコーヒー、夕にはビールも出るそのスペースは、さながら地獄の真ん中に出現した天国のようで、ある意味うらやましくもありました。教会に掲げられた横断幕には、「ものよりつながり」と書いてありました。

 宮古教会も被災を免れており、現在は札幌教区の支援のもとでボランティアベースとなっています。聖堂がボランティアの寝室ともなっていて、わたしも生まれて初めて聖堂で寝るという恩恵に与りました。祭壇前の、目を開ければ聖母像と目が合う位置で、常夜灯のように聖体ランプが点るところで横になると、なんだか妙に安心して涙がこぼれました。どの被災地に行ってもちゃんと教会があります。どんな悲しみの現場にも24時間聖体ランプが点っています。主は常に共におられることの美しいしるしです。
 被災した信者さんがたと、初めてということでしたが、海岸での野外ミサをすることになり、これは生涯忘れられないミサになりました。眼下に広がる海には、まだ大勢の人が眠っています。地上には想像を絶する被災の現実が広がっています。あまりにも過酷なその現実のど真ん中で、天地のつながるミサ、キリストの完全なる礼拝が捧げられる。それは、どんな支援や復興にもまさる、神の愛の目に見えるしるしであり、まさに「復活」のミサなのです。
 多摩教会として、今後も、釜石・宮古の教会を応援し、教会を通して被災地のみなさんを支援していきたいと思います。物、金、ボランティア、いずれも大事です。しかし、何よりの支援は、まずはまずはわたしたちが本当に神の愛を信じて祈り、聖なるミサを心をこめて捧げ、全ての神の子と心を同調させることだと信じます。