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2006年8月号 No.396  2006.8.19

察する文化のなかにあって 加藤 豊神父
八巻信生さんのこと 北村 司郎  
手招き 福井 英夫
聖書に親しむ6 神井 貢成
教会学校合宿に参加して くろだ けいか 他

察する文化のなかにあって
                                           加藤 豊神父

 路行く親子の会話です。ケーキ屋さんの前を通り過ぎるお母さんと娘さん。「早くしなさい」とお母さん。「ねえママ、ここのケーキ美味しいんだって」と娘さん。「ああそう、それじゃぁ、パパの分も合わせて3つね」とお母さん。事件は二人が家に帰ってから起きました。「こんなもんいらないよ」とお父さん。「だってこの子が買ってってせがむんだもの」とお母さん。「わたし買ってなんて言ってない!」と娘さん。確かに「買って」とは言っていない。 
 さてこの一件、要するにお母さんの独り相撲が招いた結果なのかというと、そんなことはありません。娘さんには明らかにケーキを買って欲しいという潜在的な要求が見て取れます。お母さんは娘さんの要求を顕在化しただけですね。ただ、できればもう一歩踏み込んで「欲しいの?、食べたいの?」と、娘さんに訊いてみればよかったのですね。自分の意志をハッキリと相手に伝えることを控えてしまう傾向は、この場面での娘さんのみならず、わたしたち日本人の特徴かもしれません(いうまでもなく人によって差はありますが)。娘さんずっとこのままだと、自分の意志をハッキリ相手に伝えなくても難なく自己実現が可能であるかのような、そんな錯覚のうちに育ってしまうような気がします。そしてお父さん、なぜお母さんがケーキを買ってきたのか、わけも聞かずに、その場の反応だけが言葉となって出てきます。これもわたしたちの悪い癖で、理解しようとする前に私情のほうが先行するのです。
 真夜中に子供が「痛いよ!痛いよ!」と泣き出しました。その子はもともと泣き虫な男の子ですが、流石に心配になった両親は、「どうしたの?」と問うばかり。しかし、その子は「痛いよ!痛いよ!」を繰り返すだけ。これは困ったと両親はその子を連れて病院に行きました。お医者さんは訪ねます。「坊や、どこが痛いのかい?」。するとその子はポツリと「お腹っ!」。どうやらアイスクリームの食べ過ぎで、しかもエアコンによる寝冷えが原因だったらしいのです。このご両親、どうして最初に「どこが痛いの?」と問わなかったのでしょうか。そして男の子、どこが痛いのか(否、当初はそれが言えないほどの腹痛だったのかもしれませんが)どうして訴えなかったのでしょう。やはりこうしたやりとりからも、察することや、察してもらうことにあまりにも慣れ過ぎている傾向というか、対話の不充分さが見えてきます。
 ところで皆さん、お祈りしてますか?それはどんなお祈りですか?神様と「対話」してますか?。「神様は何でもご存じだから大丈夫!」なんて思っていませんか?。もちろんそれを体験しているのならまったく心配はいりません。「洗礼を受けているから平気です!」。でも、だからこそ背負っているものがあったりします。「神様のみ旨」って何なのか?、わかっているつもりでいるのは危険なことで、何故って、神の名によって争いが正当化されているのですもの。
 心の底からハッキリと祈り、神様と正面から向き合うことができればと思います。気に入る返事だけが返ってくることはあり得ませんが、「対話」とは大概そういうものでありましょう。

八巻信生さんのこと
                                           北村 司郎

 八巻さんが亡くなられたという報を私は舞鶴で聞いた。自分の中の大きなものを失ったという感はあったが、寂寥感をどのように言葉に表してよいか言語化できない状況は今も続いている。お通夜の加藤神父様の説教や葬儀の寺西神父様の説教を聞きながら、八巻さんとの35年間を考えていた。
 八巻さんとの最初の出会いはたぶん1971年の9月だったと思う。八巻さんがニュータウンに入居され、カトリック新聞に投稿した記事を読み、電話したのが最初であった。それが同年12月のニュータウン最初の八巻氏宅でのクリスマスミサにつながっていくのであるが、その時すでに、彼はニュータウンとその周辺地域の信徒の動向を、周りの神父様方の協力で掴んでおられた。
 ご存知のように八巻さんはマスコミ関係で働いておられたので、記録は正確にとられる方であった。多摩教会の歩みを記録したあのノートは何冊になっているのであろうか。たぶん、その中には私の電話も、その後の信徒の集まり、クリスマスミサ、全て記録されていることと思う。当時のことを書いている私に、「もっと正確に書けよ。」とはにかんだような笑顔で言われそうであるが、とにかく多摩教会の歴史を書き続けてくれたお陰で、今も記録として残された。
 多摩教会発足の東京教区の通知には「現在のところ、一定した聖堂など建物はありません。」という文章と、連絡先に主任司祭の寺西神父様と八巻さん宅の住所と電話番号が載っていたのを記憶している。それは、クリスマスミサの際、「ニュータウンに教会を」という私たちの要望に白柳大司教(当時)は「教会は建物ではありません。みなさんが集まったところが即教会です。」の言葉を実現してくださったのだと思う。加藤神父様が通夜の説教の中で、教会の原点を考える必要性を説いたが、「私たちのあつまるところが教会だ」というのが原点だと思う。八巻さんが死の直前まで多摩教会のことを奥様に話されていた、とお聞きしたが、私の勝手の想像であるが、私たちの集うところが教会だという原点から常に多摩教会を見守っていたのだと思う。
  「旅する教会」はたぶん、寺西神父様の命名だと思うが、旅の中心に八巻さんはいた。そして旅の方向を司祭と一緒に模索した。当時のニュータウンは鉄道もなくマスコミからは「陸の孤島」と揶揄されていた。多摩教会3年史の表題は「荒れ野から」だった。まさに多摩教会の旅であった。事実、当時は風が吹けば砂塵が舞い、あっという間に谷が埋められ、建物が建ち、道路ができる。そんな中で教会は一ノ宮から関戸ビル、そしてシャンボールヘ移っていく。他教会から遊びに来た青年から「多摩教会っておもしろい。」と言われて、八巻さんが満足そうに笑っていたのを思い出す。今から考えると若者の発想だったのかもしれない。建物がなくとも、いろいろなことができた。八巻さんも40歳代前半で、それを取り巻く私たちは30歳代以下、20歳代の若者もいた。
  「新しい聖堂が建ったら、私が葬儀第一号」は、八巻さんの口癖だった。その意味からすれば、八巻さんが予想したより早く今の聖堂ができたということだろうか。
                                                                      (以下次号へ)

手招き ― 代父八巻信生さんを偲んで ―
                                             福井 英夫

 2006年8月5日
 私の洗礼の代父 八巻信生さんが神に召されました
 
   多摩教会を愛し
   お酒を好み
   無口で笑顔が少なかった
   多摩カトリックニューズの初代編集長

   多摩教会建立のために
   たくさんの努力
   たくさんの時間
   たくさんの会話
 私達信者の希望を背負って
   いっぱいの奉仕 ありがとうございました
 八巻さんの努力が実って立派な教会が誕生しました
   「私が一番にこの教会から旅立って行くからね」
 八巻さんは口癖のように話していました
   一番でなくて残念でしたね

 教会で八巻さんの席は祭壇に向かって左側の後ろの席
 いつも同じ席 八巻さんの指定席

 八巻のお父さんに会うと必ず手招きされます
   「私、あと一ヶ月位しか生きられないと思うよ・・・」
   「あと一ヶ月の命と言いながら三ヶ月も生きているんだな、あとどの位かな・・・」
   「私の息子だからその時はしっかりと頼むな忘れるでないぞ、わかったね」
 会う度にこのような冗談の連発でした

 12月に家族から喜寿のお祝いを・・・
 2006年8月5日 八巻のお父さんは旅立ちました
 お通夜 告別式の席は不思議に何故か
 八巻のお父さんの指定席近くで八巻さんを見送っている私

 八巻のお父さんお願いですから
 天に召された後私を手招きして呼ばないでくださいね
 私、しばらく下界で暮らしたいですから
 いろいろとありがとうございました
   八巻信生さん 神さまから手招きされましたね
                            やすらかに

聖書に親しむ
   ちょっと違った角度から(6)
                                            神井 貢成
”At the eleventh hour ”
      “土壌場”

「5時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので『なぜ、何もしないで一日中ここに発っているのか』と尋ねると、彼らは『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。」 (共同訳・マタイ20章6-7)

Going out about five o'clock,he found others standirlg around, and said to them,‘Why do you stand here idle all day?’ They ansewered, ‘Because no one has hired us. ’ He said to them,‘You too go into my vineyard.’ (New American Bible)

このことばも非常に有名で、「ぶどう園の主人が労働者を朝から集めるのですが、夕方の五時になっても、まだ仕事に付けない人を見つけて、仕事を与える、という話で、神の恵みはどんな人にも平等に与えられる」というたとえで、何度も福音朗読で耳にされていることだと思います。 しかし、驚く事に原文では下記のように訳されておりました。

And about the eleventh hour he went out, and found others standing id!e, and saith unto them, Why stand ye here all the day idle? They say unto him, Because no man hath hired us. He saith unto them, Go ye also into the vineyard; and whatsoever is right, that shall ye receive.

現代では英語でも上記のNew American Bible にあるようにAbout five o' clock となっていますが、原文を訳した時の聖書ではAbout the eleventh hotr (第11時) となっていました。
これは、朝6時から数えて第11番目の時【時間】という数え方に由来するとのことです。

この表現が何故「土壇場で」という意味に使われるようになっかと言いますと、「もう夕方になってしまい、今日の仕事にはありつくことが出来ないと諦めかけていたところ、幸いにも仕事にありつけた」つまり、土壇場で仕事にありつけたという事から生まれた表現で、「土壇場で」とか「ぎりぎり【最後】になって」という意味で使われます。一般にはAt the last moment なんて言う表現を使いますので、At the eleventh hour などとは現在では使われませんが、ここにも聖書からの表現が文化として生きているのです。

神様のお恵みがいつも平等に、どんな人にも与えられているという事を確信させてくださるたとえの中にさらに深い意味を表された表現があることに驚かされます。
たとえ私たちが土壇場とか、ぎりぎりになった状態に陥ったとしても、それは土壇場ではなく、必ず神様のお恵みに与かれることを感謝し祈りを捧げたいと思います。

教会学校合宿に参加して
                                            1ねんせい くろだ けいか
 きょうかいがっこうのがっしゅくにさんかして、いちばんたのしかったことは、みさのれんしゅうでうたをたくさんうたったことです。ばーべきゅーもはんばーがーがおおきくって、かばみたいなおくちでたべておいしかった。おいのりもいっぱいできてうれしかったです。

                                             い ゆんさん
 じしゃがたのしかった。

                                             あべ よしゆき
 きのうもうじゅうがりげーむがたのしかったです。  

                                             たかはし ひでゆき
 たまかとりっくきょうかいで、せんこうはなびとかがとてもきれいだった。

                                             おおつか がく
 はなびがたのしかった

                                             ウェケ シーラ恵 
 やおやさんがたのしかった。もうじゅうがりに行こうよもたのしかった。夜はあんまりねむれなかった。夜ごはんはカレーでおいしかった。あさはいなくてバーベキューができなかった。けどたのしかった。また来年もいきたいな。

                                             宿里 悠奈
 やおやさんがおもしろかった。でも、やおやの店ほんとうは、行ったことないんだ。でもとってもおもしろかった。またやりた〜い。またとまりたい。

                                             ごう原 そうた
 きのうもうじゅうがりとやおやさんをしました。ぼくはいすの上にたってうたいました。そのあとじゃんけんでん車をしました。でも一回しかかちません。たのしかった。

                                              い じゅうひゃく
 大やど公園ですいかわりをして、そのあときょう会にかえって夕食のカレーライスを3はいたべたのがおいしかった。

                                              こじま こうしろう
 おおやどこうえんは、はじめてです。おにごっことかサッカーとかしておもしろかったです。また大やどこう園にいきたいです。

                                               宿里 春奈
 合宿一日目の夜に花火をやりました。全員でやった花火はとてもきれいでした。小学生で最後の合宿だったので、いい思い出ができてよかったです。

                                               高橋 美穂
 今回の夏季合宿で一番思い出に残った事は、花火です。線香花火やふつうの花火(?)をやりました。そして、夜、友達と夜おそくまで(だいたい1時半から2時位)しやべって、朝早く(5時50分)おきました。おかげで二日は、とて〜もねむかったです。

                                               下津 智秀
 いろいろ日常生活ではできないバーベキューとかをやったりしたり、低学年の子とあそんだりしてとてもたのしかったです。小学生最後の合宿は−ぱくしたけれど、その−ぱくがやけに短いように感じました。

                                   ヨゼフルカ 小島 慶太郎(高2)
 主の平和 僕にとってこの夏季合宿は突然で、別に楽しみにしたわけではないが、侍者の勉強や団体でゲームなど楽しめて本当に良かったです。でも、やはり一番は、この多摩教会で子ども達と思い出をつくれた事が何より嬉しいです。これも、また、神様の巡り合わせと考えれば感謝であり、幸福です。

                                                大瀬良 誠
 子供達の笑顔で、部活の疲れが吹っ飛び、楽しくすごす事が出来ました。ゲームや花火をしている時の笑顔が特に良かったです。可愛い弟や妹分の為に来年もまた参加したいと思います。最後に保護者の方々へ、もっとこき使っていただいてもかまいませんよ。来年は気楽に声をかけてください。

                                                塚本 博幸
 私は、7月28日・29日に小学生のキャンプに高校生リーダーとして参加した。初日は大谷戸公園に行き、BBO後にみんなで遊んだ。小学生の運動量は著しく、帰るころにはクタクタになっていた。その後銭湯に行った。ここでも子供達は元気いっぱいで、周りの人に迷惑がかかっていないか、少し心配だ(笑)。夕食(カレー)を食べて花火をしたあと、みんなで二階でレクリエーションをした。子供達には「もうじゆう狩り」のゲームが人気だったようで、布団を敷いている間もみんなのテンションは高かった。二日目はずっと、ミサの練習(侍者や歌など)を行って、その後のミサ&翌日の子供ミサに備えた。なかなかハードスケジュールで、リーダーとして参加したのも初めてであったので、非常に疲れたがいい経験だった。

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