2017年2月号 No.522

発行 : 2017年2月18日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


き ま す

主任司祭 豊島 治

 寒い日々、私が修道院のミサから帰るとオアシス広場に雀(スズメ)がいます。
 まだ人の往来の時間ではない静かな空間で元気に鳴いています。
 空が青くなり道路の往来がにぎやかになってきたころ、鶇(つぐみ)が舞い降ります。雀はその場をゆずり飛び立ち、鶇はオアシス広場の主(あるじ)となります。これが、今年「春一番」までの多摩教会・朝の風景です。

 「復活祭が遅い年は春がくるのも遅い。」といわれます。
 どうりで毎年多摩西部では復活祭の前に桜が満開になっているような気がします。
 3月1日から四旬節を迎えるにあたって、私たちは季節の「春」より上の「喜びの春」の体験を迎えるようになろうではありませんか。

 2月の25日の土曜日は黙想会をします。「多摩教会黙想会は初ではないか」とおっしゃった方がおられました。新しい人を招き常に宣教の熱意をもって歩んだ教会は一旦振り返ることが必要です。個人としても共同体としても。
 14時から17時半まで行います。その後ゆるしの秘跡があり、ミサへと続きます。

 2月26日には「列福記念特別講話」があります。福者ユスト高山右近が2月7日に列福されました。私たちにとって殉教はどんなふうにとらえているのか、30分くらいの短い講話をきいて今の私になにができるか身につけましょう。

 その一カ月後、4月2日にカリタスジャパンの瀬戸神父さまをお招きして四旬節特別講話があります。四旬節の期間中「愛の献金」がおこなわれます。四旬節メッセージに即して過ごすことをミサ後30分くらいの講話をきいて役立てましょう。喜びの春を体感するために。

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

一瞬の勇気で、一生の家族!
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第74回
「見返りを期待しない他者とのかかわり」

諏訪・永山・聖ヶ丘地区 南部 憲克

 飛行場を出ると外は真っ暗だった。深夜の暑さと車のクラクションに排気ガス、私はインドに初めて降り立った。ここはムンバイ。後ろからほんのかすかに袖を引く者がいる。必ず振り向かせるとの強い意志を感じる。意志に振り向けば、腰骨に1歳ほどの子を乗せた母親が、すでに右手を差し出している。子は、じっと私を見つめて、まばたきもしない。明らかに母親に協力している。これが母子の職業。紙幣を握った右手は素早くサリーの中へ。言葉はない。高い方から低い方へ水が流れるのは当たり前なのだ。
 「見返りを期待しない他者との関わり!」これがインドの最初だった。

 もう27年も前になる。NGOの主宰者とインドやバングラディシュを訪問することになった。
 小さなビニール片を重ねた屋根のスラム街。たくさんの子どもたち。恐る恐る1人が寄ってきて、私の受け入れを見るとたちまちとり巻く。元気が私をとり巻く。貧しさには負けていない。失礼がないように大声で叱る父親、母親は、土間の片隅で夕食の支度をしている。これが家族。
 ささくれた黒板でチョークの授業が進む。40人ほどの教室。中学生のような女の子のそばには1年生のような男の子もいる。それだけではない。ガラスのない窓から重なるように顔、また顔、顔がのぞいている。外の子どもたちは、仕事をしていて、学校には行けないのだ。
 生まれてから死ぬまで固定化された格差社会。だが、子どもたちには屈託がない。NGOはこの壁を取り崩そうと子どもたちに「教育」を贈り、学校を建設し、井戸も掘り、病気の子を救うこともしてきた。

 私の里子の1人は、南インド・チェンナイにある「マルコホーム」の少女だ。デカン高原の南端、大きな岩に小さな灌木の不毛の地。5人のシスターが、大きなマンゴーの木の下で、鍬を振り上げて、井戸を掘り、学校を作ってきた。25人ほどの子どもたちは、玄関先で勉強の最中だった。「ホールへ集まりなさい」シスターの声。誰も立ち上がらない。だけど動き出している・・・。皆手で体を引きずって移動している。誰も手助けしない。マルコホームは、ポリオなどで親から捨てられた子どもたちが暮している。
 NGOが、毎年手術費を届け、順に手術を受けて歩けるようになった。中には麻酔を断った子もいた。麻酔代を他の子の手術費に充てたのだ。
 数年後、女の子に再会した。しきりに目をこすった。親と呼べる人を持たない。親に会えたうれしさに涙が出て止まらないのだ。女の子は、手術を受けても自分の足で立つことはできなかった。やがて女の子は17才になった。「私は弁護士になって、障害を持った人や貧しい人や女性のために闘いたい」と表明した。少女は、飛び抜けて成績が良く、六年制の大学へ入学した。しかし、その先は難関らしい。女の子は銀行員になった。眼鏡の奥には柔和な目があり、動作は落ち着き払っている。きっと人の苦しみや悲しみに寄り添うように生きているに違いない。

 「日本の家族が幸せで健康でありますように!」里子たちは祈ってくれている。皆、毎日、早朝からのミサを欠かさない。期待しないのに届けられる見返り。オアシスはこんな人と人との関わり。
 NGOの名は、「エスナック」。主宰者独りで1人の里子から始めて35年、巣立った子は6000人を超える。主宰者はシスター藤田。私の代母だ。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 北風の冷たかった節分の2月3日、初金ミサで豊島神父様は「世間的には損な生き方、茨(いばら)の道かもしれませんが、沢山のお恵みを受けている私たちです。 真っ直ぐな道を歩きましょう。神様はきちんと支えてくださいます」と話されました。

 続いての初金家族の会では、ニューヨークの国連日本政府代表部で7年間、そして、国連児童基金(ユニセフ)の南太平洋フィジー事務所で2年間、帰国後は東京の在日外国大使館で20年以上勤務されている多摩教会信徒の方がお話ししてくださいました。外国からの在日政府高官の間で、日本人そして、日本料理やテレビ番組などの日本文化に対し、いかに関心が強く人気があるかについて、また異文化のなかでのご自分の失敗談など、ユーモアを交えた貴重なお話を披露なさり、初参加の8名も交えて40数人が集まって盛会でした。

 初金家族の会、次回3月3日には、遠藤周作原作、スコセッシ監督が映画化した「沈黙」をめぐって、現代に生きる私たちにとって「殉教」とは・・・との問いかけをテーマに、信徒の中嶋 誠さんにお話ししていただき、ひき続き豊島神父様を交えてみんなで自由に意見交換、わかちあいをする予定です。
 映画をご覧になった方も、見ていない方も、この機会にどうぞご参加ください。