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2008年7月号 No.419  2008.7.19

「靴」
加藤 豊 神父
心の押し問答
加藤 豊 神父
調布教会献堂式 吉田 雨衣夫
調布教会献堂式に侍者として参加 川原 星悟
洗礼式を終えて 柴田 慶子
じじバカのよろこび 松原 睦
修道者のいないカトリック学校で 北村 司郎

「靴」

                        主任司祭 : 加藤 豊 神父

 信仰とはおよそどこまでも続く「あしあと」のようなものだと思います。そして信仰生活とは自分の足でその「あしあと」を辿ることだと思います。ですから、その道をどのような靴を履いて歩くのか、どういう歩き方で歩くのか、という問題は、信仰そのものの本質的な事柄とはいえず、それはいわば信仰の「形」の問題であるといえます。それでもわたしたちは「形」にこだわってしまうでしょう。なぜなら「形」なしには「中身」がなかなか伝わらないからです。
 いうまでもなく「形」は物事のすべてではありません。そうわかってはいても、それでもわたしたちは相変わらず「形」にこだわり、時折「形」があたかも「中身」であるかのような錯覚をするまでに至ります。そうなると、もう「あしあと」を辿ること以上に、どのような靴を履き、どういう歩き方をすることが信仰なのかという発想に陥ります。
 「良い靴を手に入れたのだが、実はまだそれを履いて一歩たりとも歩いたことがない」といった状態、それでは不味い。また、「ここでは必ずこの靴を履くことになっている」と、自分のサイズを相手に履かせてしまうこと、これも不味い。逆に「あの人にはどういう靴が似合うのか」と、他人の靴選びに夢中になってしまうこと、これも不味い。どのような靴を履いていようが、どういう歩き方で歩こうが、ちゃんと「あしあと」を辿っていれば、それはそれでいいのです。そう、本当に「あしあと」を辿っていれば…。
 ところで、何世紀もの間に深く刻まれたその「あしあと」を最初に残したのは誰でしょうか。それは初代教会の人たちです。従ってこの「あしあと」は、「新約聖書」の内容と無関係に出来たものではありません。というより、「新約聖書」こそこの「あしあと」のまぎれもない根拠です。
 そもそも自分が歩いている道が最終的に何処に通じているのか、いったいこの「あしあと」がわたしたちに何を示そうとしているのか等々、それらがわからないまま歩いていかねばならぬとしたら、行けば行くほど不安になってしまうのではないでしょうか。人によってはそこを歩くことじたいが無意味に(下手をすれば苦痛に)思えてしまうことにもなるでしょう。
 ある小教区でこんな相談をしてきた当時30代半ばくらいのご婦人がいました。「ほとんど毎週子どもを連れてミサに通っていますが、子どもに『なに』を『どう』教えたらいいのかがわからないんです」。誠実さに満ちた魂の告白だと思います。少なくとも、「せっかく買ってやった靴を子どもが履かなくなって困っています。どんな靴なら履いてくれるんでしょうか」という「形」に関する悩みではありません。フォーマルがいいのか、それともいまはカジュアルでないと返って不自然なのか、といったそういう観点からの嘆きではなかったのです。
 靴はやがてその子が大きくなってから合うものをみずから買うでしょう。むしろわたしたちとしては、その子がそこを歩いて行けるように「あしあと」を見せてあげられるような工夫をしなければならないはずです。そしてその「あしあと」がどうしてついているのか、また、どうしていまでもそこを歩こうとする人たちが絶えないのかを、わたしたち自身が理解しているのでなければ何も始まらないのです。
 歩いているうちに「靴擦れ」をしては大変です。だから「靴」に注意をはらうこと、それも確かに大事なことです。しかし、「形」のために「中身」があるのではない。それは「靴」のために「足」があるのではないのと同じことです。
 「形」というものはいつか変わらざるをえないので、そのときどきにフォーマルが強調されたり、カジュアルが強調されたりと、こんにちでは情報量の増大から各自の傾向性による多様化は加速する一方ですが、「いったいどれがスタンダードなのか」と探りはじめるやいなや余計に焦点がぼやけてしまうのは当然です。なぜならそこには多種多様な「形」がそれぞれの必要に応じてランダムに並んでいるだけだからです。その様子はまるで「凄まじいイタリアの靴業界」を想わせます。
 どんなときでも常に「あしあと」のほうに注目し、そちらに焦点を絞っていたいものです。歩いているときにこそ良い靴は輝くのです。


心の押し問答
                              加藤 豊 神父
                         
 以下は三年前のこと、寒い夜、○戸川橋、ファミレス「○ニーズ」での会話でした。N君の言葉、あなたの心にどう響くでしょうか? K神父自身は既に教区の青年の仕事からは外れてしまったので、それ以来N君とは会っていないらしいのですが、彼のことが忘れられないようです。

K .神父(以下K).
 「もう君も東京に出てきて長いだろ?」

N.君(以下敬称略).
 「もう7年です。進学のために○島から出てきたんですよ。高校のときは教会関係の寮にいて、上京のときにもそのルートで東京の寮にスライドできましたから、ずっと教会と関わっています。思えばカトリック教会と出会ってかれこれもう10年になりますね。」

K .「でも、そんなに教会と関わりながらここまできたのに、いままで洗礼を受けようと思ったことはなかったのかい? だって今となっては友だちもみな信者ばかりだろ? バイト先も教会関係のセンターだし、○GT(教区青年の集い)のスタッフまでしていた君が実は未信者だったということを知ってビックリする人が大勢いるよ」

N.「かえってあまりにも教会が身近だったので、きっかけらしいきっかけをいつのまにか逃してしまったような気がします。それに最近特に感じるのですが、信者と未信者の違いっていったいなんなのか、と。その境目が増々見えなくなってきたし、ひょっとしたらはじめからそんなものないんじゃないのかな、って、思ったりもしています。だから『今さら』という…」

K .「なるほどなぁ。確かに『信仰』というのは基本的に『キリストと共に生きる』ことであって、ミサに参加し、そこで力をいただけてね。それで精神から祈りにも活動にも前向きになれるなら、ある意味でもう既に洗礼を受けているようなものかもしれないね。儀式としての『洗礼式』を経ていないだけで、『入籍はしているが式がまだです』というご夫婦のようにね」

N.「そうなんです。で、神父さん。この際だからちょっと正直なこといわせてもらっていいですか。というのは、洗礼を受けて教会の一員になることにハッキリいっていまはあまり魅力を感じないんです。だって、そうなっても、ならなくても、何も変わらないとしたら、そこに意味が見いだせなくたってしょうがないと思いませんか?」

K . 「でもさぁ、洗礼を受けた後にはじめて見えてくるものっていうのも、あると思うよ」
N.「○ズス会の池○神父さんにもそういわれました。でも、仮に洗礼を受けて教会に籍を置いたからって、ミサには出ると思いますが、ただ、それ以外のことって、本当に大事なことには思えないんですよね。教会でなくても出来ることをわざわざ教会ですることってありますよねぇ、そういうのがピンとこないんです。○GTのスタッフをしたいと思ったきっかけは、○GTには聖書に基づくカテケージスや『分かち合い』があって、『やっぱりこういうのって教会でなきゃ得られない感動だよなぁ』、っていうものがあったからなんです。『教会にしかないもの』がぼくにも見つけやすい場だったんです」

K .「そうねぇ。あっ、知ってるかな? 何年か前に、東京教区は『福音的使命を生きる』という冊子を発行した。その中にこう書かれていた。君のいうことを聞いていて思い出したよ。
 〜日本の教会の現実としてもっとも分かりやすく目につく問題は若い人が少ないということです。もちろん例外もありますが(中略)、だからもっと若者をターゲットにしたイベントを行おうとか召命促進のための運動に力を入れようとかという考えもありますが、わたしたちはそのようなことが解決策になると考えることはできませんでした。根本にある問題は、教会が若い人にとって魅力のないものになっているということです。そしてその理由は、この社会を生きる人にとって教会の存在意義が見えにくくなっている。別の言葉でいえば、今この時代のこの社会の中で、教会が「救いのしるし、救いの道具」になっていないということです〜
 いま思うと、けっこう攻撃的な文章だったんだなぁ、と思う。でもね、当時この箇所は幸いにしてというか、不幸にしてというか、それほど注目されることはなかった。その頃、多くの人の関心は他の箇所に向けられていた。あまりにも「組織」や「構造」の変化のほうに集中していたんだよ。

N.「えっ、でも、注目されなかった箇所だったとしても、もうすでにそういうことが指摘されているのに、どうして現実がそうなろうとしていないのか、それは何故ですか?」

K .「まぁ君の言う通りだよ。『再編成』の試みも当初は『組織』や『構造』がどう変わるのかという、教会の『なか』の課題として受けとられた。もちろんそうだったろうけど、その背後にはもっと大きなテーマがあったのさ。ちょっと大げさな話題になるけど、『第二ヴァティカン公会議』でさえもそういうふうに受けとられていた。つまり教会の『なか』のこととね。だからいまでも外向きな思考の要となる『自己理解』のプロセスは一人一人のなかであまり深まっていないかもしれない、という気がする。身内相手なら『自己理解』の必要性は生じない。家をリフォームしたからといって親に自己紹介する子供なんていないだろ。自己紹介っていうのは、これから友だちになろうとする人たちにすることなんだよね。今の世の中、キリスト教に『興味がある』とか『求めている』とかいう人はけっこういると思う。君みたいにね。公会議の精神からいうと、未信者の心ある人たちに向かって、『わたしが誰だっていいじゃないですか。そんなことより一緒に飲みましょうよ』だけで済ませることなんて、できないはずなんだ。いろんな人と友だちになるためには、自分について語れないとね。でも相変わらず子供たちの興味は家の中を新しくしたり、元に戻そうとしてみたりね。往々にして『自分の想い』や『我が家への想い』が語られてしまう。しかし、そういうものだったら、かたちこそ違ってはいても未信者の人たちにだって当然それに相当する『体験』や『関わり』、『家族や友人との思い出』なんてはじめからあるわけさ。でも満たされないから何かを求めるんだろ。だから『想い』だけでは『カトリック教会』や『キリスト教信仰』の説明に、なっているようでなっていないんだよね。身内以外の人には『想い』を超えた説明をしないと『家族自慢』にしかならない。それでは本当の意味で「外側に開かれている」とはいえないのさ。そういうこともあっていまでは『生涯養成』ということがしきりにいわれるようになった。だから君が教会に期待しているものを期待している人たちは、きっと教会にも沢山いると思うんだ。そこに希望があると思うんだよ」

N.「わかりました、といいたいところですが、実はまだあるんです。ぼくは卒業したらミッション高の宗教科の教師をすると思うんでが(N君はこのとき神学部の学生で就職先はほぼ決まっているようだった)、『キリスト』と『教会』とが自分のなかで繋がらないんですよね。授業の度に困るだろうなぁ、って思っているんです。信者の友だちと話していて気づいたことなんですが、ある集いでみんなで分かち合いをしているとき、一人一人の信仰体験を聞いていて共感もできたんですが、ある時、『あっ、そういえば』と思ったんです。みんな<教会>っていうんですよね。わかります?」。

K .「えっ、なんのこと?」

N.「たとえば、『あのときは悲しかったけど<教会>に助けてもらったんだと思う』とか、『テゼの曲を使ったミサは今日がはじめてで新鮮でした。自分の<教会>でもやってみたいです』とか、わかりますか? みんなは『教会』なんです。で、ですねぇ、『あのときは<キリスト>の言葉に力づけられた』とかいっていたのは、ぼくのグループでは、ぼくだけだったんです。みんなは『キリスト』とか『神さま』とかいう語をそのときは使わなかった。でも『教会』って『キリスト』そのものってわけではないですよねぇ。もし、『教会』が信仰対象だとしたら、それは『キリスト教』じゃなくて『教会教』じゃないですか。とにかく彼女たちにとって<教会>って、<キリスト>より『濃い』感じなんですよね。ぼくはそういう感覚にはどうしてもなれないです。だって<キリスト>を信じているからこそ<教会>なんですよねぇ? キリストが中心ですよねぇ?」

K .「ううう〜ん…、確かに…」

                                        

調布教会献堂式
                          豊ヶ丘 吉田 雨衣夫

 2008年7月12日 調布教会で新聖堂の献堂式がありました。
 当日は朝から快晴。空も献堂式を祝っているのでしょうか。多分、参会者が多いだろうと思い早めに家を出ました。調布教会には30分前(10時半)につきましたが、既に満員。仕方なく壁際にたっていると案内係りの方が来て「司教様が潅水の為に会堂内を回られるので立ち見は出来ません。信徒ホールにモニターを設置していますので移動して下さい。」とのことで信徒ホールに移動しました。
 モニターには祭壇中央の岡田大司教様をはじめサレジオ会ポッペ管区長、神学院長、加藤神父様(多摩)等沢山の神父様方が居並ぶ中、式が始まりました。
藤川神父様から設計事務所・建設業者にユーモアに溢れた感謝状の贈呈があり、謝辞の後やっとミサが始まりました。
 大司教様は「祝福された聖堂は神の家、祈りの家であり平和の象徴である。そこに集う信徒一人々々がまた神の教会である。」と言われました。
 式の後の祝賀会も会場の体育館に溢れんばかりの人、人・・・・。
 次から次と運ばれる料理を堪能しました。帰途について電通大学の門を過ぎて突風と雷雨にあったのはおまけです。



調布教会献堂式に侍者として参加

                               川原 星悟

7月12日(土)に調布教会で行われた献堂式ミサに侍者として参加・協力させていただきました。侍者としての参加だったため、準備段階から関わらせていただく事になりました。生涯において献堂式という出来事がそう簡単に起こりうる事ではなく、更に侍者として協力できたことは私自身にとって貴重な体験でした。
献堂式ミサという普段のミサとは違うことをやるためには、事前にしっかりとした準備を行う必要がありました。その為に話し合い、侍者のみでのリハーサル、全体でのリハーサルと、回を重ねる事に着々と準備は整っていき、当日を迎えます。
献堂式当日、準備は整いましたが、始まってみないと何が起こるかわかりません。事実、献堂式に携わった事のある人はミサを準備した方々の中にはいなかったですから、いくら準備を整えたとしても不安は残っていたことだと思います。私自身はそうでした。
ミサが始まるとその不安は消え、多少の失敗はありましたが、献堂式ミサとして滞りなく終えることができました。参加された方や準備に携わった多くの方、またこのために祈ってくださった方々のおかげです。
新しい聖堂を囲み、子ども達の笑顔があふれる調布教会の益々の発展と、多摩東宣教協力体の盛んな交流が行われていくように祈っています。


洗礼式を終えて

                               柴田 慶子
 6月22日、二人の娘が洗礼のお恵みをいただくことができました。
おてんば盛りの長女(2歳)と、生まれたばかりの次女(4ヶ月)ですので、式の最中も静かにしてくれるだろうか・・・と心配でしたが、緊張していたのかおとなしく主人に抱っこされ、次女もねてくれたのでホッとしました。
私自身、昨年の4月に洗礼を受けたばかりの新米クリスチャンですが、娘たちと一緒に学んでいくつもりです。
育児はとても大変なのですが、毎日の悩みも、頑張りも神様は見て下さると自分を励ましつつ過ごしています。
代母を引き受けて下さった工藤扶磨子様、鈴木紀子様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
また、娘の受洗を快く承諾してくれた主人にも感謝致します。
多摩教会の皆さま、これからも私たち家族を宜しくお願いいたします。
 

じじバカのよろこび

                               松原 睦

 この度、孫の遼が洗礼のお恵みをいただきました。霊名はアッシジの聖フランシスコです。お姉ちやんの志織の霊名が聖クララなので、巡礼で訪ねたアッシジの丘の教会やウンブリア平原の田園風景が、一層ご縁ある想い出となりました。
 遼の洗礼日は、私の身体の都合で延ばしていましたので、私にとっても待ちに待った洗礼式でした。遼は、式の最初は眠っていましたが、目が覚めても泣きもせず、父親の肩から後ろの方を眺めたり、祭壇上の神父様を見つめたりしていました。
 後ろの方を見ているので目線を追うと、ステンドグラスが美しく、いまさらながらお聖堂の忘れがちな一面を教えられたような気がしました。
 遼の受洗により、信者として一家そろって教会へ行くという夢が実現しました。昔、西部劇映画のはなやかな時代に、開拓時代のアメリカ人が日曜日には家族そろって馬車で教会へ行く画面を見て、日曜日はこうありたいものと思っていましたが、六人の家族がそろってミサに与ることができるようになったのです。
 神父様をはじめ、こころよく代父を引き受けていただいた下津さんに心からお礼を申しあげます。また、沢山の皆様からお祝いの言葉をいただきました。有難うございます。
 息子や娘たちは教会の中で育ってきたように思います。これから孫の遼も志織も、皆様のお祈りとご支援の中で教会と共に育っていくことでしょう、よろしくお願いいたします。
 洗礼式が終って、遼がとてもしっかりとしてきたような気がします。これもじじバカのなせる業かとお笑い下さい。すばらしい一日でした。
                            神に感謝      

修道者のいないカトリック学校で

                               北村 司郎

 多摩教会の聖堂が完成した2000年4月、私は京都府舞鶴市にあるカトリック学校日星高等学校へ赴任しました。私が依頼を受けたのはその2・3年前でしたが、修道会が学校経営から手を引き、学校の中に修道者がいなくなる、そんな折、カトリック学校の経験のある私に何かお役に立つこともあるのではないかと軽い気持ちで受けたのがその理由でした。そこで8年間、地方の生活を満喫しながらも修道者のいなくなったカトリック学校で新たな経験を多々させて頂きました。
 地方では公立指向が強くカトリック学校といえども、時節柄生徒数の減少や補助金も減少の一途で、経営的には相当苦しい面をもっています。都会とは言え、ご存知の方も多いと思いますが、高校ラグビーの名門啓光学園も修道会が経営から手を引き数年、昨年カトリック学校の看板を降ろしました。このような状況がいつ起きてもおかしくないのが今のカトリック学校だと思います。経営的には学校存続の危機と闘いながらの8年間でした。
 私の行った京都北部に同じ法人が京都暁星高校と二つの高校を持っています。当然のことですが男女共学です。宗教行事には近くの神父様は全面的に協力してくれます。また、京都教区では年一回ですが司教様がカトリック学校の校長を集めて情報交換をしています。昨年から司教様が教区内のカトリック学校から出来るだけ信徒でない中堅の先生方を集め、夏休みを利用して研修会を始めました。その中で司教面接もあったと聞きました。また、各学校の入学式や卒業式に司教様が出来るだけ来賓として出席しています。これらの善し悪しは別として、これからのカトリック学校に教区の協力が必要ではないでしょうか。
 司教様との懇談の席で私は信徒がカトリック学校の教師になるよう、教区として人材をリストアップ出来ないか提案したことがあります。その際、他の学校の校長先生から反対を受けてしまいました。しかし、同じ校長先生から2年後に先生の言っている意味がやっとわかりました、という言葉を頂きました。今後、財政面はともかくとして、カトリック学校を存続させていくためには信徒の力が必要です。信徒の教師に是非カトリック学校へ就職して欲しいと思います。
 もちろん、信徒でない先生方の力も必要です。協力して頂くと言うのではなく、一緒に生徒たちを育てていくという姿勢でないとだめだと思います。そのためには、信徒でない先生方にもキリスト教のことを知ってもらわなければならないし、宗教の時間で何を教えているのかも知ってもらわなければなりません。また、共有できる教育目標を打ち立てる必要があります。私の学校の場合、先生方は本当によくやってくれたと思います。信徒でない先生方の力がないとやっていけなくなっていることも事実なのです。
 これらは私のいた学校ということでなく、多分どこのカトリック学校でも同じではないかと思います。修道者が先頭にたって自分たちの事業に協力してくれればいい、という時代ではないのです。その修道者が全くいないか、いても数人というのが今のカトリック学校なのです。
 その意味では私は最先端のカトリック学校で8年間過ごさせて頂いたと思っています。

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