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2007年9月号 No.409  2007.9.15

新たな難民 星野 正道 神父
もう一回…! 塚本 清  
中高生キャンプ
阿部 風紗子

新たな難民

                         星野 正道 神父

 今年の夏は例年になく暑かったですね。この世音痴のわたしもこれは自然現象だけでなくわたしたち人間が関わっている社会環境問題だな、と思い始めました。そんなころ耳慣れない言葉がわたしの耳に飛び込んできました。“カフェ難民”? 何のことでしょう?情報通のみなさんには不必要かも知れませんがわたしが知っていることをならべてみます。
 毎日仕事はしているけれど部屋を借りるだけの収入がなく、また仕事が安定しなくて部屋を借りることのできない主に若者たちが夜休むためにインターネットカフェを使っている現象。このカフェはたたみ一畳あるかないかの小さな個室にパソコンと椅子があり、最近では飲み物、スープ、シャワー自由で深夜割引だと1000くらいで朝までいられるようです。わたしが知ったある若者は地方から出て来ました。地元の高校や大学を卒業して働いていたのですが会社が倒産したり不景気でリストラされたりして東京にやって来たのです。今地方都市には若者が働く場がありません。人口だけでなく仕事も首都圏一点集中主義の時代です。ある若者の一日。朝8時から東京で仕事、12時にそれを終えて埼玉に移動、2時から5時まで仕事、再び東京に舞い戻り6時から10時まで仕事、ネットカフェが割引になるまでその辺でぶらぶらして11時に店に入ります。そして携帯電話で仕事を斡旋してくれる会社に連絡してあしたの仕事をもらいます。そのあと、スーパーの30パーセント引きのシャケ弁当を開きます。やっとまともな食事にありつくわけです。でも彼は全部は食べません。あしたの朝食のために半分でやめるんだそうです。「あしたの分、今夜は買って上げるから全部食べれば」、って言うと「胃袋が大きくなると食べられない時つらいからいい」、ってぼそっと言いました。そして椅子にもたれかかって休む。これが彼の一日です。こんな生活がもう半年も続いています。
 毎日、なぜあんなに東京と埼玉を移動しているのでしょうか。何か物を届ける仕事でもやっているのでしょうか。わたしもはじめそう思いました。でもそうではなかったのです。日雇い労働という言葉はなじみがありますね。その日一日何かの仕事をしその場で給料を受け取るのです。しかし今の日本社会は若者たちに「時間雇い労働」を押しつけているのです。その日のその時間限り、おそらく二度と同じ職場で働くことはないような形でだれかの穴埋めをやるわけです。もちろん肉体労働ではないですからその青年たちはわたしたちが会ったとしても、どこにでもいるスーツを着たさわやか青年に見えるでしょう。というよりそう見えなければ明日の仕事がもらえません。彼らは何不自由ない普通の青年にしか見えない容姿でわたしたちの横を通りすぎ、どこかのスーパーに立って休暇を取ったパートのおばさまの穴埋めをやって時間になったらそっとだまって立ち去って行くのです。
 時間ごとに雇われる職場がかわっていくのですから当然友達は出来ません。日雇いのおっちゃんたちなら仕事が終わったらまあ一杯やろうかっていうことにもなります。雇い主が不正なことをやればみんなでかけ合ったりします。困ったことがおきたらどこに相談に行ったらよいか、病気になったらボランティアで診てくれるお医者さんがどこにいるかも教えてもらえます。でもネットカフェの若者たちは、携帯メールで一本釣りする目に見えない職業斡旋会社とつながってるだけですから、友人はおろかこの大都会でどのようにしたら援助が受けられ、どこに行ったら信頼できる人に出会うことができるかという情報も持たないのです。
 ある日曜日の午後、用があって四谷の教会の前を歩いていました。ちょうどアジア系の人たちのミサが終わったところだったようです。外国で暮らす緊張感から解き放たれて互いに自分たちの言葉で思いっきり冗談を言い合っていました。日本人にはないとっても良い雰囲気でした。でも日本のネットカフェ難民には友がいないのです。コミュニティー・共同体がないのです。いっしょに笑うことがないのです。まる一日、わたしと同じように働き、わたし以上に勤労意欲もある若者たちが綱渡りをしながら生きている町、それがわたしたちの東京です。
 教会は日雇いのおっちゃんたちの町、山谷や釜が崎で良い奉仕をしました。ベトナムからの難民のためにもたくさんの働きをしました。外国から働きに来ている人々のためにそれでも一生懸命ミサを準備し、異文化を受け入れるための教会意識の変革にも努めました。だから、こんなに良いことが出来る教会だから考えましょう。いま、わたしたち大人社会が経済的に富んでいくために自分たちの若者たちの将来をうばっているとしたらイエス様はどんな気持ちをいだかれるでしょうか。カフェ難民問題はこの夏の猛暑と同様、人間が関わっている社会環境問題です。見た目の貧しさにだけ反応したり、とらわれたりしないで、イエス様のこころで今できることをはじめ、横にいる人に伝えたいと思います。


もう一回…!

                            塚本 博幸

大○愛の大ヒット曲の一節のような題名になってしまったが、今年の多摩東宣教協力体中高生キャンプを終えた直後の私の率直な感想はまさにその通りであった。かなり前から、そう、1年前にも行った同じキャンプから帰ってきてから、今回が高校生として参加するのは最後であるとわかっていた。そう思うとよけいに、この感想文を書いている今、もう一度野尻湖に行きたい、という郷愁にも似た思いがこみ上げてくる。

 今回のキャンプ前に私は、先ほど述べたような今回が最後なのだから、という期待と、高校2年生になったために当然避けられないであろう班のリーダーなどの責任感からくる不安とが混ざり合って心中は複雑であった。さらに、今年は参加者の大半が中1だと聞いたため、ちゃんと面倒をみられるのかどうかも不安であった。
 その心配は初日からずばり的中した。みんな(いい意味でも悪い意味でも)非常に元気であった。彼らの体力は(夏休み中家でゴロゴロしていたせいだろうか?)あり余っていた。おかげで初日の夜は枕投げがうるさすぎてリーダーに怒られる始末であった。2日目になっても彼らの気力は衰えることなく、むしろ増しているかと思われるくらいであった。おかげで午前中は「湖畔半周ウォーキング」をしたのが「湖畔半周ランニング」に感じられたほどであった。
 しかしその日の夜であった。私は、中1がこれほどまでに変わるのか!と驚いてしまうくらい、彼らの変化に一種の感動ともいえる感情を覚えた。それは、昨晩雨のためにできなかった「星空大会」こと「きもだめし」を行った後であった。私は、あれだけ威勢のいい彼らだから、きもだめしも余裕で乗り切るものだと信じて疑っていなかった。しかしそれはいい意味で裏切られることとなった。帰ってきてみるとなんと彼らは意外にもけっこう怯えていたのであった。中には途中で泣き出してしまった子さえいた。それもそのはず、よく考えてみれば彼らは少し前まで小学生だったのだから。それを踏まえると別に普通のことのように思われた。驚いたのはここからであった。その夜からというもの、それまで彼らの有り余った体力のはけ口の代名詞とも言えるいざこざやもめごと、といったものがほとんどなくなったのである。そのエネルギーはお互いを思いやる気持ちや、3日目の夜に行われる毎年恒例のスタンツ(班に分かれて出し物を行う演芸会)の準備に向けられていったようであった。この変化に私は非常に感動したというより正直驚いた。これに対し、私は自分なりの結論を導き出すことができた。それはきっと神様の賜物なのだろう、ということだ。なぜなら、ほかに理由が全く思いつかないからだ。なんともそれだけである。そうとしか言いようが無いのであると私は感じた。
さて、話を元に戻すと、3日目は朝からスタンツのことで頭がいっぱいであった。午後の時間はすべてスタンツの準備に充てられ、私の班はそこそこスムーズに準備が整い、あとはきたるべきに夜に向かって気持ちは高まるばかりであった。
そしてとうとうスタンツの時間となった。くじ引きで発表する順番を決めたのだが、なんとあろうことか私の班が最初になってしまった。当然かなり緊張してしまった。私の班は劇をやったのだが、途中セリフを忘れてしまうこともしばしばあった。しかし、それを班のみんなは支えてくれた。その気遣いに私は、いいなかまになれたなぁ、としみじみ実感した。他の班も、この3日間という短い時間でよくここまで完成させたなぁ、と思うくらい充実した出し物をしていた。
なんとかスタンツも終わった、と安心したのもつかの間、この3日間を振り返る「光の集い」が行われた。これは私にとっていい反省の時間となった。みんなこの合宿で得たものを振り返って考え直して、改めて神様に感謝していた。私自身も心がすごくすっきりし、そして落ち着いた。その後にみんなで湖畔で見た星は格別にきれいであった…
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうもので、早くも4日目、最終日になった。この日は朝から片付けに追われることとなった。みんなで協力して掃除や片付けなどをしたが、遅れてしまったために私などは十分な集中の時間を持てないまま最後のミサに出る形となってしまった。するとそのせいなのか、それとも今日が別れの日だから、という思いからであろうか、とにかくそのような様々な気持ちが私の心の中で渦巻いていたせいか、ミサの間中ずっと心臓がバクバクしていてとてもミサを受けられるような状況ではなかった。それはミサが終わるに向けてどんどん高まっていった。そしてとうとう閉祭の歌、多摩教会でも時々歌われる名曲「なかま」が終わった瞬間、私の中で渦巻いていたモノが急に、しかし確実にじわじわとあふれ出した。あふれ出したのであった…

私がいまこの感想をレポート用紙にぶっつけている間も、今年の合宿を思い出すたびに胸が締め付けられているように感じる。私自身もこの気持ちをなんと形容すればよいのかわからない。しいて言うならば「初恋」であろうか。合宿から帰ってきてからというもの今までのうだるような暑い日々が一転、まるで合宿と一緒に私の最後の夏休みは去ってしまったのであろうか…そう思わせるような少し寂しい東京で合宿をそんな風に振り返っている。

中高生キャンプ

                           阿部 風紗子

「教会で中高生のキャンプがあるみたいだよ。野尻湖に行くんだって」
記録的な猛暑にダウン寸前だった私に、父が言った。私はあまり知らない人と会ったりするのが得意ではなかったため、最初は行こうかどうか、かなり迷っていました。けれども、せっかくの夏休みなのに、どこにも行っていなかったということもあり、キャンプに参加することに決めました。
 8月22日。ついに中高生キャンプの日がやってきました。調布教会に集合して、バスに乗って揺られること約5時間。やっとこれからお世話になる山荘に到着しました。ここは山の中ということでもあり東京とは違ってクーラーの聞いた部屋にいるかのような涼しさでびっくりしました。
すごい!楽しくなりそう!私はここでやっとそう思えるようになりました。そして、このあと、友達と野尻湖で水遊びをしたり、自由時間のときトランプやウノをして遊んだり、聖書学習をしたり・・・、すごく充実した時間を過ごせました。
二日目には、朝野尻湖半周ウォーキングをしたり、夜に肝だめしをやりました。
三日目には外出企画で黒姫山のコスモス園に行って、望湖台から野尻湖を眺めつつ昼食である弁当を食べ、夕方にはバーベキューをして、その後花火でハジけました。
このキャンプでは、ほとんど楽しいことばかりでしたが、特に印象に残ったことはスタンツ、光の集い、そして星空大会でした。これらはみんなキャンプ最終日にやったことです。スタンツは、それぞれの班で歌や劇を発表するものですが、全部の班が劇で、しかもお笑い要素がたくさんありました。私の班は「白雪姫」をやったのですが、かなり現代風にアレンジされていて、ほとんどウケ狙いでした。
光の集いは、キャンプの感想を一言、言った後にろうそくに火を灯すというものでした。私はこの光の集いのとき、「もうキャンプも終わりか・・」と不意にさみしさが込み上げてきて、泣いてしまいました。
最後に星空大会。午前0時頃、野尻湖に星を見に全員で行ったのですが、言葉に言い表せないくらいきれいな夜空でした。星座を見つけたり、流れ星を探したり、夜なのにかなりはしゃいでしまいました。キャンプの締めくくりには最高だったと思います。
このように、笑いあり、感動あり、涙ありの中高生キャンプは無事終了しました。私はこのキャンプに参加して、本当に良かったとおもいます。友達もキャンプがきっかけでたくさんできたし、なにより私自身世界が広がったような、そんな気がします。
このキャンプに参加できた幸運、良い友達に出会えた幸運を神に感謝したいと思います。


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