2014年9月号 No.493

発行 : 2014年9月20日
【 巻頭言:主任司祭 晴佐久 昌英 】


乞田川散歩

主任司祭 晴佐久 昌英

 多摩教会の前を流れている川は、乞田川(こったがわ)といいます。
 唐木田の尾根の雑木林あたりから流れ出して、多摩センターや永山付近を通り、多摩教会の前を過ぎて、ほどなく多摩川へ流れ落ちる、5キロメートルほどの穏やかな川です。
 一見なんということのない川ですが、その流れのほとりに6年間暮らしている住人としてはなんとも慕わしく、四季折々の川辺の風情を味わっているうちに、いつしかかけがえのない隣人となりました。
 乞田川のほとりを、いつも薄暮の時分に散歩します。ちょうど教会の前は遊歩道が整備されていて絶好の散歩道ですから、ついつい川のせせらぎに誘われて歩いてしまいます。
 神父はどうしても運動不足になりがちですし、頭ばかり使っていますので、このお誘いはありがたい。悩める人の相談を何人も連続して聞いたり、すでに締め切りの過ぎた原稿を集中して書きあげたときなどは、我知らず教会の門を出て、目の前の馬引沢橋(まひきさわばし)の上で深呼吸。気づけばそのまま、無心に川のほとりを散歩しています。
 川筋はいつも程よい風が抜け、のどかなせせらぎが心に語りかけてきます。
 「まあ、のんびりやりましょう。水は流れゆくまま、時も流れゆくまま・・・」

 時の流れゆくままに、乞田川歳時記を。
 春先は、薄霞の沈丁花。いよいよ新しい季節が始まるときの、胸がキュンとする香りです。川沿いの農地に点在する紅梅白梅にも胸ときめき、ああ、もうすぐこの川も満開の桜に包まれるんだなあ、それにしても一年、早いねえ・・・と、ひとりごちます。
 春の盛りは、桜並木は言うに及びませんが、見逃せないのが川岸の百花繚乱。桃色、黄色、橙、白、水色、すみれ色などなどが絶妙な配置で咲き誇り、だれかが寄せ植えにしたとしか思えない奇跡の箱庭には、思わず「おみごと!」と声をかけるしかありません。
 初夏は、何と言ってもカルガモの親子。今年の一番人気は、子ども9羽の一家でした。母親の後を9羽の子どもたちが一列で必死に付いていく姿には、遊歩道を行く人全員、足を止めます。ともかく、かわいすぎる。どうか無事に育ってほしいと祈るばかり。
 盛夏の入道雲も、はずせない。川沿いの空は広く、沸き立つ積乱雲を見るのに絶好なのです。今夏は特に大気の状態が不安定で、手を合わせたくなるほど見事な金色の雲の峰を何度拝んだことか。夕暮れ時は頂が茜に染まって、もはや西方浄土と言うしかなく。
 そして、9月。その空に、うろこ雲。ススキの穂も揺れて、気づけば桜の葉も色づき始めています。個人的には最も美しい紅葉は桜の葉っぱだと思うのですが、どうでしょう。鮮やかな緋色と黄色のグラデーション。17時半には鈴虫が鳴きだす、乞田川沿いの道です。
 実は先ほども歩いてきたところですが、教会から一つ下の南田橋のたもとでは、気の早い金木犀から、忘れかけていた切ない思い出が香り立っていて、新しい季節の始まりの予感に、胸がキュンとしました。ふと、マフラーの匂いを思い出しました。

 そうして、散歩を終えて戻ってくると、薄暮の風景の中にひときわ明るく「カトリック多摩教会」の文字が光っています。なんて美しい光景でしょうか。そこは、神の家。キリストと出会う場所。聖霊の喜びが満ちているところ。何もかもが移ろいゆくこの世界の中で、決して変わることのない永遠のみことばが語られる救いの教会が、こうして確かに存在することは、どれほど尊いことでしょうか。
 橋のたもとに立ち、川のほとりに建つ美しい聖堂を眺めていると、自分たちはなんと恵まれた存在なのだろうという感動が沸き起こって来ます。
 さあ、そろそろ帰るとしましょう。もうすぐ、夜の入門講座の人たちが集まって来る時間です。永遠の福音を語らなくてはなりません。


【乞田川の周辺】
少しですが、乞田川沿いの様子をご紹介いたします。それぞれの画像は、クリックすると拡大表示されます。

【 連載コラム 】


連載コラム「スローガンの実現に向かって」第45回
荒れ野のオアシスにたどりついて

稲城・川崎地区 岡田 恵子

 学生時代に聖書に出会ってから四半世紀を経て、ようやくカトリック多摩教会に巡りあい、今年受洗させていただきました。「福音の村」で晴佐久神父様の説教に出会い、学生時代に教えを受けた説教と同じ、聖霊に満たされたみ言葉がここにある! と導かれました。今は、カトリック多摩教会という秘跡の素晴らしさに、日々感動しています。
 み言葉に出会っていながら、自分のことでしか祈れなかった日々でしたが、今は、ひたすら、福音宣教に邁進しています。春から夏にかけては、「洗礼をうけたの! カトリック多摩教会のミサは素晴らしいの! ぜひ一度おいでよ」と、友人に会うごとに話していました。とは言っても、理解してくれそうな人に限られているのですが。

 学生時代は、毎週欠かさず日曜の礼拝と聖書を読む会に参加し、電機メーカーの広報室勤務の頃は、社内のクリスチャンの祈りの会や、プロテスタントの教会で牧師先生との聖書の勉強会、お茶ノ水クリスチャンセンターで国際ナビゲーターの先輩と毎週10個ずつ聖句を暗唱したりと、信仰第一の生活でした。けれど子供を持ち、各地を転勤して、家族に遠慮するうち、いつの間にか、隠れキリシタンのような信仰生活になっていました。
 洗礼を受けて、それまでの覆いが取り除かれたかのように、信仰の炎がふたたび燃えあがるのを感じています。十字を切るだけで信仰を証しできる喜び、多くの信仰の友と交わる喜びは、長く孤独な信仰生活があったから、これほど大きいのかもしれません。荒野をさすらうような日々を抜けだして、今、私は、天国のようなオアシスにいるのです。
 金曜夜の入門講座のお手伝いのなかで、出会う方一人ひとりが、本当に貴重で、得難く感じられます。私のなかのカトリック多摩教会のフォルダーは、まだ空っぽなので、新しい方と知り合えるのが大きな喜びです。出会った方々と友になり、よりそい、話し、ともに喜び、ともに悩めることが嬉しくてなりません。神父様のお話から得た気づきを、入門係のブログに書かせていただいていることも、大きな恵みです。

 私の住む若葉台中に信仰の喜びを伝えたい! と思うのですが、身近な家族にさえも難しいのが現状です。ずっと福音を伝えてこなかった両親には、先日、ようやく、「私は信じて救われた。どうか信じてほしい。私たちはみな、神さまに愛されている」と、み言葉を伝えることができました。私一人ではできなかったことも、教会の仲間の祈りに支えてもらって実現したのです。退院はもう無理と言われた父も、祈りの力で奇跡的に家に戻るまでになりました。本当は、天国のような多摩教会のミサに連れて来たいと思うのですが、成田という遠距離で、体力的にも無理な今、すべては神様の摂理のうち。み心がなされますようにと、日々祈っています。

 日々のさまざまな出来事のなかで、大海原の小舟のような気持ちになる時もありますが、「神のなされるわざは、すべて時にかなって美しい」と、神様にすべてをゆだねたいと、朝夕、天に祈りを捧げつつ、主日には、ミサというオアシスにたどりつき、教会のみなさんの祈りのなかで癒され、力づけられて過ごしています。

【 報告 】


武蔵野ダルク 渡邉 肇さんの講演会報告

塚本 清

 9月14日(日)のミサ後、約50分ほどでしたが、聖堂で武蔵野ダルクの渡邉 肇(わたなべ ただし)さんの講演会がありましたので、ご報告します。
 5月の司牧評議会で、晴佐久神父様から薬物依存の方のリハビリのために活動をしている武蔵野ダルクを多摩教会も支援していこうとのお話を受けて、活動資金への支援を始めました。また武蔵野ダルクの活動について代表の渡邉さんのお話を聞くということで、講演会を開催することになりました。以下は、渡邉さんの講演の要旨です。

1.ダルク(薬物依存者のための回復リハビリ施設)について
 1985年、薬物依存の方のリハビリのための活動が東京の三ノ輪近くで誕生しました。初めは、アルコール依存症の方のための活動でした。
 渡邉さんは当時田無教会に所属していましたが、薬物依存症でした。その時の年齢は19歳で、今から30年ほど前のことでしたが、ダルクでのリハビリを受けることができました。その後、アメリカ大使館、そしてニューヨーク、フィラデルフィアのカトリック教会の方々の支援で日本の活動が支えられてきました。渡邉さんはアメリカにも行き、その後日本に戻って、ダルクの活動を始めました。当時は刑務所を回っていました。
 

2.武蔵野ダルクについて
 2年前から高幡教会に場所をお借りして、武蔵野ダルクの活動を開始しました。
 日本では、薬物依存者=危険人物という刷り込みがありますが、実は薬物依存の方は繊細で優しい人が多いのです。刑務所に入っている6万人のうち2万5千人が薬物依存者ですが、皆が止めたいと思っているのです。薬物依存症は病気なので、治療が必要です。そのためには地域社会で取り組む必要があります。フランシスコ教皇も「social inclusion」を唱えています。日本の役所は人事異動があるので、継続して取り組むことに難しさがあります。
高幡不動に女性のためのダルクを作りました。NPO法人にはしていません。神様にゆだねていく、神様に信頼していくプログラムにしています。日中の農作業にも多くの人たちに協力していただいています。このダルクは日野市にありますが、多摩市の方も来ています。
 今困っていることは、お金のことです。事務的な仕事をする人も必要です。女性のハウスなので、男性が入れないところもあります。大家さんからは、今のハウスから出て行ってくれと言われています。日野の社会福祉協議会は協力的ですが、警察は協力的なところと、そうでないところがあります。
 ダルクは薬物依存者にとって最後の砦になってきていると思っています。ダルクとは「Drug Addiction Rehabilitation Center」の頭文字をとったものです。旗をご覧いただくとおわかりになると思いますが、DとAとが十字架でつながっています。
 顧問医には、香山リカ先生が就任してくださっています。
 ここで、ハウスに入っている方と後援者の方にお話をうかがいたいと思います。
 

3.ハウスに入寮している女性の方の発言
 私は14歳から22歳までドラッグに依存していました。自殺未遂もしましたが、ダルクに入って今はドラッグが止まっています。
 

4.後援者の方の発言
 私は川崎の鷺沼教会に所属しています。勤務先は池袋にあるクリニックですが、そこでは薬物依存者を受け入れています。欧米には治療共同体という概念があります。それは当事者の方にしかできないことがあり、仲間と一緒に回復していくことが必要という考え方なのです。いま話をしていただいた女性のように、人前で自分のことを話すことも回復になるのです。
 

5.渡邉さんのまとめの言葉
 日野のダルクには、多摩市の中高生も来ています。家に帰っても親がいないこどももいます。今日は資料も用意しましたので、お持ち帰りください。幸田司教様も素晴らしい文章を寄せてくださいました。献金など皆さんのご協力もお願いします。
 

6.質疑応答
(Q)ダルクでの生活はどんなものなのですか。
(A)規則正しい生活をし、日中は農作業などもしています。入寮者と通所者がいます。
(Q)年齢はどのくらいなのですか。
(A)20代の方です。
(Q)薬物依存症でいう「薬物」とはどのようなものを指すのですか。
(A)いわゆる脱法ドラッグもありますが、薬局で売っている薬で依存症になる人もいます。たとえば、咳止めの「ブロン」を日に300錠のんでいた方もいました。多摩センター駅付近には、ドラッグを売っているところがあります。そのほかにもスマホやネットを使い、宅配便で送ってもらうということもあります。
 

7.晴佐久神父様より
 今日はありがとうございました。これからもダルクとは、つながりをもっていきたいと思います。ダルクは多摩教会の家族となりました。

【 お知らせ 】


「初金家族の会」からのお知らせ

担当: 志賀 晴児

 9月5日(金)の集まりでは、現在メキシコ南部の村、一面砂糖きび畑でマヤ文化の遺跡の残るソヤの手づくり修道院でご活躍、一時帰国中のベリス・メルセス宣教修道女会のシスター真神(まがみ)シゲ様のご体験を伺いました。
 シスターは光塩女子学院で長年教職を勤められ、その後の第二の人生を、ニカラグア、ペルー、グアテマラ、そしてメキシコと、中南米の国々で、それぞれの地域に溶け込んでの捨て身の宣教活動に励んでこられた方です。

 乾季には半年もカラカラ天気、雨季にはすべてがビショビショという厳しい気象条件の中で、毎日の食事つくりをはじめ、畑の草取りに汗を流しながら、洗礼、初聖体、堅信などでは代父、代母の研修までも引き受け、少人数で走り回っている神父様方不在のときに、突然舞い込むお葬式の取り仕切りなど、スペイン語のテキスト片手に大奮闘、そのエネルギッシュな献身ぶりに、とても……歳というオトシを感じさせないお話で、一同感嘆いたしました。
 更に日本といえば技術一本の国と思われがちな現地の青年や、若い神学生たちに日本文化の紹介にも尽くされ、悲惨な戦禍の体験から、世界の平和を願って多くの人が一致して活動している日本の現状なども一生懸命伝えていらっしゃるとのことです。
 「これは腰痛に効くよ、目にいいよ」などと、薬草を持ち込んでくれる現地の人たちにとって、シスターは文字通り家族の一員、台所での奮闘や草むしりからのバネ指の貼り薬が痛々しいとは言え、元気いっぱいのお姿に一同感銘を受けたひとときでした。

 なお、参加者の皆様にシスター真神への支援をお願いをしたところ、26,740円の献金をいただきました。さらに、シスターが現地から持ち帰られましたマヤ・インディオの手作りの手芸品も、そのほとんど全品が売れて、献金と合わせて5万円以上の支援をすることができました。ご協力いただいた方々へ心から感謝いたします。
 シスターからも翌日、多摩教会の皆様への心からの感謝を込めたメールをいただきました。

 10月3日(金)の初金家族の会の卓話は、南大沢・堀の内地区の尾崎ひろみさんに、スペイン巡礼の旅の思い出を、DVDに収めた記録映像などを交えてお話していただく予定です。

 「みんな違って、みんないい。自由で楽しい初金家族の会」です。どうぞご参加ください。