多摩カトリックニューズ表紙へ戻る

2009年10月号 No.434  2009.10.17

教会ショップ「アンジェラ」
晴佐久 昌英 神父
友を知り、自分を知り、キリストを知る 塚本 博幸
教区こどものミサに参加して 塚本 清

教会ショップ「アンジェラ」

                         主任司祭 晴佐久 昌英

 子どものころ、家族みんなで通っていたのは、文京区の本郷教会です。三角屋根に十字架の立つごく普通のこじんまりした教会でしたが、幼いころはそこが世界の中心のように思っていました。
 教会の入り口に十字架やロザリオを売る小さな売店があって、そこで毎週日曜日のミサの後、両親がカードを買ってくれるのが何よりの楽しみでした。「ご絵」と呼ばれるそのカードは、それぞれにイエスさまやマリアさまをはじめ天使やさまざまな聖人が描かれていて、確か一枚五円か十円だったと思います。ゆりの花に囲まれた聖母の優しい横顔や、幼い子どもを背後から守る守護の天使の真っ白い翼など、うっとりと眺めていると母がうれしそうに聞くのです。「どれがいいの?」。プレハブ作りの決してきれいとは言えない売店でしたが、そこも確かに天国の窓でありました。

 主任司祭になり各小教区を担当するようになってからは、ごく自然な思いで、どこでも売店を設立してきました。高幡教会では「教会売店・ミカエルショップ」、高円寺教会では「教会案内所・天使の森」。そしてこのたび、多摩教会でも「教会ショップ・アンジェラ」を始める運びとなりました。いずれも天使に関る名称をつけてきましたが、そこには、たとえささやかな売店であっても、だれにとっても天国の窓であってほしいという願いが込められています。
 実際、売店が教会との窓口になったり、福音との接点になったりすることは決して珍しいことではありません。そこで買った一枚のカードを送ったらそれがきっかけでキリスト教を知ったとか、そこで出会った一冊の本のおかげで魂が救われたというような話をたくさん知っています。中には、教会の前の道を歩いていて売店があるのを知り、何気なく立ち寄ったのがきっかけで教会に通うようになり、やがて洗礼を受けたという人もいました。売店で店員の信者さんと知り合ったり、買いに来た人同士が出会ったり、不思議なご縁のきっかけがたくさん秘められているのも事実です。
 そこで、売店を担当してくれるスタッフや、普段売り子になってくれる受付のメンバーには、いつもこう言っています。「ここは、福音宣教の最前線です。売店という窓を通して天国を知る大勢の人のために奉仕してください。品物はもちろん、みなさんの笑顔、一声かける明るい声、一杯差し出す温かいお茶が、天国の入り口になるように」。楽しくも尊い奉仕ですから、お手伝いしたい方はぜひお申し出ください。

 アンジェラでは、信仰を深めるための本やCD、ロザリオ、おメダイなどの小物を扱っています。人気のトラピストガレットも販売します。子供向けの本などもあります。利益はすべて教会会計に寄付されますので、どんどんご利用ください。
 主力商品は、何と言っても主任神父さまのサイン入り著書です。説教集やエッセイ集、詩集など、店頭に並んでいるものはすでに一言添えて、サインがしてあります。プレゼントする場合など、加えて宛名をサインして差し上げると喜ばれます。その場合は、神父をつかまえて書いてもらってください。二種類の「日めくりカレンダー」もあり、小さな贈り物として人気がありますが、これは破れやすいビニールでパッキングされているのでサインが入っていません。必要ならば、自分で破れないようにそっと開けて、サインしてもらってください。
 また、晴佐久神父がFEBCというラジオ局で半年間お話をした番組のCDもあり、字を読むのが大変な人や、病床で聞く方に最適です。一般の人でも聞ける内容です。晴佐久神父監修で俳優の滝田栄さんが朗読してくれた聖書のCDもあり、これは心がざわついている時におすすめ。車の中で聞くと心が落ち着くという人もいました。
 ご病気の方向けには、以前ここでご紹介した小冊子「病めるときも」と、「おお、よしよし」の載っているクリスマス小冊子「クリスマス本当のはなし」があります。これにはサインしていませんが、することも出来ます。
今年はあの「聖書と典礼」のオリエンスからクリスマスカードを出しましたので、ぜひご利用ください。聖母子像のカード「みんなのひかり」と、クジラのサンタさんの絵葉書「大きな贈り物」です。「うちの教会の神父さんが描いたカードです」と書いて出すのにちょうどいいでしょう。そのときはぜひ、「多摩教会のミサに来てみませんか」と書き加えていただきたい。
 ニューズの四月号のカットに使われている赤ちゃん天使の色紙「生まれて感謝、笑顔で賛美」も、サインして遊び印を押しておきましたので、プレゼントに使ってください。もちろん、玄関に飾っていただいても結構です。隣の奥さんが「あらかわいい」と言ってくれたら、しめたもの。「うちの教会の神父さんが描いたんですよ」「まあ、楽しそう。わたしも行ってみようかしら」なんていう展開を夢見ます。
 教会ショップ「アンジェラ」の店頭に並んでいるのは、福音の種なのです。みんなで種まきをすれば、神さまが天国の花園を見せてくださるでしょう。

友を知り、自分を知り、キリストを知る

                         塚本 博幸

 表題は何十年も前から多摩教会の中高生会の夏のキャンプに使われている、キャンプの目標ともいうべき存在の文言である。なんだかかっこいいから、そのままキャンプの懸想文の題名にしてしまった。

 今回で中高生会のキャンプに参加するのはいったい何回目になるのであろう…と、ふと考え込んでしまうくらい何回も参加してきたこの中高生会のキャンプ。毎回とても心に残るような素晴らしいものに参加させて頂いてきたが、今回は前回までとは大きく異なる点が―つ存在する。それはリーダーとして参加する、ということだ。
 自分は中高生会のキャンプに言葉に言い表せないくらいの深い思いを抱いている。それは、有給を使ってでも中高生に楽しい思い出を作ってもらいたい!というリーダーたちの「アガペー」があったからに他ならない。そして今度は自らがそれに匹敵するくらいの心構えで臨むべきなのだ、と自分の中で気がついたとき、得体のしれないプレッシャーに押しつぶされそうになった。もし自分がつまらない失敗をして子供たちを悲しませてしまい、あるいはつまらない思いをさせてしまったら、もう教会に来たくなくなるのではないか?と思うくらいであった。加えて今回は例年よりも参加者が少ないと聞くし、不安要素は数え切れないほどであった。行きの車の中ではそんなことばかり考えていた。

 しかし、そんな不安は現地について一瞬で消え去った。子供たちが元気に湖で遊ぶ姿や一生懸命スタンツの準備に明け暮れる姿を見て、ありのままの自分で接してあげると、みんなは素直にそれにこたえてくれた。子供はなんて純粋なのだろうか…そしてふと思った。この年になって改めて思った。子供に戻りたい!と。
 でも、今子供の人に子供に戻りたい、なんてことを言ったら、それこそ子供じみたセリフになってしまう。そんな皮肉を考えるくらい、卑屈になってしまった大人の自分に思いをはせつつ、帰りのバスに揺られていた。
 最後になりましたが、このキャンプを1から企画して下さった調布、ならびに多摩のリーダーや、神父様に深く感謝するとともに、キャンプの間何のけがもなく、安全にすごせましたのもひとえに神様のおかげかと存じます。これで友を知り、自分を知り、キリストを知ることができたな、と思い、また表題に首尾よ<戻ったところで、小生の感想文とさせていただきます。本当にありがとうございました。

教区こどものミサに参加して

                         塚本 清

 今年の教区こどものミサは、10月11日(日)に東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われました。
 今年のミサのテーマは、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ福音書第23章43節)−両手いっぱいの愛−でした。これは、イエスさまと一緒に十字架にかけられた罪人の一人がイエスさまの愛に気づいたところでのイエスさまのことばです。このことから私たちもその愛に気づいて感謝をしようということで、このテーマが設定されました。そこで今年は各小教区で十字架を作り、イエス様への手紙を書いて一緒にミサの中で奉納しました。
 ミサは岡田大司教様と多くの神父様方の共同司式でささげられました。福音のところでは、イエスさまが十字架にかかるところが劇の形で演じられ、わかりやすかったので、みんなでよく見ていました。イエスさまの役は大司教様でした。大司教様のお説教では、今回のミサのテーマについてのお話がありました。去年の教会学校の夏の合宿で一緒だった東京教区の倉田神学生は助祭になっていて聖体の授与を担当していました。多摩教会からは黒田渓日さんと若林ゆりさんが侍者団に入り、阿部舜幸くんと高山真尚くんが十字架と手紙の奉納をしました。ミサのあとには聖堂の外に出て各教会の紹介があり、レクリエーションとして、「猛獣狩り」や「アブラハムには七人の子」、「じゃんけん列車」などのゲームやダンスを楽しみました。最後には全員で「アーメンハレルヤ」の歌を歌い、お祈りをして終わりました。
 教区のこどものミサも今年で10回目になりました。ふだんは各小教区でのミサや教会学校に参加している子どもたちが一緒にミサをささげ、一緒に遊んでいる姿を見ていると、ミサの中で歌った「フレンズ」の中の「この広い空の下、出会った私たちは神の子」という歌詞を思い出しました。その後に続く「この喜びを伝えよう、歌おう、感謝しよう」というところがこのミサのテーマと合致していると思えるのです。

多摩カトリックニューズ表紙へ戻る