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2006年11月号 No.399  2006.11.25

終末の時 星野 正道神父
多摩教会の墓参をして来ました 竹内 秀弥  
秋の遠足「神学院ザビエル祭」に参加して 石塚 時雄
ザビエル祭をたずねて 中村 秀美
斜に構えた信徒の独り言 クリスマス JMK

終末の時
                                星野 正道神父

 11月は死者の月です。多摩教会でも11月の第一の土曜日、日曜日にたくさんのすでに帰天された方々のためにご一緒にお祈りをしました。みなさんのお祈りを先立った方々がとっても喜んでくださっていることはまちがいがありません。こうして天と地が一つになっていく時、わたしたちは終末の時へとこころを向けます。ひとり一人の死はひとり一人の終末です。ひとり一人が神さまに抱き取られてその人生を完成させます。たとえどれほど立派に、正しく誠実に生きたとしても、わたしたちの命を完成させてくださるのはその命の与え主である神さまです。それと同じようにわたしたちはこの世で神さまのみこころにかなう愛と平和が支配する世界を築こうとしていますが、それを完成させてくださるのは神さまです。この世界の完成の時が終末の時です。そのとき21世紀の日本社会を生きるわたしたちは次のようなイエスの言葉をはっきりと聞くことになるでしょう。
 「わたしの天の父に祝福された人たち、この世界が神によって創られた時からあなた達のために用意されていた国を受け継ぎなさい。なぜなら、あなた達はわたしがだれからも声をかけてもらえなかった時にメールをくれ、だれからも仲間扱いしてもら
えなかった時に『家に来れば』って言ってくれ、みんなにシカトされ、『おまえなんかいなければもっとクラスがたのしくなるのに』って言われていた時そっと下駄箱の中に手紙を入れておいてくれたからだ。はっきり言っておく。わたしの兄弟姉妹であるこのもっとも小さい者の一人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことになるんだ」。
 いじめが死ぬほどの苦しみであることを、無言のうちに世を去ったこどもたちや校長先生が身を切るような声で訴えています。それは今を苦しむキリストの声です。 
 今わたしたちがすぐにできることをまず始めましょう。
うちの子がいじめられているのでは、と心配すること。いじめられないように学校に要求すること。これも大切です。
 でも、もっと大切なことがあります。それは、もしかしてうちの子がいじめをやっていないだろうか、と心配することです。もしそんな気配があったら必ず連絡してくださいと学校やともだちにたのむことです。いじめている子は、しばらくは何の被害もないように見えます。しかし、まわりのこどもたちが成長してしまえばもっともいやがられる存在になってしまうのです。そのうえ、青年期になってからの友人関係、恋愛、結婚生活、子育てといった人生の大切な場面で自分と相手を信頼できなくなって行きます。そしてもっともそばにいて、人生を支えてくれている人との関係をこわしていながらそれに気づけなくなってしまいます。すこし極端かもしれませんがヒットラーの生涯を思い浮かべてみてください。いじめをやっている子はたいへんな負荷を背負って生きていかなければならなくなるのです。
 終末の時は神との出会いの時です。それがいつだかわかりません。だから今日できることをしっかりとやっていきましょう。神のみこころにかなった世界を準備するために!


11月5日、多摩教会の墓参をして来ました
                                竹内 秀弥

 小春日和と言うには暖か過ぎる11月5日。主日のミサ中の10時半に、教会から3台の車に分乗し、五日市霊園の中にある多摩教会の墓地に向かって出発しました。
 今年の墓参は、毎年教区の合同追悼ミサが行われるこの日に合わせ、ご参加の皆さんと一緒にお祈りをし、同じ区画内にあるご家族の墓にも、お参りをしてきました。
 教会から車で出発した10数人と、電車や車で直行された方たちと全員で20名ほどが墓地の周りをきれいにし、お花を飾り、そして先の巡礼の折、加藤神父様が持ち帰られたルルドの水で一人一人が墓碑に潅水をし、お祈りをしました。
 2時から始まるあきる野教会でのミサは、参加者が聖堂の外までにあふれる程で、早めに入った我々も、殆どの者は後ろの立ち席で与りました。ミサは、幸田司教様を主司式者に多摩北宣教協力体の司祭による共同司式で行われ、そのため大勢のご聖体拝領の人の進行もスムーズに短時間で済みました。
 往復の新青梅街道も休日にもかかわらず非常に空いていて、私達の車の班は4時前に教会に戻りました。
 一緒に墓参をされた中に、昨年帰天された川原さんの弟さん夫妻も、習志野から片道3時間かけて来られたとのことで、お二人とも未信者にも関わらず、ミサに与ってから帰られました。また、八ヶ岳のふもとから前日、東京におられるご子息のところで一泊され、それから3人で参加された金さんご夫妻は、多摩教会の納骨堂使用権を求めたいとのご希望があり、その下見も兼ねて来られたのですが、ご子息共々気に入って(?)頂いたようで、近いうちに刻字をされる運びになり、お勧めした私もホッとしているところです。
 来年からの多摩教会の墓参は、教区の合同追悼ミサの日に合わせて行うことにし、そのため月の第一日曜日に行われる司牧評議会は、次の週にずらして開く事にしましょうとの神父様のお話しがありました。


秋の遠足「東京カトリック神学院ザビエル祭」に参加して

                              石塚 時雄
  11月23日(祝日)朝8時15分、教会に24名が集まりました。今日勤労感謝の日は多摩教会の秋の遠足です。今年は丁度この日に東京の神学院の学園祭「第38回神学院ザビエル祭」があるので、これに参加するという企画です。
 50人乗りの大型バスがすでに待っていました。橋本にある大東観光交通鰍フ貸切バスです。皆は今日の会費2千5百円を支払って8時30分に出発しました。バスの中で加藤神父が神学校の現状を分かりやすく説明してくれました。1990年からCP制度(独自の養成制度)と言って、それまでは神学生の学問習得を上智大学神学部の講義に参加していたのを独自・自前で講義を設ける方式に転換した。加藤神父自身はCP制度発足前の最後の卒業生だったそうです。神学院は6年制で最初は哲学科2年、次に神学科4年、しかも最初の哲学科1年生は那須の「ガリラヤの家」で農作業や知的障害児との関わりを通した祈りと労働の生活を送り自分の信仰を徹底的に見詰め直すのだそうです。話はみんな始めて聞くことばかりで驚きの連続でした。神学生は全部で33名いて、年齢も広範囲(50才の神学生もいる!)、国籍も多国籍化(フィリピン、ペルー、ベトナム…)。また神学生は木曜日が休日で、土曜・日曜日はそれぞれ教会に派遣される。神学生は専ら教区司祭(小教区の主任司祭)になることに目標を絞って養成されているのだと理解しました。
 このような加藤神父のお話を夢中で聞いていましたら、バスは快調に走り55分で練馬関町の神学院に着きました。私たち多摩教会のバスの他にいくつもの貸切バスが並んでいました。木々の多い閑静な住宅地の中で、広々とした敷地内に6年前に新築された建物は落ち着いたたたずまいでした。10時から中庭で屋外ミサが行われました。平田神学院長が主司式され加藤神父ほか大勢の神父の共同司式です。全国から千名近い信者が集まっていました。こんなに大勢でともに祈りをささげることに感動しました。とても良いミサでした。
 ミサ終了後、20の模擬店が販売開始しました。「ぎんなん」が大人気商品で、神学院の裏庭にある大銀杏の木から取れたものです(1袋250円)。また静岡の「ラルシュ・かなの家」の売り場には多摩教会の求道中の萩原君が自前の大声で「かなの家・石鹸」の販売を手伝っていました。昼食は我々はバスで配られたすし弁当を食べました。食べていたら“そのすしはどの模擬店で買ったものか?”と何人にも聞かれ“多摩教会で事前に買ってきたものだ”と説明するとガッカリされていました。この間、懐かしい旧友にも会いました。関西や名古屋にいる者です。神父さんや修道女にも挨拶しました。「教区」を離れた催事は珍しいからです。
 「院内めぐり」に参加しました。宮内神学生(神学科1年・横浜教区)が神学院の敷地内を校舎棟、北棟・南棟(神学生の宿舎)…の順に案内してくれました。神学生の個室のドアがすべて空いているのでのぞきました。ベット、机、本箱が並んでいます。部屋ごとに雰囲気が異なります。大阪教区の神学生のドアにはタイガースの応援旗が張り出されていて思わず吹き出しました。神学生でも大阪人はみんな熱烈なタイガースのフアンなのだ!
 子供むけにいくつもの催しがありました。サッカーやバスケットボールのシュート遊びや「お化け屋敷」などです。“おばけになる神学生”も大変だろうナと思いました。大勢の子供たちが嬉々としていました。
 こうした楽しく過ごし、帰りの集合時間になりました。バスが正門近くに待機しておりました。バスは帰途も混まず快調な走りです。加藤神父はバスの中村運転手の道の選択の仕方をさすがプロだとほめていました。車中で加藤神父は求道・勉強中の萩原君を皆に紹介し来る復活節に洗礼を受けるお恵みを…と話し、萩原君は「復活祭で洗礼を受けられますよう皆様よろしくお願いします」と挨拶した。
 バスは多摩教会に2時30分に到着、楽しかった遠足を終了した。その時、隣にいた方が言った。『今日、初めて神学院に行き、神父様の養成ということが私たち全員の大切なことだとよくわかりました。今後「一粒会献金」があれば一生懸命やります。』と、私も同感でした。


ザビエル祭をたずねて
                                             中村 秀美

 この日は、とても寒い日になりました。20名ほどの参加でしたが大型バスでゆったりと座りながら、1時間ほどで着きました。
 神学院は、外見、内部とも、とても現代的な建物ですが、どこかキリスト教の歴史を感じさせる、落ち着いた雰囲気がありました。私たちが到着したときには、すでにたくさんの方がみえていました。10時からのミサは屋外で寒かったのですが、聖体拝領のときになるとズーッと薄日がさし、イエス様がこの場にいらしてくださったのだと感じられました。さまざまな地域からの参加者とともに捧げたミサは、多摩教会でのミサとはまた一味違い新鮮な感じがしました。
 いろいろな出店があり、また歌声が聞こえ、子どもたちの声が響きわたる中で、いつもならひっそりと静寂のなかですごしているだろうなと、普段の神学院のようすを想像してみたりもしました。普通の学校の学園祭とは違い、神様の勉強をしておられる方々の穏やかな雰囲気の中でのすてきな集いでした。
 多摩教会に神学院の方か時々いらっしゃいますが、これからは親近感をもちながら、お話ができそうです。
 この遠足を企画していただいたみなさんに感謝いたします。
 ありがとうございました。



斜に構えた信徒の独り言 クリスマス
                                                 作:JMK

 時間の経過とは何と早い事か。“光陰矢の如し”とはよく言ったものですね。他に『禅門祖諸偈頌』には“光陰耶箭(や)の如し”とか『古今和歌集』には“梓矢春立ちより年月の射るが如くも思ほゆるかな”などと言われ、更に類似した言葉として“光陰矢をつく如し”、“時節菜が縷々が如し時人をまたず”とか“暇ゆく駒”などがありますね。英語でもTime and hour are not to be tied with a rope. (時間はしばりつけることはできない)、Time fliess like an arrow(時は矢のように飛び去る-光陰矢の如し‐)、Time passes like the wind.(時は風のように飛び去る)なんて表現もあります。これら全ては如何に時の経つのが早いかを表している言葉ですね。...
....なんて言っているうちに、今年もクリスマスを迎える時期になってしまいました。本当に光陰矢の如しです。
 毎年、自分勝手に思っている事ですが、巷のケーキ屋さんでは12月25日の夕方(日没)からあわててクリスマスケーキの値引きを始めることに一人でにんまりしていたのですが、実は、彼等は昔の暦を知っているのではないか・・・なんてね。だから、ケーキ屋さんはクリスマス・イブに賑々しくクリスマス・ケーキの販売を行なっているのではないかな?!・・・ってね。
 つまり、クリスマスの前夜祭としてイブが祝われるのですが、これはその昔、日没で日付が変わった事と関係していて、12月24日の夜は、実は12月25日の始まり、つまりはイエス様のお生まれになった日であり、御降誕をお祝いする日としてケーキ屋さんは一生懸命にケーキを販売しているんだな....そして12月25日の夕方、つまり25日の日没後は12月26日になってしまうので、ケーキ屋さんではお祝いのケーキを大急ぎで売り切ってしまおうと値引きや大安売りをする.....これは、日本のケーキ屋さんで昔の暦を知っていて、それを商売に結び付けているとは考え難いのですが、もし、その事を知っているのであれば、それはキリスト信徒よりしっかりとイエスの御降誕の日を知っていることになるのではないでしょうかね。しかし、ケーキ屋さんが真の意味を知っているのではないことは、信徒の目から見れば誰でもがわかることです。クリスマス(Christmas)の語源は、キリストに捧げるミサ、つまり礼拝です。降誕祭は、神であるキリストがこの世に降り、人として誕生したことを記念する日です。
 実際にはキリストと呼ばれたイエス様がいつお生まれになったのかはわかっていません。聖書ではキリストの降誕の記事に羊飼いたちが野宿していたとあるので、少なくとも冬ではないだろうとも言われています。つまり、イエス様の誕生日ではなく、あくまでも“イエス・キリストが世に来られたことを記念する”日なのです。キリスト教がヨーロッパに伝来したときに、当時祝われていた冬至の祭り(12月25日)と合流したのではないかと考えられています。つまり、それは冬至を境にして昼が長くなる、太陽がよみがえる祭りであったそうです。ローマ・カトリックでは、太陽崇拝時の太陽の誕生の祝日に「正義の太陽」であるイエス・キリストの誕生を重ねて祝うようになったのです。
 また、クリスマス・セールも待降節の始まりから行なわれますが、これが理由かはわかりませんが、「アドヴェントクリスマス」という誤解が生じるわけもわからなくはないですね。「待降節」は過去と未来の二つの「降臨」について祝うのがならわしであるようです。すなわち、ベツレヘムでイエス・キリストが誕生した「過去の降臨」と、将来主が再臨し、「最後の審判」を行い、神の御業が完結する「未来の降臨」への期待・準備という二面性を併せ持っています。「待降節」(降臨を待つ)、英語のAdventの意味も「ad」は方向を表す接頭語{〜へ}であり、「vent」は「来る」を表す語根で、双方の言葉を合わせて主の降誕を表す「待降節」となるのです。そんなわけで、巷の賑わいとは別に、せめて聖堂内は厳粛な記念の時空を超えた場として静かに、そして厳かに主の降誕を祝い、感謝したいと願うのは私だけでしょうか。

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