寄稿1:ワールドユースデーに参加して

ワールドユースデーに参加して

貝取・豊ヶ丘地区 塚本 博幸

 私は7月22日から29日に開催された「ワールドユースデー・イン・リオ2013」に参加してきました。この大会に参加できたのは、ひとえに多摩教会の皆様のおかげと感謝しおります。ありがとうございました。
 さて、今回の大会に参加したことに対し、先日も報告会を行ったのですが、カトリックニューズにもぜひ寄稿していただきたい、という依頼を受けましたので一筆とらせていただいた次第です。この駄文に目がとまって少々つきあっていただけたら幸いです。

 まずワールドユースデー(WYD)についてご存じない方もいらっしゃると思いますので少し説明したいと思います。
 WYDとは、1984年に教皇ヨハネパウロ2世の提唱で始まった青年カトリック信者の年次集会のことです。日程は1週間にわたって行われ、世界各国から青年カトリック信者数百万人が集まります。2、3年に1回のペースで開催されており、開催場所はカトリック国の持ち回りにより行われています。今回はブラジルのリオデジャネイロで行われました。

 このイベントのメインは何といっても最終日に行われる教皇ミサにあります。世界各国から集まったたくさんの若者(今回は約300万人と発表されています)と一緒に捧げるミサは壮観のひと言につきます。青く透き通るような海をたたえるリオデジャネイロのコパカバーナビーチで、国も人種も違う青年たちがキリストに対して祈りを捧げている。感動しない人はいなかったと思います。
 また、日本中のカトリック信者の青年と交流できたことも大きな収穫のひとつだと思っています。ご存知のように日本のカトリック信者は非常にマイノリティーです。普段はほとんど出会うことのない、同じ信仰を持った仲間たちと同じ時間を共有できたことは神様からの大きなお恵みだと思っています。
 そして、自分の中での信仰の位置づけも変わったと感じています。今まではカトリックというものに対し、どうしても堅苦しい考え方で接しがちでした。聖書の解釈の仕方、ミサでの立振舞い方、普段の生活の中でのキリスト者としての過ごし方、キリストと自分の人生の関わり方、などなど、、、。挙げていったらきりがありません。私はこれらに対する答えを求めようとしてブラジルに行きました。
 しかし、そこで答えは見つかりませんでした、いえ、正確にいえば見つけようとしませんでした。そこには、あるがままの若者たちであふれかえっていたからです。そこで私は気づきました。
 今までの自分は堅苦しく一つの答えを神に求め続けていたこと。そして、そのままでは結論はいつまでたっても出ないのだ、ということ、です。堅苦しい考え方で一つ一つ論理的に神を求めていくことも、ひとつの道なのかもしれません。しかし、それに行き詰まったときは初心に立ち返り、もう一度まっさらな状態で神と向き合うことが大切なのです。神は愛です。決して論理で説明できるような代物ではありません。それを今回のWYDで学ぶことができました。

 長くなりましたが、自分をブラジルまで連れて行ってくださった神様のお導きと、それに対して経済的な支援をしてくださった多摩教会の皆さまに感謝の意を述べて今回の結語とさせていただきたいと思います。
 本当にありがとうございました。