連載コラム

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第24回

教会の奉仕こそ「荒れ野のオアシス」そのものである

ヨセフ 下津 秀則

 私たち家族が多摩教会を知ったのは、11年ほど前、妻が鎌倉街道を運転中に多摩教会の十字架を見つけた時でした。早速、主任司祭の宮下神父様に電話で連絡を取ったところ、「是非、ミサにいらっしゃい」と言われ、次の週の日曜日にその当時小学校低学年だった息子と3人で多摩教会を訪れました。当時は、ミサでも空席が目立ち、現在よりもはるかに人数が少なかったこともあったのでしょうが、「新しい家族が来た」と大歓迎を受けました。その日は、当時年2回行われていたバザー(聖霊降臨祭)の当日で、暖かい雰囲気を肌で感じることができました。
 こうして、私たち一家の日曜日の予定として、教会のミサが組み込まれ、2002年の復活祭に妻が、2003年には私が洗礼を受け、引き続いて息子も洗礼を受けました。
 息子が教会学校に通うようになったある日、教会学校担当のシスターから妻が呼ばれ、「教会学校を手伝ってくれないか」と言われました。それをきっかけにして、私も教会学校を手伝うようになり、もう10年近く教会学校を担当させていただいております。
 教会には、教会学校以外にも様々な活動があり、無償の奉仕で成り立っているのは、ご存知の通りです。例えば、侍者、先唄、朗読、オルガン、ミサの受付、会計、アンジェラ、受付当番、病者訪問、軽食サービス、教会掃除、葬儀の担当、霊園担当、カトリックニュース、祭壇のお花、バザー委員、地区委員、営繕、教会のホームページ、オアシス、入門係、総務など非常に多くの人たちが関わっています。しかも全ての人がボランティアです。
 私は会社員ですが、会社では賃金が支払われるからこそ仕事をするのであって、無償の奉仕と言う事は考えられないことです。この無償の奉仕によって作り上げられる世界こそ、「荒れ野のオアシス」そのものではないでしょうか。多摩教会=荒れ野のオアシスと考えるならば、信徒がミサや教会活動を担当することによって、オアシスから救いや癒しを頂いているのだと思います。そしてまた、奉仕する人々は、教会への奉仕によって、無上の喜びを感じているのです。