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2007年8月号 No.408  2007.8.11

平和を実現(しようと)する人々は幸い 加藤 豊 神父
東星学園中学校の共学化スター 加勇田 修士  
教会学校の合宿に参加して 塚本 清

「平和を実現(しようと)する人々は幸い」
ー 今年度「平和旬間」を迎えて ー

                            加藤 豊 神父

 わたしは「戦争」を知らない。同世代はいうにおよばず、その前後ひとまわりも同様である。いわゆる「戦後世代」(第2時世界大戦を経験していない世代)である。しかしながらふと想う。その「戦後世代」のなかにいま心から「平和」を実感できていない人が少なからずいるのは何故だろうか、と。 「戦争」を知らないことと、「平和」を知っていることとが、わたしを含め各人各位の内面で繋がっていない悲しい現実、きっとわたしたち戦後世代は(全員ではないにせよ相対的に観ていて)真の平和への道を切り開くことがとても下手なのかもしれない。
 ところで、動乱の背後にはいつも必ず世界規模の経済問題が横たわっており、それらは現地とは異なる文化圏にも大きな影響を及ぼすものである。従って「中東紛争」から飛び火したテロ事件と、わたしたちの日常生活とは、決して無関係ではないのだ。
  かつて『戦争を知らない子供たち』という歌が流行った。何十年も昔のことである。その歌詞やメロディーに文句があるわけではない。だが、「戦争を知らないこと」と、「平和を知っていること」とは、果たして同じことなのだろうか、という疑問につきまとわれることがある。
 わたしはと争うことが嫌いな人間である。ただし、そのようなわたしの傾向は、わたしが「平和」を望んでいるからそうなのか、それとも、わたしが「ことなかれ主義者」だからそうなのか、どちらかというと、情けないことにおそらくは後者であろう、というのが偽らざる自己理解である。
 さて、「受験戦争」という言葉も最近ではあまり聞かなくなったが、これも「戦争」であろうか。もちろん次元の違う話となろう。とはいえ、それが国家の経済問題と深く関わっていたのは事実だし、結果として何人もの犠牲者が続出した。しかもその戦いを否定すれば家族の安全さえ脅かされたのも確かである。戦いの果てには傷を癒す術も見出せないまま、いつのまにか「就職氷河期」がやってきた。今では皆疲れきっている。
 カトリック教会は「平和な団体」であろうか。長い歴史を振り返ると言葉に詰まる。また今後のことは、いま生きているわたしたちにかかっている。もっとも、イエスご自身はもとより争いを「好しとしない」方であったとはいえる。イエスは、人の心に争いの火種(利己心、執着心、虚栄心、自尊心、野心、復讐心など)が、平和への願いと一緒に混在していることをよく知っておられた。ゆえに「平和を実現する人々は幸いである」とまで仰せになった(マタイ.5:9)。なぜなら、本心から(つまり流行や正論からではなく)「平和を実現(しようと)する人々」には、生半可な「情熱」以上に、強靭な「忍耐」と、深い「思慮」がどうしても必要だからである。
 イエスにとって大切だったのは、「ローマ帝国の支配か、ユダヤの独立か」、といった見えるかたちでの問題解決ではなかった。イエスが示してくださった姿勢、それは一言でいうと「対話」である。神と人、人と人との「対話」。そして分裂してしまった自己すなわち「かくありたい自分」と、「かくある自分」との「対話」。両者が根気よく向き合う「対話」のうちに、神の国が近付いて来るという。
 イエスはどのようなときにも相手と「向き合う」ことを避けない方であった。ようするに「ことなかれ主義者」ではなかったのだ。戦争も平和も知らない世代、互いの心と心とが微妙にすれ違う。「対話」のための人間的成熟が求められる以前に、わたしたちは横道にそれてしまう。あるいはぶつかり合ったきりその後が続かない。否、本当は最初から「対話」という「付き合いかた」そのものがよくわかってはいなかった(そんなもには関心がなかった)のだ。だとすれば、いまからでも遅くはない。
 教皇ヨハネ二十三世(選1958〜1963帰天)は社会教書『pacem in terris』のなかで述べている。「平和は一人一人の心にみなぎっていなければ実現できないものである」と。神と向き合い、人と向き合い、自分と向き合う生きかたに、これまでも、これからも、わたしたちは常に招かれている。


2008年度から東星学園中学校の共学化スタート

                            加勇田 修士

創立者ヨゼフ・フロジャク神父(パリ外国宣教会)は、1933年、ここ東京都清瀬市に結核患者のためのサナトリウムを建設し、これを「ベトレヘムの園」と名づけました。その後、患者の子供たちのために養護施設を作り、病んでいる人、帰る家のない人のために、“ベタニア(慈しみの家)”を作り続けました。現在では、ここに幼稚園から高校までの教育施設のほかに、教会、修道院、病院、老人ホーム、児童養護施設などがあります。
東星学園ではキリストの愛の精神に基づいた人格形成をめざしています。神様への感謝と愛のうちに生きる誠実な心を養い、自分に与えられた使命の実現に向け努力する人、良心に従って判断し、決断できるような自立した人、世界平和のために働くことができるような人材を養成します。
 中高部創立40周年、小学部創立70周年を1つの区切りと考えて、数年前より共学化の検討はしてきました。世界的にみれば、約80%のカトリック校が共学化されています。日本においては現在のところ19校(約16%)ですが、近年増加傾向にあります。
よい教育を成り立たせる条件は3つあります。@しっかりした教育方針と目標、A教育環境、B教育活動を支える理論とスキル、です。@東星学園が大切にしてきた宗教教育・情操教育をより一層充実させ、思いやりある人、平和のために働く人を育てます。A東星学園を卒業するときには、どんなゴールを目指しているかを表しているのは教育課程(カリキュラム)です。進学実績を向上させるためのシステムを用意しました。そして、「どんな子を育てたいか」について、学校とご家庭が共通理解を持ちながら連携できる環境が最も重要です。ハードの面では、校舎を耐震構造化し、エアコンを導入しましたが、今後は男子生徒の増加に伴って、体育設備の充実化に向けた計画を立てます。B教育方針、教育環境を整えても、それを実際に展開する教師の力量が重要です。子どもの「生きる力」を支えるのは、コミュニケーション能力です。教師自らがそのモデルになるために、教育カウンセリングの理論とスキルを学びます。生徒指導とカウンセリング、父性原理と母性原理を統合した指導力の向上に努めます。
ここで学んだ子どもたちが「人を愛すること・大切にすること」を学び、21世紀を担う人として社会へ貢献できる豊かな教養を身につけて巣立っていくことを信じています。
                   (東星学園 幼・小・中・高等学校長)
 東星学園http://www.tosei.ed.jp/


教会学校の合宿に参加して

                              塚本 清

 今年の教会学校の小学生の夏期合宿は、7月25日(水)から27日(金)に神奈川県の相模原市にある藤野芸術の家で行われました。参加者は部分参加の人も含めて、小学生14名と大人6名でした。
 25日は、朝教会に集合してから相模原市の麻溝公園に出かけました。そこでフィールドアスレチックをしたり、ふれあい動物広場で動物を抱いたり、ポニー(子馬)に乗ったり、広い芝生でボール遊びをしたり、お弁当を食べたりしました。それから芸術の家に行き、到着してすぐに水着に着替えて近<の河原で川遊びをしました。そのあとお風呂に入って夕食をとってから聖歌の練習をして花火をしました。
 26日は、朝ミサをして朝食をとってからハイキングに出かけました。出発地まで車で行ってから1時間ほど山道を歩き、京塚山という山の頂上を経由して葛原神社というところまで行きました。山登りの道は急な坂もありました。神社ではお弁当を食べて、スイカ割りをしました。何人かが挑戦しましたが、最後に加藤神父様がスイカを割ることができました。帰りは車道を歩いて出発地まで戻り、車で帰ってきました。そのあと芸術の家にある工房で工作をしました。ガラスのお皿やコップに模様をつけたり、木工で飛行機やコリントゲーム、木箱や家の模型や船などを作ったりしました。中には難しい工作もあって完成できなかったものもあり、家に持ち帰って続きをやった人もいました。そのあとお風呂と夕食を済ませてから29日(日)の子どもミサの分担を決めて、みんなでゲームをしました。「震源地は誰だ」のゲームでは、鬼になりたい人が続出して時間が過ぎるのも忘れてしまうほどでした。
 27日は朝食のあと芸術の家を出発して近くの津久井教会に行き、そこでミサをしました。津久井教会ではアシジの聖フランシスコの聖遺物を見ることができました。そのあと多摩教会に戻ってお弁当を食べてからカトリック・ニューズにのせる合宿の懸想文を書き、最後に聖堂でお祈りをして合宿も終わりになりました。
 今回の合宿のテーマは「プレゼント」でした。みんなで出かけた公園や川、ハイキングや津久井教会、また工作やゲーム、友達と遊んだことなどこの合宿で経験したことすべてが神様からのプレゼントです。今回の合宿での思い出を忘れずに9月からの教会学校に参加できるとよいと思います。
 最後に今回も教会学校の合宿に多くの方々のご協力をいただきました。本当にありがとうございました。


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