巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「霊的炎の発火点となりますように!」

霊的炎の発火点となりますように!

主任司祭 晴佐久 昌英

 元日のミサの説教で、「今年は出発の年」、「何かを始める年」だと申し上げました。
 もちろん、いつだって新しく出発できますし、いつでも何かを始められますけれど、なぜだか今年は特別だという気がしてなりません。これは聖霊の促しかもしれませんし、もしそうであれば、まっすぐに受け止めて、なにか素晴らしいことを神様のために始めなければならないと思っています。
 みなさんも今年、聖なる霊に導かれるままに、新しいチャレンジをするとか、召命を受け入れて出発するとか、「何かを始める年」にすれば、想像をはるかに超える大きな実りが生まれるのではないでしょうか。
 

 たぶん、そんな風に感じるのには、新しいパパ様、教皇フランシスコの影響も大きいと思います。彼の就任以来の、信徒への率直な呼びかけは、常に単純明快、愛と喜びに満ちていて、思わず「それならやってみようか」と思わせる、不思議な力を持っているからです。
 ホームページ「福音の村」(※1)で、もう一度読んでいただきたいのですが、昨年12月1日と、15日のミサの説教(※2)で触れた、教皇フランシスコの最初の使徒的勧告「福音の喜び」の冒頭は、次のようなものです。
 「福音の喜びは、イエスに出会ったすべての人の心、その人のすべての命を満たすものです。イエスによる救いに身を任す人々は、罪から、悲しみから、内面的な空虚から、孤独から解放されます。イエス・キリストと共に、この喜びは生まれ、そして常に生まれ替わっています。この勧告の中で、この喜びを主題とする福音宣教の新しい段階へキリスト教の信徒たちを招き、これからの数年間における教会の歩みの道のりを示すために、私は信徒の皆さんに呼び掛けたいのです」  
 これは多摩教会の井上信一さんが仏語版から訳したものですが、読んでのとおり、まさに私たちを「喜びを主題とする福音宣教の新しい段階」に招くものであり、そう呼び掛けられて、「よし、出発しよう」と思わせられます。

 また、1月12日の説教で触れた(※3)、「中央公論1月号」(※4)に掲載された教皇インタビューの内容も、「さあ、始めよう」と思わせる呼びかけに満ちています。
 「(教会は)すべての人の家なのです。選ばれた人々だけを収容できる小聖堂ではありません。普遍的教会の広いふところを、我々の生ぬるさを守ってくれる鳥の巣籠りに狭めてはなりません。真の教会は母なのです。限りなく子沢山であるべきなのです」
 「教会が今日最も必要とすることは、傷を癒す能力です。信ずる人たちの心を温める力です。身近さと親しさです。教会は戦闘後方の野戦病院だと思います。重い傷を受けた人に、コレステロールや血糖値を尋ねるほど無意味なことはありません。まず傷ついた人々を癒すべきです」
 「教会はこれまでしばしば些細なこと、小さな掟に関わりすぎていました。もっとも重要なことは、『イエス・キリストは、すべての人を救われた』という幸いな知らせです」
 「教会は、戸を開けて人々が来るのを待っていて、来れば受け入れるだけではだめです。新しい道を見出す教会、内に籠もるのではなく、自分から外に出ていき、教会に通わなくなった人々、無関心な人々のところに出かけていくような教会であるよう一緒に努力していきましょう」

 なんと、教皇様から「一緒に努力していきましょう」と言われてしまいました。「はい」というしかありません。むろん現実には困難も多く、様々な恐れも感じますが、もしかすると私たちは、この危機的状況の現代社会にあって、神様から特別の選びを受けて、キリストによる救いを野火のように燃え広がらせる、決定的な恵みのときを迎えているのではないでしょうか。
 願わくは我らが多摩教会が、そんな霊的炎の発火点となりますように!
 神からの招きを無駄にせず、このような時に出会えたことに感謝と誇りを持って、仲間である皆さんと共に、この新しい年を生きていきたいと心から祈っています。



※【 参照 】

※1:「福音の村」
・ 晴佐久昌英神父のカトリック多摩教会でのミサ説教集(HP)
  >>>>> アドレス: http://www.fukuinnomura.com/

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※2:「昨年12月1日と、15日のミサの説教」
・ 「昨年12月1日」のミサ説教・・・2013年12月1日<待降節第1主日>説教
   「この教会に出会っていなかったら」(「福音の村」)

・ 「昨年12月15日」のミサ説教・・・2013年12月15日<待降節第3主日>説教
   「神には、おできになる」(「福音の村」)

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※3:「1月12日の説教」
・ 「1月12日」のミサ説教・・・2014年1月12日<主の洗礼>説教
   「教会は野戦病院であれ」(「福音の村」)

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※4:「中央公論1月号」
 『中央公論』
 本誌で「教会は野戦病院であれ」のタイトルのもと、12ページに渡り掲載。
 質問者:アントニオ・スパドロ神父(Civiltà Cattolica編集長)、翻訳:門脇佳吉神父(上智大学名誉教授)。
(2014年1月18日現在、Amazonでは古書が販売されていますが、楽天ブックスなどでは、完売となっています。購入したい方は、『中央公論』のHP、「中央公論.jp」の「バックナンバー」からどうぞ)
 
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