2013年1月号 No.473

発行 : 2013年1月19日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 神父 】


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洗礼シーズン到来

主任司祭 晴佐久 昌英 神父

 今年も洗礼シーズンとなりました。今、大勢の方々が洗礼の準備をしていますし、教会もまた、この方々を受け入れる準備をしているところです。もっとも、一般の信者たちは、多摩教会において実際にはどのような過程で受洗者を迎え入れているのかを知らない人も多いと思いますので、ここでは主に、目に見える書類などを中心に説明しておきたいと思います。

 インターネットや人の紹介、チラシや看板など、様々な方法で多摩教会を知った人は、電話をかけて相談に来られたり、ミサやおやつの会、バザーやクリスマス会に参加するなどして、ある日、教会を初めて訪れる日がやって来ます。そこで受付係や信者、神父と出会い、出会った日からもう教会家族の一員として迎え入れられます。そのとき渡されるのが、「ようこそ多摩教会へ」(写真1)です。ここには神の愛が語られていて、教会についての説明、そして入門講座の案内などが載っています。
 そうして受付係や、ミサで出会った人、おやつの会で顔見知りになった仲間たちなどから勧められて入門講座に顔を出すと、入門係から「入門講座申込書」(写真2)が渡されますので、これに必要事項を書き込んで参加申し込みをします。講座は金、土、日と3つあってどれに参加してもいいのですが、とりあえずいずれかの曜日の講座に所属することになります。申し込んだ方には、教科書として「祈りの手帳」(写真3-1)「キリスト教とは何か」(写真3-2)「十字を切る」(写真3-3)が配られます。
 入門講座で福音を聞き、教会家族と教会体験を重ね、ついに洗礼を受けたいと思うようになったら、「洗礼志願書」(写真4)を入門係に提出します。提出期間は、原則として待降節第1主日から、四旬節の始まる2週間前までです。洗礼志願書には「洗礼志願動機書」(写真5)を添えて提出します。また、洗礼許可を受けるための司祭面談を司祭に直接申し込みます。この面談は志願書提出期間内に行っていただきます。もちろん、まだ迷っている人も面談して相談することが出来ます。
 面談で洗礼許可をもらった人は、その場で「洗礼許可証」(写真6)に司祭のサインをもらいます。本人がこれまでの人生の歩みを語り、信仰を告白し、洗礼を望み、司祭が教会としてそれを受け入れる瞬間は、とても感動的です。サインをもらった許可証は、速やかに入門係に提出します。入門係は「おめでとう!」と祝福します。これで晴れて洗礼志願者となる資格が与えられ、洗礼志願式に臨みます。正式に洗礼志願者となるのは、この洗礼志願式においてです。
 洗礼志願式は、四旬節第一主日のミサの中で行われます。式中、キリスト教信仰のまとめである「使徒信条」(写真7)が授与されます。また、さきに提出した洗礼許可証が再び配られますので、そこに自らの手で署名をします。洗礼の意思を正式に表すためです。こうして洗礼志願者となったものは、洗礼式までの間、特にミサを大切にし、祈りのうちに過ごしますが、同時に信者たちの祈りに包まれ、支えられて過ごします。四旬節の間、全世界の教会は洗礼志願者のために祈ります。
 いよいよ洗礼式。聖週間の頂点、「復活の聖なる徹夜祭」の中で、洗礼の儀がおこなわれます。神さまが、キリストにおいて、聖霊による洗礼を授けてくださいます。洗礼の記念として、「洗礼証明書」(写真8)が授与されます。これは、大切な記念として額に入れて飾ったりするものです。また、教会からのお祝いとして、本人のお名前と司祭の署名の入った聖書(写真9)が贈られます。洗礼の正式な記録は、「洗礼台帳」(写真10)に記されます。主任司祭が署名するこの台帳は、受洗教会にいつまでも保管されます。もっとも、真の記録は、天において永遠に刻まれているのですが。

 新年を迎え、今年もいよいよ、洗礼志願式が間近になって来ました。早々と洗礼面談を終えて晴れやかに志願式を待っている方たちもいますし、これから面談をする人や、洗礼自体をなお迷っている人などもいて、洗礼シーズンも本番を迎えようとしています。神さまが、一人ひとりの上に大いなる恵みを注いでくださるよう、共に祈りましょう。今年の洗礼志願書提出期限は、2月3日です。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第26回

荒れ野のオアシスとなる教会をめざして

鶴牧地区 北村 司郎

 今年の活動方針として、今回も「荒れ野のオアシス教会を目指して」を提案することになった。その話し合いの中で、神父様からカトリック新聞、昨年の11月11日号のある記事の紹介があった。その記事の内容を先ずは紹介させていただく。
 それは「皆が満たされるミサにするために」という表題で、一信徒の投稿記事である。ミサが終わって家路につく人の顔が、うつむき加減で暗い顔で帰って行かれる人が目立つようになってきた。多くの問題を抱えて、ミサに参加しても満たされ、癒されていない。そのことに教会は無関心であって、教会のそのような姿勢そのものに問題があるのではないだろうか。それは修道会の教会よりも、教区の教会の方が敷居を高くしている教会が多い気がする。そんな状況の中で、福音宣教のため主任神父様を中心に、信徒一体になって「荒れ野のオアシス」運動を展開されている教会もあるが、それはほんの一部の教会である。
 教会に来て満たされないで帰る人々に対しての責任は、司祭にだけあるのではなく私たち信徒全員の責任である。おおよそ以上のような内容であるが、ここに書かれた「荒れ野のオアシス教会」とは実は私たち多摩教会を言っているのではないか、と神父様は言われた。このような教会の一般的な状況であれば、私たちの今年の目標も続けることには意味がある、ということである。
 聖書の中には教会と訳された「エクレジア」という言葉は数回しかでてこない。この言葉の本来の意味は「集まり」だそうだ。神様によって呼び集められた人々の「集まり」である。その集まりの中で人は癒され、もう大丈夫、と感じられれば、明るい顔で家路につくことが出来るのであろう。それが教会の本来の姿である。即ち、本来教会はオアシスなのである。しかし、人が集まると、別方向へ歩きだすことも事実である。そのため、敷居の高い教会が出来上ってしまったのである。だから、オアシス教会にするためには、そこに集う人々が力を出し合ってオアシスを意識的に作ろうとしないとならないのである。
 教会の本来の機能を取り戻し、オアシスにするために、次のような提案をしたい。自分の持っているタレントを教会のために使ってみませんか。与えられるよりは与えてみませんか。その方が喜びも大きいはずです。今の多摩教会には皆さんの持っているタレントが必要です。少しずつ教会の仕事を分担すればもっと素晴らしい教会になるのだと思います。
 そして、オアシスに属していることを楽しもうではありませんか。そのようなオアシスには人々が集まってきます。

【 投稿記事 】


スモールクワイヤによるチャリティコンサートのお礼

イエスのカリタス修道女会多摩修道院 院長 シスター山口

 1月13日(日)10時のミサ後、イエスのカリタス修道女会スモールクワイヤのチャリティコンサートを皆様のご協力により、無事終了することができました。
 当日は遠距離からのお客様も含め大勢の方々がご参加くださり、歌を通して祈りを共にすることができました。
 またチャリティへのご協力も多大で武蔵野ダルクへまとまった金額の寄付ができるとスモールクワイヤのメンバーも喜んでいました。
 晴佐久神父様がじめ多摩教会の皆様のご協力に心から感謝申し上げます。又、当日ご奉仕下さった方々にも心から感謝いたします。有難うございました。
 来る3月10日(日)には、イエスのカリタス修道女会日本管区本部(杉並区)におきまして、午後1時30分より東日本大震災の被災者に思いを寄せる集いが行われます。お時間の許す方はそちらの方にも是非足をお運びください。
 詳細はイエスのカリタス修道女会ホームページスモールクワイヤコンサート出演予定をご覧ください。