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2010年11月号 No.447  2010.11.27

イエナカクリスマス
晴佐久 昌英 神父
カンボジアのオアシスにて再洗礼 長島 毅
多摩教会墓地への墓参 松原 睦


イエナカクリスマス

                                    主任司祭 晴佐久 昌英神父

今年もいよいよ待降節、クリスマスも間近です。よい準備をして、例年にもましてステキなクリスマスを迎えましょう。
人間は、慣れる生き物です。どんなに素晴らしい行事でも、同じことを同じように繰り返していると、どうしても新鮮味がなくなり、良い意味での緊張感が減り、悪い意味での合理化が進み、いつの間にか、ただなんとなくこなすだけの行事に成り下がってしまいます。
なんとなく過ごすクリスマス。そんな悲しいクリスマスになっていないかどうかをチェックしてみましょう。次の質問にお答えください。
「去年のクリスマス、家ではどんな風に過ごしましたか。教会ではどんなクリスマスでしたか」
すぐに答えられたら、ちゃんとクリスマスをしていた証拠です。え? 最近は記憶力が落ちているから忘れちゃった? そうでしょうか。もしも去年、イエスさまを迎えるために各家で相談して何か新しいことを工夫し、手間ひまかけてていねいに準備し、大切な人たちを大切にするステキなクリスマスを過ごしていたら、必ずや印象に残って覚えているはずです。

先日の新聞で、今年のクリスマスの傾向を特集していました。それによると、最近はレストランではなく家で過ごす「イエナカ」傾向が定着しているそうで、「今年は家ですごす」と答えた人が78パーセント。タイトルをつけるとしたら、「まったりクリスマス」なんだとか。不況のせいかと思いきや節約志向はすでに下げ止まっており、どうやら「家でちょっとぜいたくに」ということのようです。これは我々キリスト教にとってもいい傾向だというべきではないでしょうか。クリスマスとは、家族や人々がいっそう深く結ばれるために神さまから贈られたプレゼントなのですから。
ふと、数年前パリでクリスマスシーズンを過ごした時のことを思い出します。待降節になると街は賑わい、人で溢れます。シャンゼリゼ通りはまばゆいイルミネーションに彩られ、華麗なディスプレイで有名なデパート、ラファイエットの前は見物客で歩けないほど。もみの木や暖炉用の薪を担いで帰る姿なども見かけるようになり、クリスマスの飾りやプレゼントを売る店のレジは長蛇の列。
ところが12月24日になると、街は突然静寂に包まれます。それでも昼過ぎまではフランスではそれがないとクリスマスを迎えられない定番ケーキ、ビュッシュ・ド・ノエルを買って帰る人が歩いたりしていますが、冬の早い日も落ちるころになると、ぴたっと街が静止します。凱旋門やシャトレ付近などの観光地は別ですが、普通の街なかは本当に人っ子一人見当たらなくなるのです。
この雰囲気、何かに似ていると思ってハタと気づきました。もう半世紀前、ぼくが子どものころの日本のお正月です。ともかく家族がみんな家にいて、一緒に過ごしていたころの。あのころは、どの家もお正月の準備というものをしていたものです。時間をかけてていねいに、心を込めて。家族が家族であるための大切な行事として。
きっとあのクリスマスの夜も、パリのアパルトマンの中では、前の日から掃除をし、ささやかでも工夫して部屋を飾り、ていねいにクリスマス料理を準備し、一年に一度だけ暖炉に火を入れ、全員そろって家庭祭壇前でお祈りをし、何日も前から用意してあったプレゼントを贈りあい、乾杯をしてビュッシュ・ド・ノエルを食べ、信心深い家族は深夜ミサに出かけたことでしょう。

 2010年のクリスマスを、いつまでも忘れられないクリスマスにしませんか。もちろん、教会での行事や典礼をていねいに準備するのは言うまでもないことですが、今年はいつにもまして「イエナカクリスマス」を準備しませんか。この日こそは何としても家族全員集れと厳命し、部屋を片付けて家庭祭壇を飾り、よくよく考えて安くてもいいからきっと喜んでくれるプレゼントを全員分そっと用意し、時間をかけてスペシャルメニューの料理を作り、ミサから帰ってみんなそろったら家長はちゃんと短いスピーチとお祈りをし、取って置きのワインを抜いて乾杯をし、たまには全員そろった写真を撮ってはいかがですか。一人ぼっちでクリスマスを迎えることになる人をだれかお招きするなんてのも、ステキじゃないですか。ちゃんと招待状を出して。できれば、ミサにもお誘いして。
クリスマスは、それだけの準備をするに値する、かけがえのない日です。
 いよいよ待降節。クリスマスも間近です。

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第8回
《カンボジアのオアシスにて再洗礼》
                                                長島 毅

報告が少し遅くなりましたが、8月22日から9月9日までの約3週間、仕事場の夏季休暇を利用して、ボランティア活動と現地学習を兼ねてカンボジアに行ってきました。 旅行の前半は、イスラエル巡礼の際に知り合った参加者より紹介され、今年からお手伝いしているNPO法人アマタック(学校建設支援の団体)の支援物資の運搬をはじめローカルスタッフとの交流や現場視察を行い、後半は私が個人的に参加してみたかったJLMM(日本カトリック信徒宣教者会)が主催するスタディーツアーにも参加しました。
ボランティアで海外には何度か行った事があったのですが、カンボジアは今回が初めての訪問のため、事前に可能な限り情報収集をしていったのですが、聞くと見るとでは大違いだったので、今回は現地の文化や生活習慣、カンボジアの人々の物の考え方を理解する事に勤めました。
沢山の方がご存知だと思いますが、カンボジアは1949年にフランスから独立後、隣国のベトナム戦争に巻き込まれてしまい、アメリカやソ連・中国・南北ベトナムが介入した内戦状態となった後に、1975頃に台頭してきたクメール・ルージュ(ポルポト派)の支配下で大虐殺が行われました。旱魃、飢餓、虐殺などで100〜300万人以上とも言われる死者が出た悲惨な過去を持ち、今なお内戦の傷跡を背負っている国です。
旅が始まり、先ず気が付いたことは、首都プノンペンや観光都市のシェムリアップなどの都心部は、至る所で建設ラッシュになっていて、大変活気がありましたが、内戦でこの国を支えるべき中間層の人々がごっそり消されてしまったので、海外企業の進出に押されて、カンボジア人の社会進出は厳しくなって来ていることでした。
また、カンボジアで長年活動しているNGOの方に話を聞いた所、内戦後の政治腐敗によって汚職が横行しており、職や学歴など全てお金で買えてしまうので、カンボジアの未来や復興支援活動にも暗い影を落としているとの事でした。
旅ではそれぞれの場所がとても印象深く、沢山の人達と出会い思い出が残りましたが、特に印象に残った場所はJLMMのスタディーツアーで訪れたトンレサップ湖でした。
東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖は、カンボジアで生活する沢山の人々を支えるまさにオアシスです。見学に行った場所はトンレサップ湖の上方に位置している、プルサート州・コンポンルアン水上村で、村の人口は約1600世帯・約6000の人々が船の上で生活していました。しかし、ここで生活する人々の70パーセントがメコン川を伝いベトナムから流れてきた移民達の子孫で、独自のコミュニティーを形成している為に、カンボジアの言葉を話すことが出来ないばかりか、ベトナムやカンボジアにも国籍も持っていません。ですので、当然公共機関を利 用することが出来ず、カンボジア社会からも孤立した状態になってしまい、漁業で生計を立てていますが貧困世帯が多く、様々な問題を抱えながら生活している状態でした。JLMMは主にアジア・太平洋地域でボランティアを派遣しているカトリック教会の団体で、現在タイ・東ティモール・カンボジアの3カ国で活動していますが、ここでは水上村の教会を活動拠点にして中心にしてさまざまな支援活動を行っていました。現地に到着して取りあえずボートで教会を目指しましたが、湖に浮く教会は 初めてだったので、とても新鮮で感動しました。到着後に直ぐ日が落ちてしまったので、駐在員の高橋真也さんから現地の活動報告を聞いて、村の人々の苦しい生活状況を理解しました。次の朝、太陽が昇るのを待ちわびていた私は、駐在員の高橋さんに誘われて水上村が一望出来る物見の高台までボートで行きました。朝日に照ら される村は素晴らしい眺めでしたが、野菜や果物を売りに行く少女達や魚捕りなどに行く子供達やなどが既に活動しており、日曜日でも子供達がみんなで働いている姿を見ていると、とても複雑な心境になり考えさせられました。しかし、生活は苦しくても働く子供達は皆笑顔で挨拶をしてくれて、日本では見られない純粋さや明る さを感じる事が出来きました。
朝食の後に日曜礼拝が水上村教会で行われ、沢山の信者さんがボートで駆けつけましたが、日本から来た司祭5人とツアー参加メンバーも合流してとても荘厳な礼拝となりました。ミサでは言葉は分かりませでしたが、聖歌を歌う時は同じ歌もあり、ツアー参加者の青年がギターを弾いて心を一つにして歌い祈りました。 文化や言葉が違っていても、私達クリスチャンが主イエスキリストで繋がる事が出来るとても素晴らしい体験でした。
ミサの後は教会の皆さんに別れを告げ、水上村を遊覧しながら陸地の船着き場を目指しましたが、この帰りがけにちょっとしたハプニングがありました。それは私の乗っていたボートに対抗してきたボートが勢いよく波を浴びせていったのです。私はまともに波を浴びてしまい、顔だけではなく口や目の中にもトンレサッ プ湖の水がタップリ入ってしまいました。せっかくミサで気持ちが高揚していたのですが、私の頭の中では昨晩説明を受けた湖の生活排水による汚染問題の話や、つい先ほど見た動物の死骸などが一気に頭をよぎってとても気持ちが悪くなってしまい、陸に上がると一目散にミネラルウォーターで目や口を洗いました。しかし、この 出来事が後で自分をひどく落ち込ませました。それは、先ほどまで村の人達の生活に心から同情したつもりになり、泳いでいた子供達に笑顔で手を振りカメラを向けていた自分が、水を浴びただけで別の世界の住民になってしまった事です。「いつから自分が綺麗な人間になってしまったのか」人間としてどこか上から目線や観光者 気分で村人と接していた様に思い、恥ずかしく感じてしばらくこの出来事が自分の頭から抜けませんでした。しかし、今から思い返してみると、あのトンレサップ湖の水を浴びなければ、現地の人々が直面している問題と距離を置いていた自分に気付けなかった訳ですし、とてもありがたい水の洗礼だったと感じています。
約3週間のスケジュールをトラブルもなく無事に終了してホッとしましたが、沢山の人々と出会い、多くのことを学ぶ事が出来て本当に良かったと思います。特に日本の便利で清潔な環境をはなれ、現地で活動されていた方々には心から感銘を受けました。
弱い立場の人々と共に生きたイエス・キリストの歩まれた道を私も追い求めて行きながら、カンボジアのオアシスで体験した事を今後の人生に役立てて行きたいと思います。

多摩教会墓地への墓参

                                              松原 睦

11月7日(日)、午後1時に五日市霊園の多摩教会墓地へ現地集合しました。すばらしいお天気でした。ある人は多摩教会でミサにあずかった後、車で来られた人。また、土曜日のミサにあずかって、今日は霊園へ直行された方といろいろでした。墓地というより公園のような場所でお昼のお弁当を開くのも一興です。
三々五々集まると墓地の清掃からはじまります。お花を活け、神父様の到着をお待ちします。神父様が到着されると、聖歌を歌い、神父様のお話しがありました。「死者を追悼するというのではなく、死者の死を記念する日であって欲しい、多摩教会墓地に埋葬された方のみでなく、五日市霊園に埋葬されたすべての方の霊とともに主に讃美と感謝のお祈りする日です」。事実、多摩教会の墓地に近いお墓へも、皆さんがお祈りをして下さいました。
遠藤さんも、病院が霊園に近くなったので、病身を押してお嬢さんの付添で参列されました。霊園の設立から毎年の墓参のリーダーをされた人だけに、私達にとって、より嬉しい墓参となりました。
秋晴れの空のもとで、きれいな空気を吸って故人とともにすごした時間は、まさに死者の月の記念すべき一日でした。
来年の墓参は、多摩教会の月初の死者の日をはずして、次の日曜日あたりに多摩教会からバスを仕立て、お弁当を持参して、墓参の日を計画したいと神父様がお話しになりましたが、是非そのような墓参がかないますようにお願いしたいと思います。あきる野教会の主任司祭は多摩教会出身の猪熊太郎神父様です。ご縁がまた増えた五日市霊園への墓参として期待できる企画だと思いませんか。
毎年、JR武蔵増戸の駅から墓地まであきる野教会の送迎バスが運行されています。このおもてなしを利用された方々は大変感謝しておられました。帰りもまた、霊園にある縁者の墓参をされる方。直接お帰りになる方、教区の合同ミサにあずかって帰られる方とそれぞれでした。すばらしい墓参の一日に感謝いたします。


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