2015年6月号 No.502

発行 : 2015年6月27日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


ここヤシの家に小聖堂を!

主任司祭 晴佐久 昌英

 ついに念願かなって、「ここヤシの家」の小聖堂の建設が始まりました。
 この建物の建設に、ぜひご協力をお願いします!
 ここヤシの家というのは、晴佐久神父が一昨年、奄美大島の南に位置する加計呂麻島の海辺に開設した合宿所で、600坪の敷地に20人ほど泊まれる宿泊棟が建っています。寝室にシャワールーム、トイレ、キッチンはもちろん、30畳ほどのライブスタジオもある、夢の合宿所です。
 「ここヤシ」というのは、「こころのいやしを求める青年のつどい」のことで、昨年夏にこの合宿所で「第1回ここヤシキャンプ」を開催し、日ごろ心の病などで苦しんでいる青年たちが「これこそ教会だ!」「ここが神の国だ!」と言えるような天国的な日々を実現することができました。詳しくは、昨年のニューズ8月号巻頭言をごらんください。(>>>こちら です)

 合宿の中心は、何と言ってもミサです。
 日ごろ人知れずつらい思いを抱えている青年たちが、ひとつの家族として共に福音を聞き、互いの苦しみを分かち合って祈り合い、祭壇を囲んでキリストの体をいただくひとときは、人間はこのようなことのために生まれ、生きているのだと感じることのできる、かけがえのない体験です。実際に、「今まで多くのミサに出て来たけれど、一番素晴らしいミサだった」と涙した青年もいました。
 合宿所ではいつも、外のひさしの下のようなところにイスを並べてミサをしていましたが、やはり一番大事なことを一番大事にしようということで、このたびの小聖堂建設という運びになりました。
 本当は敷地内の別の場所に立派な聖堂を建てる計画があり、その名も「ステラ・マリス(海の星=聖母マリアの別称)聖堂」と決まっているのですが、今はとてもそんな資金はなく、とりあえずスタッフルームも兼ねた小聖堂を建てることにしたものです。
 敷地内で最も海側の立地のいいところに12畳ほどの小屋を建てているのですが、実は建物の中心はその小屋というよりは、海側に向けて16畳ほど張り出した屋根付きのオープンテラス。いわゆるウッドデッキですが、満潮時には直下まで波が来るという、水上バンガローを思わせる夢のロケーションです。この夏、このテラスで、潮風に吹かれ、波の音を聞きながら仲間たちとミサを捧げられると思うと、今から胸がドキドキします。

 思えば、青年たちのたまり場だった我が家は、ほとんど合宿所のようなものでした。マンションの一室ではありましたが、そこに一度に30人泊まったこともありますし、家庭ミサだって何度やったことか。教会の仲間たちみんなで飲みかつ食い、時には深夜まで未来の夢を語り合ったりしたものです。
 そんなときよく出てきた話題が、信じる仲間たちの居場所づくりでした。いつの日か、どこかに土地を求めて、このマンションのようにみんながいつでも集まれる家を建て、ステキな聖堂を作ってミサをしよう、と。おとぎ話のようなそんな夢を語り合っているときは本当に楽しかったけれど、40年もたってからそれが実現していることに、われながら驚いてもいます。さらに驚くのは、今、そこでの「ここヤシキャンプ」を企画しているスタッフの中に、その頃夢を語り合った仲間が5人も参加している、という事実です。夢を語ること、そして夢を見続けることって、大切ですね。

 小聖堂兼スタッフルームの建設には、250万円かかります。お世話になっている隣の海宿のご主人が、ぼくらの夢の実現のために、原価で建ててくれているので、破格の値段です。すでに棟上げが終わり、写真も届きましたのでご覧ください。
 夢の実現のために、みなさんからのご寄付を募っています。ご協力くだされば幸いです。寄付の方法は、「福音の村」のホームページをご覧ください(>>>こちら です)。なお、ご寄付くださる方は、ぜひとも住所氏名をお知らせください。今年の夏に、プロのカメラマンが撮影する、合宿所の映像及び晴佐久神父が毎夏キャンプをしている近くの無人島の映像を編集した限定DVDを、ささやかなお礼として差し上げたいと思います。
 映像には、ドローンの4Kカメラによる空撮映像も入ります。お楽しみに!

  
(画像はそれぞれ、クリックすると拡大表示されます)

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第54回
神様の御心はここに

稲城・川崎地区 秋吉 めぐみ

 「どうして転会したの?」と聞かれる。昨年、主人がカトリックで洗礼を受けることになり、長い間の私の願いが叶うことになった。嬉しくて嬉しくて、二人並んで神様の御前に立つという夢を実現するには、私が転会するしかない、と思ったのは確かである。が、実はそれだけではなかった。ひと言、私の方もカトリックの「神様のやさしさ」に触れ、魅かれてしまったからだ。

 入門講座、ミサ後の私の心は、プロテスタントの聖書研究会、礼拝後のそれとは全く違うものだった。心軽く、自由な、ウキウキした、手を大きく広げて空を見上げて叫びたいような気持ち。一方、自らを戒め、律し、御言葉に従って過ごさねば、と、眉間にしわが寄るような気持ち。同じ御言葉をいただいているのに、この違いはなんなの?
 毎週、放蕩娘のようになって礼拝にでていた私は、神様からの御言葉によって「しっかりしろ! 来週は誇れる自分になって戻ってこい!」と言われ、「ごめんなさい、今週は頑張ります」と悔い改めの涙で一週間を始めるものの、良い娘にはなれず、またすごすごと礼拝へと戻っていくその繰り返し。その頃は、キリスト教はそういうものだと思っていた。愛のむち。毎週気持は新たにされるけれども、そこに喜びはなかった気がする。一方ミサの中の神様は、御言葉と一緒に聖霊を送ってくださり、「一緒にいるからだいじょうぶだよ。一緒に歩んでいこうね」と背中を撫でてくださる。そこには温かな喜びの涙があり、素直に御言葉に従いたくなる。毎週抱きしめていただくのだからミサが待ち遠しい。礼拝におられる神様、ミサにおられる神様、どちらも同じ神様だ。神様は愛の方。神様は私たち子どもの笑顔が嬉しい。だったら、神様の御心はどっちに?

 カトリック信者となった幸せな私だが、今の自分を生み、育ててくれたプロテスタントの教会には感謝している。あちらの教会員のことも大好きで、「実家の家族」と呼んでいる。神様の御心ある教会になりますようにといつも祈っている。
 私の一日は、晴佐久神父様の二つの日めくりカレンダーをめくることから始まる。まず声を出してゆっくり読む。しばし絵を眺める。絵の中に「私」を置く。ほら、今日も聖霊「✽.。.:*・゚」に包まれ守られている私。神様に愛されている私。だから「今日もきっといい日」。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

   6月5日の初金ごミサで晴佐久神父様は、「人それぞれに、みんな思いも、暮らしも違っていますが、神様は貴方が何を思っていようと、何を悩んでいようと全てをご存じの上で、とりはからって下さいます。私たちは時に、身のまわりに聖霊が働いておられるのを感じることがあります。神様をたたえ、信頼し、何もかもお任せしましょう」と話されました。

 続いての初金家族の会の例会、今回、卓話はなく、テーブルを囲んでお互いに楽しく語り合いました。多摩教会のホームページを見て、初めて参加されたという方など、多摩市内だけでなく、埼玉からお出でになったご婦人も、すぐに和やかな話の輪に加わり、くつろぎの一時間をご一緒に過ごしました。

 次回、7月3日(金)には、永山地区のトマス三郎さんに、受洗の頃の思い出などをお話しいただく予定です。皆様どうぞ、ご自由にお気軽にご参加ください。