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2005年4月号 No.380  2005.4.16

教皇ヨハネ・パウロ二世追悼 加藤 豊神父
2 洗礼を受けて 下津 智秀
3 洗礼を受けて 石綿 凌
4 せんれいをうけて 石綿 日向子
5 子共達の受洗 石綿 美穂
6 洗礼を受けて 手塚 薫
7 洗礼を受けて 手づか ひとみ
8 はつせいたいをうけて ガブリエラ・シュビンスカ
教皇ヨハネ・パウロ二世追悼

                                             加藤 豊神父

 「過去を振り返ることは(わたしたちが果たすべき)未来への責任です」。この言葉は、教皇ヨハネ・パウロ二世が来日した折、原爆被害の悲惨さを二度と繰り返してはならぬという切なる思いを込めて(教皇様ご自身が日本語で)語られたメッセージです。
 既に皆さんご存じのように、去る4月2日21時37分(現地時間)、そのヨハネ・パウロ二世はこの地上での使命を全うされて天に召されました。世間一般には「ローマ法王」などと呼ばれるこの「教皇」という役職は、その起原を使徒ペトロにまで遡る教会の伝統に基づいています。ヨハネ・パウロ二世はペトロから数えて第264代目の教皇というわけです。その役職の内容は、「ローマの司教」であると同時に、全カトリック信者の公的な代表者といえば分かりやすいでしょうか。
 現在この地球上には約60億人の人が生きているのだそうですが、実にそのうち約11億人がカトリック信者であり、ヨハネ・パウロ二世はその11億人にとっていわば精神的支柱としての存在でした。実際、教皇は世界各地の教区を訪問して回られました。交通機関の発達に負うところが大きいとは思いますが、世界中を駆け巡り、複雑化する世界情勢を真正面から受けとめようとしておられたのです。
 1920年5月18日、ポーランドのクラクフ近郊に生まれたカロル・ヴォイチワ、後の教皇ヨハネ・パウロ二世は、第二次世界大戦中、また東西冷戦時代、いずれもその渦中にあった人でした。詩人の感性を持ち合わせていた感受性の強いカロルにとって、戦争の残酷さや人間存在の不条理は、内的体験として心に深く根をおろし、嫌が上にも「人間とは何か?」と問わずにいられない疑問となっていったことでしょう。
 第二ヴァティカン公会議文書『現代世界憲章』には次のように記されています。「こんにち人類史の新しい時代が始まっており、深刻で急激な変革がしだいに全世界に広まりつつある。人間の知識と創造的努力によって生じたこれらの変革は、人間自身の上に、また個人および団体の判断と欲望の上に、人と物についての考え方と態度の上に、はね返ってくる」、「人間はその力を大きく広げてゆくが、それをいつも人間の役に立たせるようにすることができるわけではない。人間は自分の精神の深層にまで深くはいっていくように努力するが、自分自身については、しばしばいっそう確信を持てなくなっている」(4項より)。
 今やヨハネ・パウロ二世帰天の年となったこの2005年度は、一方で「第二ヴァティカン公会議」が終わってちょうど40年という年でもあります。この公会議以降(1965年以降)、「教皇」は、それまでの君主的なイメージによる曲解を逃れ、「対話の使徒」として知られるようになった、といっても、もはや言い過ぎではないと思います。

 あるジャーナリストが「ヨハネ・パウロ二世が残したものは『対話する』ということだった」といっていましたが、わたしもそう思います。たとえば、わたしたちはよく「あいつと話していても全く気持ちが通じない」とか、「あいつとは口もききたくない」と軽々しく言ってしまうことがあります。「どちらかが正しくて、どちらかが間違っている」、と考えたほうが、場合によっては両者にとってどれほどスッキリとすることでしょう。ですから「対話」とはそう簡単なものではありません。自分を保ちつつ、しかも自分と意見の違う相手に耳を傾けることの難しさは、一人一人の生活が多様化すればするほど各人にとって困難なものとなっていきます。それはほとんど不可能とさえ思えます。
 しかしながら、現代の教皇たちは、なんとこの「対話」をやってのけてしまった人たちなのです。現代という時代に照らして、骨董品ではない「生きた福音」を社会にもたらそうと、第二ヴァティカン公会議を招集した教皇ヨハネ二十三世。労働問題を懸念してローマ市街の工場にも足を運んだというパウロ六世。そして、ヨハネ二十三世の精神と、パウロ六世の精神とを合わせて引き継ぎたい、という思いから、教皇名を「ヨハネ・パウロ」とし、短い期間ではあったが、寛大さと陽気さで教会に希望を抱かせたヨハネ・パウロ一世。更に、その三人の教皇たちの精神を全て引き継ぎたい、という願いから、カロルは「ヨハネ・パウロ二世」という教皇名をみずから選び取りました。ひょっとしたら公会議後の教皇の具体的な活動内容および祈りのスタイル等は、ヨハネ・パウロ二世によってようやくその実を結び、公に示されたのかもしれません。それは先にもいいましたとおり「対話の使徒」という教皇像だと思います。
 「すべての正当な相違を承認したうえで(中略)すべての人の間に、常に実り豊かな話し合いを育てることが要求される」、「われわれすべてが霊の勧めを忠実に受け入れて力強くそれに従う者となるために率直な話し合いが期待される」(『現代世界憲章』92項より)。
 さて、色々と書いてしまいましたが、このところわたしは、晩年のヨハネ・パウロ二世のお姿を、本当に見ていて痛々しかったお姿を、教皇用の白いスータンを着て、紋章入りの白い帯を締め、アシステンテスの司教様方に付き添われ、手を引かれていたそのお姿を思い起こしながら、ヨハネ福音書21章におけるイエスとペトロとのやりとりを、そこに重ね合わせて見たりします。
 「イエスは(ペトロに)言われた。『わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。』ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』といわれた」(ヨハネによる福音21:17〜19)。



洗礼を受けて
                    イグナチオ・デ・ロヨラ 下津 智秀
洗礼を受けてとてもうれしいです。
三年間教会学校で教わってやっと洗礼を、受けることが出来ました。
洗礼のときの水がとても冷たかったです。ご聖体をいただいたとき、にがいなーと思いました。
プレゼントの“アートバイブル”はとてもいい本でした。
洗礼名のイグナチオ・デ・ロヨラの『霊操』を今読んでいます。
僕の洗礼名はイグナチオ・デ・ロヨラです。
お母さんが持っている『聖人略伝』を見て決めました。
他の聖人を見ても何となく自分にあいそうもない人が多くて、なってくれそうな感じの聖人の人が女の人だったりして、イグナチオ・デ・ロヨラがなってくれそうな人だったからイグナチオ・デ・ロヨラにしました。イグナチオ・デ・ロヨラはイエズス会をつくった人です。
洗礼については神父様と話して決めました。

洗礼を受けて
                           使徒ヨハネ 石綿 凌
洗礼を受けることができて良かったです。うれしかったです。人がいっぱいで少しドキドキしました。ご聖体をいただく前、ワクワクしました。味は少しにがかったです。喜び一派になりました。これからもイエス様のことをいっぱい勉強したいです。パーティの時みんなに「おめでとう」と言われて「やったー!」と思う気もちになりました。

せんれいをうけて
                    マリア・ベルナデッタ 石綿 日向子
イエスさまのお体をいただいてうれしかったです。イエスさまがわたしの体の中にヒューッと入るかんじがしました。おいしかったです。力がわいてきました。「もう一ついただきたかった。」とママにいったら「らいしゅうからもずっとしぬまでいただけるよ。」といわれました。しあわせです。

子共達の受洗
                                    小さきテレジア 石綿 美穂
17年前、教会で結婚式を挙げたとき、約束書にサインしました。その中に「生まれてくるすべての子供がカトリック教会で洗礼を受け教育されるように」というのがありました。やっと神様との約束が果たせました! 3年前の御復活祭に初めて多摩教会を訪れ、そして今回同じ御復活祭に子供達が洗礼のお恵みをいただくことができました。加藤神父様をはじめ、お勉強を教えて下さったシスター久野、代父様、代母様、教会の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。神様の子供としてふさわし人間に成長してほしいと思います。

洗礼を受けて
                                                 手塚 薫
 ぼくは復活祭の日に洗礼を受けました。洗礼を受ける前は、ぼくより小さい子どもも、御聖体を頂いているので、教会に行くのが面倒くさかったこともありました。でも、毎週欠かさずに、教会に行きました。そしたらだんだん友達もできてきて、楽しくなってきました。
洗礼を受けたときは、すこしすがすがしい気分になりました。その後に御聖体を頂いたときは、やっと自分も教会に仲間入りしたような気がしました。これからもその時の気持ちを忘れずに毎日お祈りしたいです。ありがとうございました。

洗礼を受けて
                                             手づか ひとみ
 三月二七日、洗礼を受けました。朝、九時に来てリハーサルを、やりました。私の代母さんは、高橋さんでした。聖水をかけられた時は、びっくりしました。それに、つめたかったです。リハーサルの時は、火を使わなかったのですが、本番の時は火がついたろうそくだったので、落とさないか心配でした。ご聖体を頂いた時は、あまり味はしませんでした。ぶどう酒をつけると、少し苦くなりました。でも、前みたいにしゅくふくを受けないで、みんなみたいにご聖体をいただけることが、うれしかったです。加藤神父様、シスター久野、高橋みほちゃんのお母さん、ありがとうございました。

はつせいたいをうけて
                                    ガブリエラ・シュビンスカ
きょうは、わたしのはつせいたいがありました。楽しかったです。ありがとうございます。

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