2017年12月号 No.532

発行 : 2017年12月23日
【 巻頭言:主任司祭 豊島 治 】


WELCOMEからはじまるクリスマス

主任司祭 豊島 治

 12月16日 菊地功(きくちいさお)東京大司教としての着座ミサがカテドラルにて行われました。構内にモニタールームが設置されていたものの堂内は通勤電車並みの混雑でした。全国各地からまたドイツやアフリカからも参加され「多様性による一致」をかかげる新大司教の道がスタートしたことになります。
 着座式の冒頭でフランシスコ教皇からの任命書が朗読され、岡田大司教から東京教区牧者(ぼくしゃ)の象徴である杖・バクルスが菊地大司教に手渡されました。「菊地大司教様、よろしくおねがいしまーす」との声が堂内にきれいに響きながら託された牧者の杖の委譲に岡田大司教の長年の苦労と解放されたことの安堵が感じ取られ、長年大司教ミサの侍者をつとめた若者たちも笑顔になり、拍手がわきおこりました。岡田大司教の紋章に刻まれたモットーは「主に望みを置く人」でした。「多様性における一致」も主に望みを置く人だからこそできる大きな展望です。

 イエス様の降誕(クリスマス)を待ち望む私たちは、年末のいそがしい時間の渦から一時(いっとき)でも抜け出して少し立ち止まり、世界中の方と同じ地域の方とそばにいる方と心を合わせた人生の旅をともにしているという意識をもとうではありませんか。そこに多様性の一致への入り口がみえてくるのではと考えます。
 今年のある時期「排除」という言葉が大きく報道されました。排除したくなる側としては論理があるでしょう。しかし救い主イエスがこられたのはそんな人間がもってしまうかたくなさを超えましょうというメッセージがあるのです。そうすれば新しいすばらしいものが生まれます。

 「排除されていい人はいない」「神さまからの愛にふれなくていい人などいない」というメッセージを私たちの姿であらわしてみてはいかがでしょう。聖なる家族は置き人形の姿にあるのではありません。移住を余儀なくされる人、排除を経験されている人、孤独な立場の人も含めこの星の生きとし生けるものにある。そんな意識を多摩教会としてもつために、カリタスが行っている、リーチアウトフォトという企画を実行することにしました。簡単なことです。「ようこそ」という歓迎のポースを写真に撮り、それを広報媒体にのせてメッセージを贈るのです。国際カリタスは2000万枚をあつめようとしています。それは写真をつなぐと地球一周分となり世界が手をつなぐということになるそうです。国際カリタスのホームページにも申請し掲載しますし、技術的な面も可能なら多摩教会広報にもひろげてみてはと思います。
 実施担当は多摩教会家族委員会におまかせしました。掲示や呼びかけで写真撮影の日を発表します。どうぞ参加ください。
 12月25日の前夜が日曜日という降誕の日、世界に向けて「ようこそ!」「ともに人生を旅しよう」を発信する気持ちにもなって、Welcome Baby Jesus!(幼子イエス ようこそ!)の優しいクリスマスの祝いにつなげましょう。

Archbishop_Kikuchi菊地大司教様もこの企画に参加しています。(CJホームページより)

Fr_Toyoshima
少し照れがはいっていますが、豊島神父も参加しています。
(このキャンペーンは二年間2019年まで続きます)

 今年もいろいろお世話になりました。2018年もよろしくおねがいします。

【 連載コラム 】


「荒野のオアシス教会を目指して」

やさしく、あたたかく、心からのオアシスづくり
連載コラム「スローガンの実現に向かって」第84回
連載コラムを振り返る

和田・東寺方地区 竹内 秀弥

 このコラムは晴佐久神父様の提案がきっかけとなり、設けられたものですが、今月のコラム執筆の依頼を受け、悩んだあげく、このコラムのトップバッターは、自分だったことを想い起こし、コラム創設の経緯について書いてみることにします。
 晴佐久神父様は、2009年4月に当教会に赴任され、それから半年ほどの時期に旭川六条教会から献堂記念講演の依頼を受けられました。私もこの地で暮らしたことがあり、帰られた神父様と旭川の話に花を咲かせた中で、旭川の教会報をもらってきたと、メモを付けて渡されました。そのメモには「信仰の分かち合い」という記事、なかなかいいでしょう? 真似できるかも? と書かれており、この提案を受けて、翌年の3月号からコラムがスタートすることになりました。
 物書きのプロの神父に、なかなかいいでしょう、と言わせた旭川の信徒の方の文章とは、どんなものだったのかと読み返してみました。要約すると以下のようなものです。

 私は、昨年50歳で結婚、幼児洗礼だった自分は、30年以上も教会を離れていて、この結婚を機に教会に復帰はしたものの、「ただ毎週ミサに与っているだけで、果たして真のカトリック信者と言えるのか」という疑問が常に頭から離れずにいた。そのことを妻に話したところ、アルファ・コースを紹介された。これは全世界で行われているキリスト教を分かりやすく教える入門講座で、その内容は、毎週テーマを絞ったビデオでの講話を聴き、それについて12名ほどで、分かち合いをすると云うもの。人前で意見を述べることが、大の苦手の自分に最後まで続けられるか不安があったが、毎週日曜の午後10週間、札幌まで通った。このコースは、実に綿密に構成され、答え易い質問が投げかけられて、知らず知らずの内に、参加者は心の扉を開いて、イエスに近づいて行く。
 このクラスの中で、幼児洗礼は自分一人で、他の方が強い信仰心を語られる姿に圧倒されていたが、自分もこのコースに参加したからには、聞いているだけでは意味がないと、虚勢を張らずに現在に至る信仰生活を、ありのままに話した。高校3年までは毎週教会に行っていたが、親元を離れてからは教会から離れた生活を、何十年も送ってしまった。それでも心の底には毎晩家族で祈っていたことなどを思い出していたが、結婚を機に信仰生活に復帰できた。恥ずかしい信仰告白だったが、ここで全く予想もしなかったことが起きた。皆さんが私の話に聴き入り、大きくうなずき、感銘を受けられたようで、特に「毎晩家族そろって祈っていた」ことに大きな反響があった。そして、このコースの終盤に、リーダーからあなたの信仰が消えなかったのは、ご両親がいつもあなたのために祈っておられたから、そして家族で毎晩祈っている信者なんてそうそういませんよと、言われた。
 その日、帰宅して、コースのことを妻と分かち合っていたその時に、強烈な「気づき」を体験した。それは、これまで私の結婚が最大の神の仕業と思っていたが、そうではなく、幼児洗礼こそが、神の最高の恵みだったのだと、気づいたことだ。その幼少期の信仰体験をメンバーに何気なく語ったことが、皆さんに感銘を与えたのだ。さらに自分の信仰を築いていくため、聖霊の働きによって同じ志を共にする人たちと地区長の鈴木神父様の協力を得て、この4月に旭川教会にアルファ・コースを開くことができた。自分はこのコースを通じて、神を知らない人たちに福音宣教を行い、私自身が一歩でも神に近づきたいと思っている。

 以上が文章の要約です。
 私の書いた第1回のコラム「我が故郷の上杉鷹山に習って」の感想を、当時、恐る恐る神父に伺うと、「アーあのお国自慢ねー」の一言でした。田舎の図書館から資料を取り寄せたり、友人に意見を求めたりと、それなりに苦心して書いたつもりでしたが・・・。
 最後に今後とも、「荒れ野のオアシス教会を目指して」というタイトルに相応しいページになるよう皆さまのご協力をお願いします。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

 冷たい北風の吹く師走、12月1日の初金ごミサのお説教で豊島神父様は、「内外ともに諸々の情報が錯そうする昨今ですが、まずは心を神様に向け、どうぞお力をお与えくださいとお願いしましょう。今日のルカによる福音にも『天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。』とあります」と話されました。

 続いての初金家族の会、この日は待降節にふさわしいクリスマス曲が波多野直子さんのオルガン、フォルティシシモのメンバーのコーラスで演奏され、美しい調べを聴きながらご一緒に楽しく過ごしました。

 次々と貴重な体験談などが披露され、お互いに考えや希望をわかちあって親睦を深める集い、「初金家族の会」です。正月はお休みで、次回は2月2日(金)開催予定です。どうぞお気軽にご参加ください。