【目次】2015年 受洗者記念文集(2016/4/5更新完了)

カトリック多摩教会では、2015年復活徹夜祭に26名の方が受洗されました。
受洗を記念して作成された文集のうち、
ホームページに掲載を許可してくださった方の文章をご紹介いたします。
ひとりでも多くの方と、福音の喜びを分かち合うことができますように。

なお、無断でのコピーや転載は、
いかなるメディアにおいてもご遠慮くださいますよう、お願いいたします。

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主任司祭巻頭言

更新日主任司祭巻 頭 言
2015年10月31日晴佐久 昌英 神父新受洗者を大切にする真の教会として

新受洗者(2015年復活徹夜祭)のことば

更新日新受洗者氏名(仮名を含む)タイトル
2016年4月5日増田 賢二(仮名)「トマスのようですね」
2016年4月5日松嶋 信夫(仮名)神様に近づきたい
2016年4月5日筒井 旬(仮名)あたたかなまなざし
2016年4月5日奥山 美怜(仮名)導かれて
2016年4月5日越川 麗花(仮名)御心を信じて生きる
2015年12月2日月丘 はるか(仮名)洗礼
2015年12月2日クララ・エスペランサ 山本 紗也導かれて
2015年11月24日天野 ひかり(仮名)信じることの大切さ
2015年11月24日天野 まりあ(仮名)せんれいをうけてかわったとおもうこと
2015年11月17日ペトロ ゆうし(仮名)私の十字架
2015年11月17日ヒバ(仮名)ただただ存在しているという事実
2015年11月10日セシリア 水口玲子(仮名)神さまのお導き
2015年11月10日和田 深雪(仮名)「救い」を信じて
2015年11月 3日島 聖一(仮名)教会は 神の愛の サービスステーション
2015年11月 3日和田 まどか(仮名)ありがとうございました
2015年10月31日三国 紀夫(仮名)エクレシア

 

「トマスのようですね」(受洗者記念文集)

増田 賢二(仮名)

 去年の復活祭に初めて多摩教会のミサを訪れました。その日が復活の主日であることも知らずに来たのですが、聖堂を埋め尽くす信徒の方々の熱気に圧倒されたことを覚えています。神様は、この教会で豊かな出会いを私に用意してくださいました。晴佐久神父様がおられるからこそ多摩教会に通い始めたのですが、今では、もし神父様が別の教会に移られても、ずっとこの教会に通い続けたいと思うようになりました。本当に神様の働きは計り知れません。

 入門講座の最初の日、これまで理性を頼りとして信仰を顧みて来なかった、と告白したところ、神父様は「トマスのようですね」と仰いました。およそ一年後、最後の入門講座で、どうしてイエス様は「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのか、愛する我が子を決して見捨てない父なる神の御心をイエス様は揺るぎなく信じておられたはずなのに、と質問しましたところ、神父様は「人間側の考えだけで頭がいっぱいになっているから理解できないのです」と仰いました。そう言われても、引っかかるものは引っかかります。要するに、まだまだ私は入門講座を卒業してはいけない、ということなのでしょう。

 そんな私ですが、神様は一人ひとりにそれぞれ果たすべき役割に必要なだけの力をきちんと用意してくださったのだから、与えられた以上の力が自分にないからといって、悩んだり恐れたりしなくても良い、そのことだけは信じられるようになりました。心が焦りにとらわれそうになるときは、すべて御心のままに、と思えるようになりました。それまでの気負いがすっと抜けていくようでした。

 教会に妻や娘を連れて通い始めた頃、私は、彼女たちの足となって奉仕しているような気分でいました。しかし、いまはむしろ逆に、そのようにして教会に導かれたのは私の方なのだと知っています。大学院時代の留学先で親しくなった友人夫妻が敬虔なカトリック信者であることも、幼い日に母が買い与えてくれた『聖書物語』を読んだことまでも、何もかもが、気の遠くなるほど長い道程で、神様がここへ呼んでくださったのだ、と感じています。息子が「いまはいい」と言って一緒に受洗しなかったのは残念ですが、そのことにもきっと何か素晴らしい神様のご計画があるのだろう、とわくわくしています。

 ところで、洗礼式のとき、不思議な体験をしました。水をかけられる直前までは、確かに昇天するイエス様がもっと斜め前方に傾いて、まるで十字架から離れたばかりのようにおられたはずなのに、タオルで顔をふいて、眼鏡をかけ直してみると、十字架と並行に、まっすぐ天をめざして昇っておられるのです。それまで曇っていた私の眼が、洗礼の水とともに清められ、それまでの歪みが正されたのでしょうか。信仰の光と理性の光をともに与えてくださる神様を信頼して、まっすぐ生きていきなさい、と言われた気がしました。

神様に近づきたい(受洗者記念文集)

松嶋 信夫(仮名)

 私は2001年2月に最愛の母を肝細胞がんで亡くしました。当時、大学一年生であった私は悲しんでいる暇もなく、昼は大学の附属図書館で働き、夜は大学の講義を受け、何とか4年間で卒業しました。しかし、当時は就職氷河期で、就職もできずに大学を卒業しました。何か仕事をしなきゃと思っていた時に、大学の先輩が保育士を目指しているのを聞き、子ども相手の仕事も楽しそうと思い、都内の保育園でアルバイトを始めました。
 その直後すぐに、神奈川県内の公立小学校での障がいをもったお子さんの指導の仕事が入り、がんばって勤めました。平日の日中は、小学校の指導員として働き、夕方から深夜までは、スーパーの品出しとレジのアルバイト、土曜日は都内の保育園の一日保育のアルバイト、日曜はまた、スーパーでアルバイトをして生計を立てていました。

 その頃から、体調に不調を感じ、近所の総合病院の精神科を受診したら、うつ状態ですねと医師の言葉がありました。その日から、何種類もの抗うつ薬、安定剤、睡眠薬を処方され、いわれるままに服用していましたが、何週間、何カ月たてども、症状が良くなりませんでした。
 母を亡くし、天涯孤独になったさびしさ、仕事の大変さ、唯一の親類であった叔父からの暴力と、私なりに大変きつい思いをしました。こんな人生だったら、いっそのこと生きるのをやめようと思い、何度も救急車で大学病院の救命救急センターに運ばれたことを覚えています。警察署に通報され、パトカーに乗せられて、神奈川県横浜市港南区にある県立精神医療センターに連れていかれ、医療保護入院(私の場合は横浜市長の同意のもと)も経験し、テレビも新聞も何もない部屋に鍵をかけられて入院しました。

 退院後、小学校の子どもたちの多くがかけよってきて、「死んじゃうんじゃないかと思った」と言いながら、涙目で近寄ってきてくれました。この頃から、いのちとは何か? 人生どのように生きるべきかを問うため、近所の教会に定期的に足を運びました。毎週ではなくても、ときどきは礼拝(プロテスタント教会なので)にも出ましたし、バザーなどではボランティアもしました。
 もっともっと神様に近づきたい、祈りを深いものとし、信仰を深めたいと思った私は牧師先生に受洗のお願いをしました。しかし、精神的な病をもっており、毎週の礼拝に出席が必ずしもできない私には、受洗の許可がおりませんでした。
 何年も何年も毎年のようにお願いしてきましたが、だめでした。そんな時、友人の神学生さんが多摩教会を紹介してくださり、今年、念願の受洗がかないました。晴佐久神父様をはじめ、受洗に導いてくださった多くの多摩教会の関係者の皆様に深く感謝いたします。今後ともひとつよろしくお願いいたします。

あたたかなまなざし(受洗者記念文集)

筒井 旬(仮名)

 無事、洗礼の恵みをいただき、ほっとしています。
洗礼を受けて劇的に変わったことはありませんが、これから信仰生活を送る中で、日々祈り、愛のある人になっていきたいという希望の光が心を照らしています。

 私が教会に通うようになったきっかけは、20代の終わりに経験した病気によって生じた心の変化によります。当時の私は、不安や恐れを抱きながらも平静を装い、早く病気を治して元に戻らなければという焦燥に駆られ、無理して頑張りすぎたのだと思いますが、次第に心を失っているように感じていました。心配をかけた両親に対してもずいぶんと横柄な態度をとり、自分の思いやりのなさに自分も傷つきました。
 こんなことではいけない、思いやりのあるやさしい人になりたいと思い、そうなるための心の拠り所を求めました。そんな時に、以前ミサで聴いた神父様の説教を思い出し、また話が聴きたくて、教会に通うようになりました。
 入門講座に通い、ミサに与り、福音を聴きました。
 やさしい言葉で語られる福音に心が満たされていったように感じます。
 そして、通い始めて半年くらいした時に、神様のあたたかなまなざしを感じる瞬間に出会いました。
 その日は病院の定期検診で、先生に「もう大丈夫ですよ、心配ありません」と言ってもらえた日でした。やっと病気から解放されたと思った時に、神様が「よかったね」とほほえみ、一緒に喜んでくださっているように感じました。
 病院のベッドで一睡もできずにただ天井を眺め、心細さや痛みに一人耐えていた夜も、神様は側にいてくださったのだと気づきました。そして私は神様の呼びかけに素直に返事をすることを決めました。

 ここまで来ることができたのは、たくさんの祈りに支えられていたからです。
 今までのたくさんの出会いに感謝しています。
 皆様、そして晴佐久神父様、ありがとうございます。
 これからは穏やかにゆっくりと祈りとともに生きていきたいと思います。

導かれて(受洗者記念文集)

奥山 美怜(仮名)

 「エクレシア・・・呼ばれた者の集まりへようこそ、と申し上げたい。神さまが、今日ここに私達を集めて下さいました」 母の葬儀ミサからまだ幾日も経たない1月末の夜、初めて参加した入門講座で晴佐久神父様がこう語りはじめられました。

 長い闘病生活を送った母の最期を見守り、私は深い悲しみや寂しさを抱えながらも、それ以上にとても不思議な自分でも止めようのない、強く熱い思いに揺り動かされていました。私にとって決定的に大切な何か・・・。そのことに気付かされ始めていたのです。
 神父様のお話を聞きながら、私が本当に辿り着くべき場所はここだった・・・と静かな感動が押し寄せてきました。本当に大切なもの…でその場所は満ちていたからです。

 子供の頃から読書好きだった私の本棚には、八木重吉、遠藤周作、井上洋治などの本が増え、大学の礼拝堂で過ごす時間もとても好きでした。両親は私が20代の頃からそれぞれ洗礼を受けましたが、私自身はずっと中途半端なまま、自分と神との直接的な出逢いを求め続けていたように思います。
 20代から30代の希望に満ちて人生を切り開く時期に、私は大きな試練を受けました。将来を思い描き歩んで行きたかった道を進むことはできず、この世の思惑や定めに振り回されながら、曲がりくねった長い道を歩きはじめざるを得なくなったのです。でもその道はまた、私が自分自身を見失わないために敢えて自ら選んだ道でもありました。
 様々な思いに苦しみながら一人で未熟な祈りを続けていた私に、今振り返ると神さまはずっと寄り添っていてくださいました。そしていつの間にか、あの日々があったからこそ私が今ここに辿り着くことができ、その時に感じた痛みや苦しみはすべて、神さまの深い摂理の中にある恵みだったのではないかと、感謝のうちに思えるようになっていたのです。心細く悩みながら歩いていた人生の途中で遭遇した出来事や人、言葉は、神さまからのメッセージだったのでは・・・。神のみ旨は、私の願いや想像をはるかに超えた深いものでした。

 母のことを記すのはまだ少し勇気がいることなのですが、難しい病を得て最後には話すこと、食べること、自分の手足を動かすこともできない日々が長く続きました。その母がかろうじて声を出せた頃に、ゆっくりと私に伝えてくれた言葉は、

 「だい・・・じょうぶ」「お・ゆ・だ・ね」だったのです。

 晴佐久神父様の、福音を語られるまっすぐな言葉と祈りに導かれ、私は洗礼を授けていただくことが出来ました。ミサで包み込まれる歌声、合わせる祈りの力の素晴らしさ…その中の一粒になれた今、言葉に表すことのできない静かな安心感に包まれています。
 小さく、謙遜なものとなり、「神さま・・・」と無心に祈ることができますように。
 生まれたばかりの二十六つ子の一人として、皆様に導いていただけますように。
 入門係の皆様、代母のS様、そして晴佐久神父様 本当に有難うございました。

 そして、母に、心から感謝をこめて。

御心を信じて生きる(受洗者記念文集)

越川 麗花(仮名)

 洗礼を授けていただき、ようやく私もクリスチャンの仲間入りができたことを大変幸せに思います。

 20歳の頃、神様を求めカトリックの教会に通い、洗礼を受けるために勉強をしていた私でしたが、復活祭前になり一人で信仰をしていく自信がなくなり、洗礼を受けることを断ってしまったということがありました。その頃は、ミサに与っていても自分の罪の大きさばかりを感じ、神様が私を愛してくださっているということは全く感じられずにいました。自分とは何なのか、何のために生きているのか、どう生きればよいのか、自分の存在価値は……光の見えないトンネルの中にいるようでした。

 そんな私に、転機が訪れたのは、25歳の時でした。何でもない晴れた冬の日に、「今までも大丈夫だったし、これからもずっと大丈夫」という強いメッセージのようなものを感じました。私は、その日を境に神様に生きる希望のスイッチを押してもらったようでした。それまで暗闇のように思っていた日々も、神様の存在を全く感じられないような時も、神様はずっと私を愛してくれ、ずっと見守ってくれていたということに深く感動し、純粋に生きている喜びを感じられるようになりました。何の価値もないように思っていた自分を、神様はずっとずっと愛してくださっていたのだということは、私にとって大きな生きる自信となり、生きる意味を見出すきっかけとなりました。

 その後、教会とは関係ないところで出会った夫は、カトリック信者でした。結婚してからの15年は、8回の引っ越しで、生活に慣れることや子育てに追われ、あっという間に過ぎていきました。そして、昨年の春、夫の仕事の関係で、多摩に引っ越してきました。生活が落ち着いてきた秋頃、美しい景色に度々神様の愛を感じました。今、ここに自分がいることが、完全なる神の導きで、御心そのものであるという感覚があふれてきて、これからの人生を神様に全部委ね生きたいという気持ちが強く湧き出てきました。

 そして、迎えたクリスマス。夫の両親と家族4人で多摩教会のミサに与りました。久しぶりに与るミサに懐かしさと温かさを感じ、愛のあふれる晴佐久神父様のお説教に家族4人が、また来週もミサに与りたいと自然に思いました。今年の1月の半ばより入門講座に出るようになり、洗礼を受けたいという気持ちも芽生えてきました。そこには、自分の意志だけではない、大いなる力が働いていたように思います。

 子どもたちも、日曜学校で、改めてイエス様のことを知るようになり、それぞれに神様の愛を感じ、多くのことを学んでいきました。私も子どもたちも自然にイエス様を信じて生きていきたいと、それぞれに思うようになりました。

 そして、迎えた洗礼式、額に沢山の水を受け、生まれ変わったような清々しい気持ちになりました。ようやく私も神様を信じるものと受け入れられたのだと、本当に嬉しい気持ちでした。これからが、信仰生活のスタートです。いつも、どんな時も神様の愛を信じ、喜び、祈り、感謝して、これからの人生を生きていきたいと思います。

 最後に、力強い福音で私たちを洗礼に導いてくださった晴佐久神父様、洗礼を受けるにあたって優しく背中を押してくれた代母のKさん、信仰をともに深めていける家族、いつも私たち家族のために祈ってくれていた両親、私たちを温かく迎えてくださった多摩教会の皆様、本当にありがとうございました。

 そして、26人、一緒に受洗した良い仲間を与えてくださった神様に、心から感謝します。

洗礼(受洗者記念文集)

月丘 はるか(仮名)

 洗礼を受けて、変わったことは自分を表現することに迷いがなくなってきたところだと思います。
 ただ迷いがなくなったといっても、完全になくなったというわけではありません。以前より少しずつ自分の思ったとおりに動くことに抵抗がなくなってきたという感じです。

 洗礼を受けるまで私は、人との会話や、これから自分がする行動に自信を持つことが苦手でした。それは他人の目を必要以上に気にしてしまう癖があるからです。常に自分のするアクションが相手を不快にさせないかどうかと、考えないようにしようと思っても自然と考えてしまっていました。
 その原因は、自分に自信が持てていなかったからだと思います。自信が持てていないから自分が決めたことは間違っているような気がしてしまうのです。

 友達と話すのにも職場の人と一緒に仕事をするときでも、なかなか自分の意見が言えず、相手の顔色をうかがって相手の意見に同調していました。そんなことをしていたら、ふいに自分の行動と相手に同調していた行動にギャップができてしまい、言っていることとやっていることが違う、何を考えているかわからないと言われ、さらに自分に自信がなくなってきていました。

 しかし、洗礼式の日、こんな状態だった私にたくさんの人が「受洗おめでとう! 本当によかったね!」という言葉や、ベールや、メダイ、ロザリオなどいろいろな贈り物をしてくれました。
 神父さんに水をかけてもらったとき、人生でこんなことが起こるなんて考えてもみなかったなー、祝福されているんだな、愛されているんだなと感じることができました。

 その日から、「どんなことをしても自分は愛されているから大丈夫」という、少し不思議な自信がでてきました。自分の思ったように動いていいんだと思えるようになりました。
 ここまで支えてくださった神父さま、教会のみなさん、代母さんに感謝します。
 これからもいろいろ教えてください。

導かれて(受洗者記念文集)

クララ・エスペランサ山本 紗也

 私が洗礼を受けることを決めたのは大学受験に合格した時です。
 結果を聞いた帰り道で何の前触れもなく「神様が導いてくださったんだ」と思いました。

 私は今まで宗教とは無縁の生活をしていました。神様について考えたこともなければ、教会にも行ったことはありませんでした。

 でも昨年の夏、母に「教会でパーティーがあるから来ない?」と言われて行ってからちょっとずつ教会に通うようになりました。
 ミサや入門講座で神父様のお話を聞いて神様について少し考えていた頃に、すべて神様が導いてくださっているんだ、ということに気がつけました。
 このことに気がついてから世界が変わりました。あたたかい気持ちでいっぱいで、洗礼式まで毎日が楽しく充実した日々を送ることができました。
 多摩教会に導いてくださって感謝しています。
 まだまだ神様について知らないことがたくさんあります。ぜひ教えてください。

 最後に、教会に誘ってくれた母、いつも可愛がってくださるオアシスの皆さん、そして洗礼を授けてくださった晴佐久神父様、ありがとうございました。
 とっても幸せです!