2012年9月号 No.469

2012年 9月号 No.469

発行 : 2012年9月15日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 神父 】


あなたはもう救われている

主任司祭 晴佐久 昌英神父

 私の神学校での卒業論文は、「救済論」に関するものでした。
 「救いとは神に還る大いなる潮流のようなもので、私たちの意識と意思はその潮流の中に生起している。その救いの潮流に目覚めることが生きる意味であり、目覚めて初めて私は真の私になる。それこそがキリストの道であり、救いである」というような趣旨のもので、その2年ほど前に体験した自らの救いの出来事を何とか言葉にしようとしたものでした。
 その出来事とは、信仰を見失って絶望し完全な闇に飲み込まれたにもかかわらず、恩寵の光によって救われたという体験ですが、それは「救いが与えられた」というよりは、「もとより救いの内にあったことに目覚めた」というような強烈な覚醒感を伴った体験であり、そのとき、「神であり人である」キリストの意識とはそのようなものだと直観したのです。
 以来、救いとは、今はここにない架空の救いを求めることではなく、今すでにここにある現実の救いに目覚めることだという確信を深めて、「神の愛、キリストの恵みによって、あなたはもう救われている」という福音を語り続けてきました。

 第二バチカン公会議開催50周年と『カトリック教会のカテキズム』発布20周年を記念して、本年10月11日より2013年11月24日までを「信仰年」とすることになりました。これは、現代の教会がある意味で危機的状況にあり、それを克服する契機とするためです。確かに、信仰生活の低下や、秘跡への参加の減少、信仰の本質が見失われつつあること、神の国の世俗化などなどの現実は「危機的」と言えるかもしれません。しかし、それを克服するキリストの道を教会はすでに知っていますし、あとはそれを信じて歩むだけです。その道とは、救いの宣言、すなわち福音の宣言です。
 福者ヨハネパウロ二世は、回勅『救い主の使命』の中で次のように語っています。
 「わたしたちと同様に、キリストの御血によってあがなわれながら、神の愛を知らずに生きている何百万人の兄弟姉妹がいることを考えるなら、落ち着いてはいられません」(86番)。まさに、「すでに救われている」のにそれを知らない人にそれを伝えるのは、キリスト者の第一の使命であるはずです。わたしたちはすでにキリストの来られた新約時代を生きているのですから。
 50周年を迎えた第二バチカン公会議の意義については様々な側面から語られてきましたが、私に言わせればその第一の意義は、特殊な条件に閉じ込められていた「救い」の普遍化だったのではないでしょうか。公会議は、閉ざされていた「救い」を開いたのです。神の無限の愛による大いなる救いのわざを、特定の宗教、相対的な教義、特殊な儀礼、この世の戒律、人間の基準に閉じ込めることが、どうしてできるでしょう。
 イエスは言いました。「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ12・32)。すでにイエスは十字架によって「すべての人」の罪をゆるし、地上から上げられて「すべての人」を救ったのであり、復活の主に促された弟子たちは、それを宣言するために全世界に出発したのではなかったでしょうか。
 

 「すべての人は救われている」という真に普遍的な福音を原点にすることこそが、危機を克服する第一の方法です。20周年の『カトリック教会のカテキズム』も、控えめながらもそのことに触れています。「教会はだれ一人滅びることのないように、『主よ、あなたから離れることのないようにしてください』と祈ります。確かにだれも自分で自分を救うことはできませんが、これと同じく確かなことは、神は『すべての人が救われること』(1テモテ2・4)を望んでおられ、神には『何でもできる』(マタイ19・26)ということです」(1058)
 6月号で書いたように、このような普遍的な救い「天の救い」に目覚めることこそが、この世における救い「地の救い」です。これについては、最近ちょうどそれについて触れた説教がラジオで放送されたこともあり、多くの方から「救われた」「目が開けた」という反応を頂いています。信仰年を、ぜひこのような普遍的な救いの福音を強調する一年としましょう。それこそが、人々を、神の救いの目に見える最高のしるしである洗礼の秘跡へ導く王道です。
 自分は救われないと感じている何万人もの兄弟姉妹が多摩市にいることを考えるなら、落ち着いてはいられません。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第23回

≪ 優しい支えあいで育むもの≫

志賀 晴児

 多摩教会に転入して先ずは晴佐久神父様の真摯な宣教姿勢、抜群の行動力と魅力的な個性に感動しました。日頃の出来事や感じたことなどを交えて、一人一人に率直に語りかけられる《オール・アドリブ》の生きたことばでのお説教に毎回聴き入っています。当意即妙、簡潔明解、優しさ、暖かさ、「これはホンモノだ!」と多くの人にお話の内容を理解、納得されるために、神父様はさぞや日常の心構え、準備に加えて、心身の健康を大事にしながら、みことばへの感性を磨いていらっしゃるに違いないとお察ししています。

 一信徒の自宅でのごミサからスタート、マンションの「一室聖堂」から現在の姿に至るまでの長い年月、大変な協力を積み重ねて今日の多摩教会を築いてこられた先達の方々のご努力に感謝しながら、様々な分野でのベテラン揃いのこの教会で、信仰はもとより人生の指針あれこれを是非学びとりたいと思っています。

 幅広い年齢層の信徒の中には一人で何役もの教会奉仕活動に専心されている働き盛りの若い方々も居られます。人生で誰でも避けられない辛い時、悲しいの時の心温まる支えあいも耳にします。これらはいずれも受洗からの長い年月、何か所もの信仰共同体を旅してきた私にとって正直、素晴らしく新鮮な印象です。

 マリア様と聖コルベに愛され、「荒野のオアシスを目指す多摩教会」は、今、着々と歩み続けています。数々の教会活動の中でもユニークな実例は、地区のご婦人方の献身的な奉仕で毎週提供されている軽食サービスです。全く初対面の方々とも同じテーブルで気軽に声をかけあえる雰囲気は素晴らしい! また、どなたでもどうぞと呼びかけ実施されている「おやつの会」では、共にわかちあい、心を通わせるオアシスがすぐ身近に存在しています。お互い直接顔を見合わせて、優しいことばを掛け合う小さな一歩がきっと大きな進歩へと広がります。
 繁栄の隅に追いやられている貧困、寂寥、恐れ、不安、孤独の現実社会にあって、神様への信頼の上に築かれる心のつながり、喜びの時にも悲しみの時にも継続する、暖かい、優しい支えあいこそが大切です。そこに心の安らぎの拠点、広い地域社会の希望のオアシス教会、愛の信仰共同体が実現することでしょう。

 内外ともに天災、人災相次ぐ厳しい現実の世界ですが、晴佐久神父様がよく口にされる「ホラ、ヤッパリデショ、モウダイジョウブデス」のことばに励まされて一致協力、岩手県大船渡の医師で信徒の山浦玄嗣先生が話されているように、心の耳を澄まし、イザという時にも絶対の信頼をもって天のお父さんに全てをお任せすれば、《ようがす、ひぎうげた!》と言ってくださるに違いありません。

 荒野の現状の全ては時の流れとともにやがては誰からも忘れ去られて行くでしょうが、共に築き上げる信仰の絆、眼には見えない健やかなつながりは、時空を越えた永遠の天国にしっかりと記録される筈です。「信頼と希望」をもって日々を過ごしましょう。

【 投稿記事 】


二口さんを偲んで

吉良 元裕

 去る8月19日、長い間、教会のために尽くしてくださった二口輝子さんが帰天されました。7月頃から体調を崩されていたので、しばしばお電話をしたり、時には部屋をお訪ねしたりしましたが、そのたびに「大丈夫だから心配しないで」とのことで、結局何もしてあげられませんでした。市の福祉関係の方も何度か部屋をお訪ねになったようですが、やはり同じ反応だったそうです。他人の援助を断って、たった一人で病気に挑んでいたことを思うと、切なさで胸がいっぱいになります。
 私が二口さんと最初にお目にかかったのは14年前、まだ聖堂ができる前のことでした。信徒館2階で開かれていた聖書講座を初めて訪れたとき、入り口でとまどう私に、「はじめて?」と声をかけてきたのが二口さんだったのです。二口さんは私を席まで案内して、講座の概要や教会のことなどを詳しく教えてくださいました。緊張しきっていた私は椅子に腰かけ、ひと息ついた時に、やっと「こんな自分でもここに来ていいんだ」と実感したものでした。
その後も折りにふれ神様との向き合い方などを分かりやすく指導して下さった二口さんは、まさにこの教会と私を結んでくださった方でした。
 今年の受洗に向けての個人面談では、晴佐久神父様にそんなお話をして許可を頂き、二口さんに代親をお願いすることになりました。異性の代親というのは異例のことだったようですが、今となっては貴重でかけがえのない素晴らしい思い出となりました。
 受洗後もたびたびお目にかかって、食事をしながら、たくさんのお話を聞かせて頂きました。毎週神父様にお弁当を届けていることや、夜になるとブルーに浮かび上がる多摩教会の大きな看板のことなど。中でも看板については「私が神父様にお願いしたのよ」と、とてもうれしそうに何度も話してくださいました。
 その他にも、フィリピンの貧しい子供たちのために毎月、大量の学用品、文房具を自ら箱詰めして送っていたことや、横浜の教会を通じてホームレスの方々のためにたくさんのお米を届けるなど、様々な奉仕をしていらっしゃることもこっそり話してくださいました。そのほとんどは生活を切り詰め、労力を惜しまず、見返りも一切求めない支援で、なかなか真似のできることではありませんが、これらの行いを他人に知られるのを非常に嫌う、謙遜な方でした。
 帰天された後、40年前二口さんに洗礼を授けた戸塚教会のバーク神父様をはじめ数名の神父様が二口さんのためにミサを捧げてくださったと聞いています。亡くなるときは一人だったけれど、多くの神父様や教会の皆さん、そして神様に愛されて、とても幸せな人生を歩まれたのだと今しみじみ感じています。
 生前よく「私は天国へ行けるかしら」とおっしゃっていた二口さん。もちろん今は天国ですよね。イエス様のスリッパの履き心地はいかがですか?
 私がこうしてこの教会の一員でいられるのは、すべてあなたのお陰です。本当にありがとうございました。あなたと過ごした日々は決して忘れません。
 いつかまた会いましょう。