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2000年9月号 No.325  2000.9.16

ペトロ岡田武夫大司教様の着座式に参加して 井上 信一
ワールドユースディ(WYD)に参加して 宮下 良平 神父
「ローマ記」 吉瀬 賢

   ペトロ岡田武夫大司教様の着座式に参加して
                                    井上 信一

 9月3日の午後4時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、白柳誠一枢機卿様に代わり、東京大司教区の大司教に任ぜられましたペトロ岡田武夫神父様の着座式のミサが執り行われました。宮下神父様と当教会の十数名の皆さんと一緒に、私もこのミサに与ることができました。これから私たちの信徒共同体の中心に立っていただく新しい大司教様を迎えるため、東京大司教区だけでなく、浦和教区を初めとする周辺の教区からも沢山の人たちが集まりました。椅子席は言うにおよばず、立ってミサを待つ人々で大聖堂は満たされました。
 入祭の歌が繰り返し歌われる中で、宮下神父様を含み、共同司式される約120名の神父様たちが祭壇の両サイドに並ばれました。先ず、着座式が行われ森司教様がこの6月に発表された岡田大司教様の任命書を朗読されました。その後、白柳枢機卿様の導きで、岡田大司教は、カテドラルの座に着かれました。
 新しい大司教様は、その説教の中で、淡々とした、しかし深い信念を感じさせる口調で、イザヤ書の40節(27〜31)を第一朗読として自ら選ばれた理由を述べられました。
 「主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。・‥若者も倦み、疲れ果て、勇士もつまずき倒れようが、主に望をおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走って弱ることもなく、歩いても疲れない」
 岡田大司教様は、これから自分に課せられた任務を遂行するに当たり、この《主に望をおく人》という言葉を自分の徳として、心に留めておきたいと述べられました。さらに、この大聖年の3月に、ヨハネ・パウロニ世教皇様が和解と回心のミサの中で、カトリック教会が歴史上で犯した間違いを、大変な勇気をもって告白し、許しを求められたが、この教皇様の本当に謙虚な気持ちを自分も見習いたい、と語られました。(詳しくは、9月10日付カトリック新聞をご覧下さい)
 ミサの最後に、岡田大司教様は、列席の皆様に挨拶をされ 白柳枢機卿様と森司教様へ次のような感謝の言葉を述べられました。「白柳枢機卿様は、30年にわたり東京大司教区を指導していただき、その上、日本カトリック司教協議会の会長として9年間にわたり、日本全国の教会のリーダー役を果たされ、その功績は計り知れないものであります。個人的には、枢機卿様は私のお父さんであり、森司教様はお兄さんであります。1973年の叙階の時以来、私を育てていただき、感謝の気持ちで一杯です。これからも、東京大司教区の中の一員としてご指導していただくよう、お願いいたします」
 「私たちの教会が開かれた信仰共同体となりますように」という岡田大司教様の決意の言葉を心に留めながら、溢れる人々と共に聖マリア大聖堂を後にしました。

                        

     ワールドユースディ(WYD)に参加して

                                    宮下 良平 神父

 8月は長い間、教会を留守にいたしました。先のワールドユースディ(WYD)に私も参加しておりました。WYDの内容は「カトリック新聞」と 「カトリック生活」の特集をご覧下されば、大体お分かりになると思います。
 WYDに若者でない私が参加して、若者たちから教えられたことがたくさんありました。
 大きな驚きは、司教様のカテケジス(福音からの教えと教会の教え)を、砂漠に水がしみ込むように受け入れていく若者の姿でした。ほとんどの若者たちは、今までに自分の信仰とか教会の教えとかについての言葉を持っていませんでした。その負い目を何となく日々感じていた人が多いようでした。人に自分の信仰を語れないもどかしさと、ある意味での「開き直り」のうちに年月を過ぎてきた若者がほとんどだったかもしれません。自分の教会に飲み会や活動ではよく集まっていても、カトリックの信仰について真っ正面から教えられ学んだことがないと答える若者がほとんどでした。
 考えてみれば、親であり、大人である私たちが、自分のカトリック信仰について伝えるものを教えられず、学ばず、そして日々の忙しさからそんなことを考えないようにしていることが多いかもしれない現実からすれば無理からぬことでしよう。
 今回参加した若者たちの多くは、イタリアの現地に世界から集まった若者と引けを取らないほど激しく踊り、歌い、騒いでいました。森司教さん曰く「私には想像できないほど」の姿でした。しかし、その彼らが真剣に司教の話に耳を傾け、質問し分かち合う。そして、祈りの時を持ち、祈りをしたいとセツに願う。この両極端とも言える「動と静」の姿を、今回参加した全国の若者、その中には若いシスターもいましたが、ごく自然に行っているのです。
 しかも、この多くの若者が求めている真の深みにあり、叫び求めているものは、神なる主への祈りの体験なのです。
 みんなが参加し、工夫しながら共に祈り賛美することの喜びと尊さをしつかり知っているのです 私はこの若者たちを見て、すごいなあと思います。
 普段の日曜日のミサは、果たしてこの若者たちの心の叫びに答えているのだろうかと私は思い返しています。
 以前はやったフォークミサみたいなものにして、いわゆる若者向けのミサをすればよいという単なる形式上の工夫では片づかない問いかけがあります。
 そこには若者とか大人とか年寄りとか子供とかが色分けされたミサ参加者の姿が示されるのではなくて、ミサに参加する一人ひとりが祈りへ渇き、賛美する積極的な姿が問われているのです。つまり、「祈りの共同体を造り上げる」という意識を持った教会共同体のミサが日曜日に捧げられているかということなのです。
 ある作曲家だけの曲しかミサで使うことができない雰囲気のある教会もあれば、いわゆる典礼の大家や長老、聖歌隊がいて、人々を指導し、特別な色を持った教会のミサもあります。何の工夫もされずに、何の喜びを感じないようなマンネリ化した雰囲気のままにミサが捧げられる教会もあります。
 今回の巡礼には、普段の日曜日のミサにあまり行かない若者たちも多く参加しました。その全国から集まった若者たちが、この巡礼中に教区や小教区を超えた「祈りの共同体」を造り上げたことは確かなことでした。
 自分の教区や小教区という枠をこの巡礼中はあえてなくして造り上げた「祈ることを中心に旅をし、共に生きる共同体」を、自分たちのカトリック教会のすばらしさであると、参加した多くの若者が体験し、生きる充実感を味わえたのではないかと思います。
 その彼らは、自分の教区、小教区、活動団体へ帰り、そのWYDの体験を語り始めています。そして、全国のカトリック教会の仲間を強く意識し始めています。それは、日本の教会へ新しい息吹、風を送ることになるかもしれません。その風は、今までの「大人の信仰」に風穴を開けるくらいに大風となることを私は期待しています。
 そして、歩くこともままならぬ体で、集まった200万人の若者とともに歩まれ、熱くキリストを語られた教皇様を心から敬愛し、私にも素晴らしい恵みの時を与えてくださった主に感謝しております。

         「ローマ記」
                                     吉瀬 賢

 「Giovanni Paolo!」、「Giovanni Paolo!」。会場の皆が手拍子しながら叫んでいた。今回の旅は全くの白紙のまま出かけていった。逆に言えば準備が何もできていなかった。?でも結果的にはそれで良かったと思う。すべてが新鮮で受け入れることができたから。
 僕は宮下神父様とは別で高幡教会の晴佐久神父様のグループだった。まずは成田空港での出発ミサで始まった。ローマ初日は夜にBARを探し飲んで終わる。次の日から行動開始。 テルミニ駅から地下鉄に乗りエスパーニヤで下車スペイン広場のある駅である。まだ朝の8時前、人はそんなにいない。向かうはサンピエトロ寺院だ!そのうち周りが賑やかになってきた。皆同じ青いバッグ、ベージュの帽子そして胸にはパスをさげている。何故かそれだけで嬉しかった。日本にいるとこんなに大勢の人がカトリック信者である、なんてことはないでしょう。まずここで少し来て良かったと思った。でもそんなものではすぐに飛んでしまう。10分位だろうか、気が付くと道の正面に見えていた。想像以上に大きい。この時にはもう大変な騒ぎになっていた。とにかく人、人、人歌っている団体の多いこと。本当に凄い!門をくぐり皆で「許されたよね?」なんて確かめ合っていた。初めてのサンピエトロ寺院。とにかく感激である。信者として必ず行きたいと思っていた場所である。あの空気、一気に皆の目が変わる。信者ではない方も一緒に来ていた。その方々も何かを感じていたそうだ。後から聞いて凄く嬉しかった。ペテロのお墓を見学し、出てきた。
 その日夕方にはサンタ・マリア・マジョーレでプライベート・ミサを皆で捧げた。歴史ある聖堂でミサに与れること感謝しました。翌日にそなえ早く寝ましょう。
 今日から戦いである。まず移動の地下鉄から大変なことに。慣れてるはずのラッシュの電車がとんでもない。そんな中でもラテンの方々は歌い続ける。終点近くになると駅毎に止まり、しばらくピクリともしない。でも周りは陽気である。日本人少々見習うといいかも。目的の駅に着いた。もっととんでもないことになっていた。見渡す限り人しかいない。全部がパパ様のミサのために来ている感激だった。自分は聞違っていなかった、変な自信が出てきた。会場に着くまで、本当に辛かった。でも皆で「これぞ巡礼!」と気合いを入れ、ひたすら歩いた。10キロは越えてるだろうか、自分たちが指定された場所に着いた。「約束の地、赤の1番です。」神父様が言ったが、すでに入れない。また彷徨いやっと見つけた。その時には8時間が過ぎていた。でも休む間もなく、夕の祈りが始まる。パパ様と共にお祈りができることに本当に感謝だった。夜の花火、いろんな人々との交流忘れられない。
 朝寒くて目が覚めた。会場には「エマニュエル」が流れている。すごく爽やかな朝だった。パパ様のヘリコプターを200万人が手を振ってお迎えをする。なんでこんなに嬉しいのだろう。しばらくするとパパ様が車で来てくれた。この目でパパ様を見ることが出来た、どうしようもない、勝手に涙が出てきて止まらない。皆同じだった、自分のすべてが本当に癒された。皆本当にパパ様を愛してるんだな。パパ様はそれに答えてくださる。感激だった、言葉になんか出来ない、心がパンクしてしまった。
 この旅で分かったこと、神様は本当に僕たちのことを愛して下さっていると。聞いたり読んだりして分かってはいたが…・。ローマでその愛を実感することができた。本当に感謝、ありがとう、それ以外の言葉が見つからない。次は2年後、トロントか…。貯金しておきませんか?

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