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二口さんを偲んで

吉良 元裕

 去る8月19日、長い間、教会のために尽くしてくださった二口輝子さんが帰天されました。7月頃から体調を崩されていたので、しばしばお電話をしたり、時には部屋をお訪ねしたりしましたが、そのたびに「大丈夫だから心配しないで」とのことで、結局何もしてあげられませんでした。市の福祉関係の方も何度か部屋をお訪ねになったようですが、やはり同じ反応だったそうです。他人の援助を断って、たった一人で病気に挑んでいたことを思うと、切なさで胸がいっぱいになります。
 私が二口さんと最初にお目にかかったのは14年前、まだ聖堂ができる前のことでした。信徒館2階で開かれていた聖書講座を初めて訪れたとき、入り口でとまどう私に、「はじめて?」と声をかけてきたのが二口さんだったのです。二口さんは私を席まで案内して、講座の概要や教会のことなどを詳しく教えてくださいました。緊張しきっていた私は椅子に腰かけ、ひと息ついた時に、やっと「こんな自分でもここに来ていいんだ」と実感したものでした。
その後も折りにふれ神様との向き合い方などを分かりやすく指導して下さった二口さんは、まさにこの教会と私を結んでくださった方でした。
 今年の受洗に向けての個人面談では、晴佐久神父様にそんなお話をして許可を頂き、二口さんに代親をお願いすることになりました。異性の代親というのは異例のことだったようですが、今となっては貴重でかけがえのない素晴らしい思い出となりました。
 受洗後もたびたびお目にかかって、食事をしながら、たくさんのお話を聞かせて頂きました。毎週神父様にお弁当を届けていることや、夜になるとブルーに浮かび上がる多摩教会の大きな看板のことなど。中でも看板については「私が神父様にお願いしたのよ」と、とてもうれしそうに何度も話してくださいました。
 その他にも、フィリピンの貧しい子供たちのために毎月、大量の学用品、文房具を自ら箱詰めして送っていたことや、横浜の教会を通じてホームレスの方々のためにたくさんのお米を届けるなど、様々な奉仕をしていらっしゃることもこっそり話してくださいました。そのほとんどは生活を切り詰め、労力を惜しまず、見返りも一切求めない支援で、なかなか真似のできることではありませんが、これらの行いを他人に知られるのを非常に嫌う、謙遜な方でした。
 帰天された後、40年前二口さんに洗礼を授けた戸塚教会のバーク神父様をはじめ数名の神父様が二口さんのためにミサを捧げてくださったと聞いています。亡くなるときは一人だったけれど、多くの神父様や教会の皆さん、そして神様に愛されて、とても幸せな人生を歩まれたのだと今しみじみ感じています。
 生前よく「私は天国へ行けるかしら」とおっしゃっていた二口さん。もちろん今は天国ですよね。イエス様のスリッパの履き心地はいかがですか?
 私がこうしてこの教会の一員でいられるのは、すべてあなたのお陰です。本当にありがとうございました。あなたと過ごした日々は決して忘れません。
 いつかまた会いましょう。