1月の初金家族の会は、年明けすぐで、お休みいたしました。
次回、2月7日(金)は、「教会ディサービスを考える-介護保険法のもとで-」と題し、フランシスコ中司 伸聡さん(麹町教会)のお話しを聞き、分かち合いを行う予定です。
ごミサの後、午前11時から、信徒館1階で行います。
多数の方のご参加をお待ちしております。
1月の初金家族の会は、年明けすぐで、お休みいたしました。
次回、2月7日(金)は、「教会ディサービスを考える-介護保険法のもとで-」と題し、フランシスコ中司 伸聡さん(麹町教会)のお話しを聞き、分かち合いを行う予定です。
ごミサの後、午前11時から、信徒館1階で行います。
多数の方のご参加をお待ちしております。
クリスマス、おめでとうございます!
イエスさまは、貧しい人と共にある救い主として、貧しい馬屋でお生まれになりました。最初の訪問者は貧しい羊飼いたちでしたし、生涯貧しい人に福音を告げ知らせて、最後は貧しい盗賊と共に十字架上で亡くなりました。
キリストの教会はキリストそのものですから、当然、貧しい人々と共にある教会でなければなりません。貧しい人の訪問をいつでも歓迎し、貧しい人にこそ福音を告げ知らせ、貧しい人と共に十字架を背負うためにこそ、教会は存在しているのです。
12月17日は、ローマ教皇フランシスコの77歳の誕生日でしたが、この日の朝、教皇はローマ市内のホームレスをバチカンに招き、自身が生活している聖マルタの家の食堂で、誕生日の食事を共にしました。招待されたのはバチカン付近の路上生活者3名で、それぞれ、スロバキア、ポーランド、チェコ出身の男性。そのうちの一人は、「教皇に会えるのだから、ホームレスだったかいがある」と話したそうです。
まさに「貧しい人々のための教会」を掲げる教皇フランシスコらしいエピソードで、その一週間前に、アメリカのタイム誌で恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に教皇フランシスコが選出されたのも分かります。その選ばれた理由は、「思いやりに焦点をあて、良心の新たな代弁者となった」というものでした。
しかし、よくよく考えてみると、キリストの代理者であり教会の頭である教皇が思いやり深く、良心に従ってホームレスを招き入れ、食事を共にするというのは、実は当然のことではないでしょうか。むしろ、それがニュースになるような教会の現状を恥じるべきだとも言えます。キリストはそうしていたし、そのキリストとひとつであろうとするのが、キリストの教会なのですから。
先日ローマを訪問した折、確かにバチカンの周りに物乞いをしているホームレスがたくさんいるのを見かけましたが、一々対応していてはキリがないと、前を通り過ぎてばかりでした。最終日に聖パウロ教会を訪問した時、教会出口に赤ん坊を抱えた難民風の女性がいたので、せめてもの罪滅ぼしにと、2ユーロ差し上げました。すると、「もっとくれ」と言うのです。こちらがローマンカラーをしていたせいもあって、「ファーザー、プリーズ、ファーザー、プリーズ」と言いながら、ずーっと後を付いてくるのです。ポケットを探ると、もう小銭はなく、お札しかありません。良心というよりは、仕方なくって感じで10ユーロ渡すと、なんと、「もっと」と言うのです。後はもう20ユーロ札しかなかったので、「すんまへん、かんべんして〜」とか日本語で言いながら、バスの中に逃げ込んでしまいました。
ホームレスを招いたパパ様のニュースを読んで、つくづく思います。
なんであのとき、あの20ユーロ札を出さなかったんだろう、と。
12月初めに、釜石を訪問して来ました。釜石ベースはNPO法人カリタス釜石として新たなスタートを切ったところです。東北の被災者は、まさに今、物質的にも精神的にも、日本で最も貧しい人たちですし、そんな中でのベースの福音的な活動は本当に尊く、頭の下がる奉仕です。
このたび、カリタス釜石は、新たな活動拠点となる新センターを建設することになりました。出来上がれば地元の他のボランティアグループの拠点ともなる重要な施設です。来年4月の開所を目指していますが、資金難で、総工費5,000万円のうちあと500万円が足りないということでしたので、私が集めましょうと、お約束してまいりました。
大きな額ですけれども、ぜひ、ご協力をお願いします。私たちが、たとえ少しずつでも分かち合えば、必ず集まると信じています。
聖堂入口の「東日本大震災支援」の袋に入れていただいてもいいですし、HP「福音の村」の口座宛で振り込んでくださっても結構です。(※) 集まりましたものは、私が直接、釜石へお届けいたします。
私も今回は、「なんであのとき」と後悔しないよう、やることをやるつもりです。
「福音の村」( ホームページアドレス : http://www.fukuinnomura.com/ )
・ 「カリタス釜石に活動拠点を!」 >>> 「募金協力のお願い」
(お振込先や、お振り込み方法などの詳細は、上記のページをご覧ください)
・ 「晴佐久神父からのお願い」 >>> 「福音の村」読者の皆様へ
② ゆうちょ払込み(「払込取扱票」(青い用紙)のご利用) :
口座記号・口座番号 :00190-3-652160 (「652160」は右詰でご記入ください)
加入者名 : 福音の村
③ ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込み
金融機関名 : ゆうちょ銀行
店名 : 〇一九(ゼロイチキュウ)店
預金種目 : 当座
口座番号 : 0652160
加入者名 : 福音の村
今年のバザーで、稲城・川崎地区は目玉商品として、晴佐久神父さまのオリジナルイラスト、「BABY ANGEL」をプリントしたTシャツ、トートバッグ、エコバッグを売りました。
デザイン画をもらって印刷工房へ行き、サイズ、色、枚数を決めてから1週間ほどで出来上りました。
10月中旬の夕方、宅急便で段ボールが2つ、わが家の玄関に届けられました。デザイン画をいただく時に神父さまから、「これはBABY ANGEL、まだ世の中に出ていない生まれたばかりのニューキャラだよ!」と言われていました。神父さまはこのBABY ANGELを生み出すのにきっと時間をかけられたことだろうと思います。
せっかく作るのだから良い物を作りたい。印刷工房をどこにするかを決めるのには、結構こだわりました。探して3軒目でやっと頼みましたが、(原画の筆のかすれた感じや雰囲気が損なわれていないか、色はきれいに出たか、だいじょうぶかなぁ・・・)と、仕上がりがとても心配でした。ドキドキしながら開けてみると、うす暗い箱の1番上のBABY ANGELくんが、「ぼくたち(わたしたち)できたよ!どお?」とニコニコ笑いながら私を見ていました。「おお、できたね〜、やったね〜、無事にうちに来たんだねぇ」
筆の「かすれ」具合もまぁまぁ。(へぇ・・・こういうバッグもっている人ってまずいないな)と、出来上がりを誇らしげに思いました。そして2枚目も3枚目もず〜っと箱の1番下の底のところまで、BABY ANGELくんたちがニコニコホカホカ。ちょっと眩しくて箱の中がなにやら騒がしい。この時の事はとても印象的で、忘れることができません。
何かに似ているな、この瞬間・・・。そうだ、むかしばなし「竹取物語」のおじいさん!!
竹取物語、いわゆる「かぐや姫」で、おじいさんが竹を取りに竹林へでかけた。竹林の中でひとつだけ光り輝いている竹を見つけ、不思議に思って近寄ってみると、中から小さな小さな女の子が出てきた。・・・室町時代の竹取の翁の「ビックリ感!!」ってまさにこんな感じ!?
バザー当日はあいにく雨でしたが、特にこの製品が出来るまでを知っている方は、「かわいいね」と言って買ってくださいました。義母は、「福音の村」の晴佐久神父さまのお説教を毎週プリントアウトして知人に配っているので、(そうだ、義母の教会のバザーでも売ってもらおう!)と思いつきました。バッグだけ十数枚頼んでみたら、「早いうちに完売しちゃったわよ!」との返事。よかった〜。
更にWikipediaで竹取物語を読んでみると、翁は女の子を発見し自分の子供として育てた。女の子はどんどん大きく成長し、この世のものとは思えないほどの美しい女性になった。この子の周りにはいつも光が満ちて明るく、家の中は暗いところがない。翁は気持ちが落ち込んでいる時もこの子を見れば元気になった。そしてこの子は「なよ竹のかぐや姫」と名付けられた。「なよ竹」とはしなやかな竹、「かがよう」はちらちら揺れて光っているという意味。
そうだったのです!私が段ボールを開けた時、BABY ANGELくんたち、チラチラ揺れて光っていたんですね!!
今回は200人のANGELくんたちでしたが、もっともっとたくさんの人のところで「かがよって」ほしいです♪
私たちのゆるキャラ、BABY ANGELは、まさしくあなたの近くで「耀っている」のです!
(付記) BABY ANGELグッズをお求めになった方、おうちの箪笥の1番上にしまっておくと、箪笥を開けた時、あなたの心はオアシスな気分で満たされます。(*^_^*)
凡そ25年間、福祉活動を中心に奉仕を行って参りましたが、メンバーの寄る年波、それぞれの家族や親戚の状況変化により、活動そのものに支障が生じて参りました。そのため本年をもってコルベ会を休止させて頂きます。長い間、皆様からご理解、ご協力をいただき、本当にありがとうございました。皆様のご協力があってこそ成り立った活動でした。神の慈愛の眼差しの中、心より感謝申し上げます。ただただ感謝いたします。
これまで私たちが行ってきた活動の内容と主な支援の対象は次のようなものです。
① 仮聖堂から本聖堂までの教会建設費への献金
② 病者訪問とそのサポート
③ 阪神淡路大震災(5年間)、中越地震(2年間)、東日本大震災(3年間‥・)に対する献金
④ 山谷への援助(お米やタオルなど)
⑤ 東京カリタスの家のための古切手、カード、ベルマークなどの蒐集
⑥ 教区本部のペトロの家のための献金
⑦ 海外宣教者を支援する会のための献金
これらの支援のための資金を確保するために行った主な活動は:
◎ プリンセス・ケーキの製造と販売、北海道のじゃがいも、九州の甘夏の販売、特に甘夏の一部を加工し、甘夏ピール、ジャム、マーマレードにして、相当な資金を得ることができた。
◎ クリスマス、お中元、お歳暮の時期に関係グッズ、クッキー・ケーキなどを注文・販売した。
12月6日、待降節第一金曜日、晴佐久神父様はミサのお説教で、「主をお迎えするのにふさわしく、よく目覚めて感謝し、真剣に信頼して一層一致の喜びを味わいましょう」と話されました。
続いての初金家族の会では、先の太平洋戦争中に海軍に徴用され、二度も船が撃沈されて、奇跡的に一命をとりとめた松永重雄さんの息詰まるような戦争体験談に耳を傾けました。
また、松永さんは先ごろ肺炎を患ったとき医師から家族に、「最後を覚悟するように」と言われたあと、これも見事に乗り切られました。松永さんの今のお元気なご様子をみんなでお喜びしました。
「私は何もしていません。今、こうして生きているのは、私の力ではなく、すべて神様のお恵みです」と、感想を述べられたのが印象的でした。
松永さんのお話しを聴き終えて、平和の尊さを実感するとともに、このように貴重なナマの戦争体験談を、出来れば若い世代の方々にもぜひ伝えたいと思いました。
2014年1月の初金ごミサのあとの家族の会はお休みにして、次回は2月7日(金)、ごミサのあと午前11時から開催の予定です。
今、わたしの手元に4冊の本があります。
「くまちゃんといっしょ」という可愛らしいお祈りの本です。小さいころ大好きで、枕元に置いて寝ていました。お祈りの意味もよく分からなかったと思うのですが、母が寝る前に読んでくれていました。
私が好きなお祈りは、
「かみさまといっしょにいるのはほんとうにうれしいこと。かみさまはわたしのともだちわたしのせんせい。」というところです。
振り返ってみると、わたしのそばにはいつも神様がいらっしゃいました。
聖母病院で生まれ、初めての写真はマリア様の像の下で写っています。キリスト教の幼稚園に通い、毎日お祈りをして聖劇もやりました。中学からカトリックの学校に通い、キリスト教についても勉強しています。
神様は身近ではあるけれども空気のような存在で、あまり深く考えたことはありませんでした。教会に何度か通ううちに、もっと神様について考えてみようと思い、受洗しました。
これから神様について考えるチャンスをいただいたのだと思っています。まだまだ分らないことが沢山ありますので、どうぞいろいろと教えてください。
締め切りを過ぎてしまったのに、受洗を許可してくださった晴佐久神父様、入門係の方々、ありがとうございました。
先月、「晴佐久神父と行くヨハネ・パウロ2世教皇列聖決定記念バチカン・ローマ巡礼旅行」という、長たらしいタイトルのツアーを催行しました。
これは、ヨハネ・パウロ2世教皇を慕ってローマのゆかりの場所を巡るもので、彼を特別に慕う人たちが、来年4月の列聖式を待ちきれずに出かけてしまったというフライングツアーです。彼がまだ若い司祭としてローマにいたころ、毎週ゆるしの秘跡を授けに通っていた小教区聖堂を訪れて、彼がゆるしの秘跡を聞いている姿のブロンズ像の前で祈り、回心を願ってミサを捧げるなど、相当マニアックなコース設定でした。
10月20日の主日には、聖ペトロ大聖堂に安置されている彼のご遺体の前で祈り、地下の聖ペトロの墓前の小聖堂で主日ミサを捧げ、感極まって宣言してしまいました。
「私は、ヨハネ・パウロ2世教皇を、列聖します!」
世に言うフライング列聖式です。以降、巡礼団は、勝手に「聖ヨハネ・パウロ2世教皇」と呼んでおりました。
旅の中心は、10月22日の、彼の記念日です。この日は聖なる教皇をしのんで、バチカン庭園を訪問しました。ありがたいことに、この日は私の誕生日でもあり、素晴らしい天気にも恵まれて、忘れられない一日になりました。
バチカン庭園は、聖ペトロ大聖堂の裏手に広がる庭園です。バチカンの約半分の広さで、美しい森の小道や精緻なイタリア式庭園、噴水や13世紀そのままの建造物などがあり、また、教皇専用の鉄道駅やヘリポートなどもあります。庭園内はほとんどひと気がなく、サンピエトロ広場の喧騒がうそのように、静寂そのものです。
普段は教皇が散策することもある場所ですから、一般公開はされていません。今回は事前に予約して、イタリア人女性のガイド付きで見学することができましたが、ガイドからは、「ガイドの言うとおりに動け、ガイドから離れるな、走るな、大声出すな」などの諸注意がありました。
まず印象的だったのは、庭園を囲む城壁内部の道です。ただの道ですが、ガイドさんが「ヨハネ・パウロ2世教皇は、よくここでジョギングをしていました」と言うので、思わずガイドの目を盗んで走ってしまいました。ほんのちょっとですが。そうか、パパ様も走っていたか。やっぱり健康第一、福音のためにちゃんと走らなきゃ、と思わされました。
また、前教皇の現在の住まいも印象的でした。前教皇ベネディクト16世は生きているうちに引退したので、なんと「名誉教皇」としてこの庭園内に住んでいるのです。そこはマーテル・エクレジエ(教会の母)という名の修道院で、これはヨハネ・パウロ2世教皇の要望で造られた観想修道院です。世界中の女子修道会にバチカンでの観想生活を提供する目的で建てられ、各修道会が数年交代で暮らして、教皇と教会のために祈り続けています。
たまたま、この修道院の下で、ドイツ人の見学グループが口々に大声で「ビバ、パパ!」と叫び出して、飛んできた警備員に厳重注意されている場面に出くわしましたが、彼らの気持ちは痛いほど伝わってきました。言うまでもなく、前教皇はドイツ人でしたから。
見学コース最後の方で、ファチマの聖母のご像の前を通ったので、ガイドさんに「ご像の前で、みんなで祈りたい」と申し出たら、ちょっと驚いた顔をしましたが、「どうぞ」と言ってくれました。
1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世教皇は、サンピエトロ広場で狙撃され、重傷を負いました。この日はファチマの聖母のご出現の記念日だったので、彼は聖母が守ってくださったのだと感謝し、聖母への信頼を一層深めたのです。彼がその2年後には犯人を刑務所に訪問し、赦しを与えて、完全な信頼関係のうちに会話したのは有名な話です。
私は「パパ様にならって、愛をもって暴力に打ち勝とう」とお話をし、みんなでロザリオの祈りを捧げました。
生前、この庭園のご像の前で、あの教皇様は何を祈られたのでしょうか。
別れ際に、ガイドさんが言いました。「みなさんが本当にパパ様を慕っている姿に感動しました。多くの見学者を案内してきたけれど、庭園で祈った人たちは初めてです」

カトリックとの出会いは、アンセルモ教会(目黒)の土曜学校です。私は5年生でした。
教会に行くきっかけは信者の友人に誘われたからです。先生の弾くピアノを囲んで、聖歌の練習をしました。どの曲も何回も繰り返したので、よく覚えています。その後クラスに分かれて紙芝居、子どもの公教要理、お話など、最後に聖堂でごミサでした。
私は、先祖の命日、お彼岸など、仏教の行事には家族でお寺にお参り行く一般的な家庭に育ちました。ですから土曜学校で学んだこと、体験したことのほとんどを、新鮮で興味深く感じたものでした。たった2年間でしたが、自ら進んで得た知識は即、外国文学に触れる時、世界史を学ぶ時、興味を引く大きな要因になりました。それらの底流にあるキリスト教的感覚に自然になじめたからです。
そして、中学になったからは、教会へ行かなくなりました。
大学生になった時、よりキリスト教を知りたいと思い、高輪教会に行きました。そこで偶然、土曜学校の時の先生と再会しました。当時のことを話すと、すぐ思い出してくれました。当時のドミニコ会の神父様のことなど昔話に花が咲きました。
初めての公教要理の時、先生が懐かしい写真を見せながら、私をスカボロ宣教会の神父様に紹介してくださいました。求道者は私一人でした。訛のある日本語なのに、とてもわかりやすく、しっかり吸収できました。聖書が身近に感じられました。
それから何十年か経って、私は八王子教会の土曜学校で教えていました。
スタッフにと要請があった時、びっくりしてお断りしました。人違いと思ったからです。それほど、信仰と距離のある自分を自覚していたからです。信仰を教えることなど考えたこともありませんでした。熱心な要請に戸惑いながらも、この役を受けたのは土曜学校の体験があったからでした。
経験をすること、それはどんな講義よりも、説得よりも強い力になるものだと知りました。また、蒔かれた種は長い時間を経ていろいろな形で芽を出すものだと思いました。しり込みをしていたにもかかわらず、子どもたちとの関わりの中で、知らなかったこと、忘れていたことなど楽しく勉強することができました。
これら教会を通して得た経験、人々との素敵な出会いは貴重です。これからも、教会が日常生活のオアシスであり続けるよう努力していきたいと思います。