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2007年2月号 No.402  2007.2.17

ごらん空の鳥、野の白百合を 星野 正道 神父
それぞれの召命 加藤 豊 神父  
『07 新春聖地巡礼』のツアーに参加して 中原 信一郎

ごらん空の鳥、野の白百合を

                                                星野 正道 神父

 久しぶりにゆっくりとDVDを見ました。「ブラザー・サン シスター・ムーン」という映画でした。イタリアのアシジで活躍したフランシスコの半生を描いたものです。音楽もとっても美しかったです。1972年の作品です。みなさんの中にもごらんになった方がたくさんいらっしゃることでしょう。
 この映画の中でフランシスコはたくさんの聖書の言葉を感動的に語ります。その中でも彼がもっとも共感しながら語るのがマタイの6章25節からのイエスの説教です。イエスは言います。「空の鳥をよく見なさい。種も蒔きません。倉も持っていないのです。でも天の父はこれらの鳥を養っていてくださいます。また、野の花をよく見なさい。働きもせず、紡ぎもしません。きょうは生えていて、明日は炉に投げ込まれる野に咲く花々をさえ神はこんなに完全に装わせてくださいます。」鳥には何が必要なのか、野の草には何が必要なのか天の父は十分にわかっておられます。ましてや人間にとって何が必要か、知り抜いていてくださいます。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」とおっしゃいます。何を食べよう、何を飲もう、何を着ようとは比べられる世界だけにしか反応できなくなっている状態を指しています。比べられる世界だけに関心を限定させると人はますます不自由になっていきます。空の鳥や野の花の自由からますます遠くなっていきます。そして、まわりの人たちのことを競争相手、敵だと見なしやすくなります。だからイエスは言います。「まず何よりも、神の国とその義を求めなさい。」そうです。比べられることばかり、目で見て比較できる世界だけではなく、どれほど神に愛され、神さまとつながっているかを知りなさいとおっしゃるのです。フランシスコは絶対的に神さまに愛されつながっていると言う確信があったのでまったく自由な人として生きました。
 今年も四旬節を迎えます。四旬節は回心の時と言われています。今年はこの自由をテーマに回心のプロセスを過ごしてみるのもいいのではないでしょうか。

・ わたしはきょうの苦労に真っ正面から取り組んでいるだろうか。それとも明日のことを思い煩ってたくさんの苦労を数えあげ、ため息ばかりついていないだろうか。
・ 空の鳥や野の花のように天の父の心に無条件でかなっていると信じているだろうか。それともまわりの人と比較して自分もまんざらではないとか、ひがんでみたりし
てはいないだろうか。

 春がそこまでやって来ています。たまには広い空を見上げましょう。そしてあなたも、イエスを復活させた天の父の慈しみによって空の鳥、野の白百合になってみてはいかがですか。

それぞれの召命

                                                加藤 豊 神父

 本号において総会に関する記事は他にもありますし、巻頭言も星野神父様にお願いしていますので、わたしのほうからは総会についてその総評を語るよりも、信徒総会という「小教区の節目」についてお話しさせていただいたほうがいいと思いました。
 先ず、今年の総会に参加してくださった皆さんに感謝し、皆さんを賛えます。今回は沢山の人が出席なさいました。総会に多くの人が集まるのはすばらしいことです。毎年毎年、信徒総会の大切さが浸透してきているように思います。 
 包み隠さず申し上げれば、「信徒総会」と聞いただけで、その日のミサ後は人がすぐに帰ってしまう小教区も少なくないはずです。退屈なものとか、魂の救いと無関係なものとか、そういうイメージで捕らえられてしまっているからなのでしょうか? しかしそのイメージは果たして妥当なのでしょうか? ともあれ成熟した大人のカトリック信者であれば、きっとネガティブなイメージが先行して総会の大切さを感じ取れると思いますから、出席者が増えているというのは賞賛に値することでありましょう。活発で、かつ調和の取れた教会観は多摩教会の誇らしい側面です。どのような共同体であっても、その精神性が現わされる場が二つあり、それらは「ミサ」と「総会」に収斂されるといわれます。この二つの場の充実はある意味で共同体の充実なのでしょう。
 次に、総会を準備してくださった皆さんに感謝します。今回、わたしたち多摩教会は役員さん、地区委員さんの交代時期を迎えました。
 これまで3年の長きに渡り教会委員長をお引き受けくださった岩藤さん、ありがとうございました。そして本当にお疲れさまでした。並びに副委員長をお引き受けくださった川島さん、小田切さん、清水さん、どうもありがとうございました。
 また、これからの教会委員長をお引き受けくださる吉田さん、副委員長をお引き受けくださる神井さん、何卒、何卒よろしくお願いします。
 最後に、総会のためにお祈りしてくださった皆さんにも、この場をお借りしてお礼を申し上げます。事情があって教会に来られない、あるいはミサに来られないという人も沢山います。しかしそのような皆さんは、どうか「自分は所属教会のために何もしていない」とはお考えにならないでください。わたしは司祭ですから、子育ても主婦業も会社勤めも出来ませんし、真似したくても無理なのです。わたしには出来ない仕方でキリストと共に歩んでいる皆さんを素直に尊敬します。自分には出来ないことを誰かがしてくれているのです。教会への奉仕が種々の理由によって叶わない人の場合、その分、ご家庭で、職場で、つまりそのとき派遣された場でキリストと共に歩んでくださればと思います。そしてどうか教会への奉仕に励む人たちのためにお祈りください。その祈りはきっと共同体的な絆となり、教会の力ともなりましょう。
 大切なことは信仰を生きることであって、一人一人の生活そのものが召命ではないでしょうか? しかし、もし、そのような召命からも遠ざかってしまうとすれば、それはちょっと・・・。
 いずれにしても、一人一人の信仰生活の実りとして「ミサ」と「総会」が行われていますから、祈りで参加してくださった皆さんにも感謝を述べたいと思うのです。

『’07 新春聖地巡礼』のツアーに参加して

                                            パウロ三木 中原 信一郎

 この聖地巡礼の旅は、教会で広報されているものではないことを、初めにお断りしておきます。
 私自身、聖地巡礼は初めて、と言うより十数時間かけていく旅は、未知の世界なので、『わくわく!、どきどき!、ぞくぞく!』という感覚でした。
 前置きは、このぐらいにして本題に入っていきます。旅の参加者は、25名(ほぼ全員がCLCのメンバー)。団長はイエズス会の英ちゃん神父、案内は、河谷氏です。旅の期間は、2006年12月30日(土)〜2007年1月9日(火)で、私を含め4名は仕事の都合で早帰り班でしたので、帰国は1月7日(日)でした。移動は、全てバス(一般的な観光バス)でした。運ちゃんは、ガイドの親友のユダヤ人のオデッドさんであります。
 全員の集合時刻は、30日正午過ぎでした。私を含めて前泊組み6名おり、うち1名のトラベルスーツケースが空港トラブルで成田に着かず、最初の受難が・・・、当の本人も「信じられへんわ!」と困惑した表情でした。もちろん、損害賠償してもらえるので、エアポート内のユニクロで衣類をフル日程分調達した次第なのであります。全員の出国手続きも無事完了し、出発ゲートに移動し、15時過ぎにまずローマへ飛び立ち、約3.5時間ぐらいのトランジット(その間に、団結式も・・)の後、テルアビブに31日の深夜3時半に無事、到着。ちゃんとみんなのスーツケースも届いて「「ほっ〜!」」と一息でした。それよりも、聖地の最寄までこられた感謝と喜びで一杯でした。そして、数時間の仮眠のあと、シナゴーグ、主イエスの足跡を辿りはじめます。
 初日(31日)は、あいにくの雨模様でした。朝兼昼食後、カエサリアの大遺跡に訪問するが、現地に近づくにつれて、風雨共に非常に強くなり、その中、円形劇場の舞台で、聖歌を合唱しました。
 そして、導水橋(20km以上も北のカルメル山から市民の飲み水を引いてきた橋:2000年前からのもの)を見物し、夕方、ナザレに移動し、受胎告知教会でミサを行いました。建物正面には福音書の作者とされるマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4人の
レリーフが彫られています。
 奥の祭壇の地下に洞窟があり、そこは聖母マリアがお告げを受けたところである。その説明を聞いた時、自分が母の胎内で初めて宿られていたのをイメージしているとき、涙がこぼれました。受胎告知教会の内部には複数の聖堂があり、そこを巡回後、夜も大分更けてきたので、ガリラヤ湖岸にあるホテルに向かい、そのホテルで3連泊しました。その間は、天候にも恵まれ黙想の時間をとることができました。
 2日目は、朝8時に『山上の垂訓教会』の屋外にある祭壇を囲んで、小鳥たちのさえずりを聞きながら、ミサに与りました。ミサ後に黙想(約20分)をしました。黙想のテーマは、イエスが人々に伝えられた「幸いなるかな」で始まる8つの教えについて、各自が生活の中でどう感じ、実践していきたいかを考えてみるということでした。 庭園を散歩した後、「主が我が・・・・」と呼ばれたカファルナウム、午後はヨルダン川の源流フィリポ・カイサリアの古代ローマ時代のシナゴーグを見てまいりまし
た。3日目は、朝、カナの婚礼教会でミサを捧げ、エズレルの野を下って、ご変容の教会のあるタボル山へ、午後にベトシャ−ン、ペテロの首位権教会(ここでも、黙想)、2000年前の古代舟の見学をしました。
 3日目は、ガリラヤでの湖上ミサを捧げた後、対岸に渡り一気にヨルダンの谷を南下して、ユダの荒野なるワディ・ケルト、夕刻にエルサレムへ入城し、オリーブ山から聖都エルサレムを一望しました。ほんと、見事といわんばかりでした。エルサレムでは、5泊(早帰り班は3泊)することになります。
 4日目は、宮の山、嘆きの壁、最後の晩餐の部屋、鶏鳴教会、主の涙の教会、主の祈りの教会を回りました。要所で、関連する聖書の節を読み、イエスの足取りに立ち戻っていたので、感慨深いものでありました。午後は、ミサを捧げるご降誕の教会のあるベトレヘムへ向かうわけですが、パレスチナ自治区で検問があり、バスも乗り換え、パレスチナ人の付き添いのもといざ聖堂へ、洞窟内の祭壇を囲んでミサを捧げました。よくテレビで放映される聖堂、ギリシャ正教会の聖堂を見てまわりました。
 5日目は、いよいよ主イエスの受難に関る部分(四旬節)の箇所を回ることになります。まず、朝一番でゲッセマネの園の万国民教会でミサを捧げた後、またオリーブ山からエルサレムを一望し、主の昇天教会、主の祈りの教会などを回りました。午後は、いよいよ十字架の道行きへと続きました。この日は、イエスの悲しみに合わせたかのように、あいにくの雨、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)をじっくりと歩み、聖書の句を読み聖墳墓教会へと進みました。もう、クライマックスの場面が近づくにつれて、雨が激しくなるわけですが、ほんと、願ったりかなったりです。
 前に書きましたが、私は早帰り班でしたので、ここまでで日本に帰国しました。帰ってきてから、団長の英ちゃん神父に聞きましたが、翌日(6日目)の朝いちの聖墳墓教会でのミサは、貸切状態でゆっくりと内部の、ゴルゴダの丘、お墓、十字架が立てられた岩など回れたので、仕事を放り投げててでも残っていたかった気がします。そんなこといったら、もろもろの事情で行きたくても行けない人にはったおされそうですね。
かたてまな内容にはなりましたが、事実、心は消化不良の状態であります。以上です。
ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)第3留

イエスが祈られた岩(万国民教会) 聖墳墓教会内 十字架上の死の祭壇

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