洗礼(受洗者記念文集)

蒼井 春菜(仮名)

 今、わたしの手元に4冊の本があります。
 「くまちゃんといっしょ」という可愛らしいお祈りの本です。小さいころ大好きで、枕元に置いて寝ていました。お祈りの意味もよく分からなかったと思うのですが、母が寝る前に読んでくれていました。
 私が好きなお祈りは、
 「かみさまといっしょにいるのはほんとうにうれしいこと。かみさまはわたしのともだちわたしのせんせい。」というところです。

 振り返ってみると、わたしのそばにはいつも神様がいらっしゃいました。
 聖母病院で生まれ、初めての写真はマリア様の像の下で写っています。キリスト教の幼稚園に通い、毎日お祈りをして聖劇もやりました。中学からカトリックの学校に通い、キリスト教についても勉強しています。

 神様は身近ではあるけれども空気のような存在で、あまり深く考えたことはありませんでした。教会に何度か通ううちに、もっと神様について考えてみようと思い、受洗しました。
 これから神様について考えるチャンスをいただいたのだと思っています。まだまだ分らないことが沢山ありますので、どうぞいろいろと教えてください。
 締め切りを過ぎてしまったのに、受洗を許可してくださった晴佐久神父様、入門係の方々、ありがとうございました。

巻頭言:主任司祭 晴佐久昌英「バチカン庭園の聖母像」

バチカン庭園の聖母像

主任司祭 晴佐久 昌英

 先月、「晴佐久神父と行くヨハネ・パウロ2世教皇列聖決定記念バチカン・ローマ巡礼旅行」という、長たらしいタイトルのツアーを催行しました。
 これは、ヨハネ・パウロ2世教皇を慕ってローマのゆかりの場所を巡るもので、彼を特別に慕う人たちが、来年4月の列聖式を待ちきれずに出かけてしまったというフライングツアーです。彼がまだ若い司祭としてローマにいたころ、毎週ゆるしの秘跡を授けに通っていた小教区聖堂を訪れて、彼がゆるしの秘跡を聞いている姿のブロンズ像の前で祈り、回心を願ってミサを捧げるなど、相当マニアックなコース設定でした。
 10月20日の主日には、聖ペトロ大聖堂に安置されている彼のご遺体の前で祈り、地下の聖ペトロの墓前の小聖堂で主日ミサを捧げ、感極まって宣言してしまいました。
 「私は、ヨハネ・パウロ2世教皇を、列聖します!」
 世に言うフライング列聖式です。以降、巡礼団は、勝手に「聖ヨハネ・パウロ2世教皇」と呼んでおりました。
 旅の中心は、10月22日の、彼の記念日です。この日は聖なる教皇をしのんで、バチカン庭園を訪問しました。ありがたいことに、この日は私の誕生日でもあり、素晴らしい天気にも恵まれて、忘れられない一日になりました。

 バチカン庭園は、聖ペトロ大聖堂の裏手に広がる庭園です。バチカンの約半分の広さで、美しい森の小道や精緻なイタリア式庭園、噴水や13世紀そのままの建造物などがあり、また、教皇専用の鉄道駅やヘリポートなどもあります。庭園内はほとんどひと気がなく、サンピエトロ広場の喧騒がうそのように、静寂そのものです。
 普段は教皇が散策することもある場所ですから、一般公開はされていません。今回は事前に予約して、イタリア人女性のガイド付きで見学することができましたが、ガイドからは、「ガイドの言うとおりに動け、ガイドから離れるな、走るな、大声出すな」などの諸注意がありました。
 まず印象的だったのは、庭園を囲む城壁内部の道です。ただの道ですが、ガイドさんが「ヨハネ・パウロ2世教皇は、よくここでジョギングをしていました」と言うので、思わずガイドの目を盗んで走ってしまいました。ほんのちょっとですが。そうか、パパ様も走っていたか。やっぱり健康第一、福音のためにちゃんと走らなきゃ、と思わされました。
 また、前教皇の現在の住まいも印象的でした。前教皇ベネディクト16世は生きているうちに引退したので、なんと「名誉教皇」としてこの庭園内に住んでいるのです。そこはマーテル・エクレジエ(教会の母)という名の修道院で、これはヨハネ・パウロ2世教皇の要望で造られた観想修道院です。世界中の女子修道会にバチカンでの観想生活を提供する目的で建てられ、各修道会が数年交代で暮らして、教皇と教会のために祈り続けています。
 たまたま、この修道院の下で、ドイツ人の見学グループが口々に大声で「ビバ、パパ!」と叫び出して、飛んできた警備員に厳重注意されている場面に出くわしましたが、彼らの気持ちは痛いほど伝わってきました。言うまでもなく、前教皇はドイツ人でしたから。

 見学コース最後の方で、ファチマの聖母のご像の前を通ったので、ガイドさんに「ご像の前で、みんなで祈りたい」と申し出たら、ちょっと驚いた顔をしましたが、「どうぞ」と言ってくれました。
 1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世教皇は、サンピエトロ広場で狙撃され、重傷を負いました。この日はファチマの聖母のご出現の記念日だったので、彼は聖母が守ってくださったのだと感謝し、聖母への信頼を一層深めたのです。彼がその2年後には犯人を刑務所に訪問し、赦しを与えて、完全な信頼関係のうちに会話したのは有名な話です。
 私は「パパ様にならって、愛をもって暴力に打ち勝とう」とお話をし、みんなでロザリオの祈りを捧げました。
 生前、この庭園のご像の前で、あの教皇様は何を祈られたのでしょうか。
 別れ際に、ガイドさんが言いました。「みなさんが本当にパパ様を慕っている姿に感動しました。多くの見学者を案内してきたけれど、庭園で祈った人たちは初めてです」


庭園側から眺めた聖ぺトロ大聖堂
庭園側から眺めた聖ぺトロ大聖堂

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)


連載コラム:「カトリックとの出会い」

連載コラム「スローガンの実現に向かって」第35回
「カトリックとの出会い」

愛宕・乞田・鹿島・松が谷・和田地区 加勇田 明子

 カトリックとの出会いは、アンセルモ教会(目黒)の土曜学校です。私は5年生でした。
 教会に行くきっかけは信者の友人に誘われたからです。先生の弾くピアノを囲んで、聖歌の練習をしました。どの曲も何回も繰り返したので、よく覚えています。その後クラスに分かれて紙芝居、子どもの公教要理、お話など、最後に聖堂でごミサでした。

 私は、先祖の命日、お彼岸など、仏教の行事には家族でお寺にお参り行く一般的な家庭に育ちました。ですから土曜学校で学んだこと、体験したことのほとんどを、新鮮で興味深く感じたものでした。たった2年間でしたが、自ら進んで得た知識は即、外国文学に触れる時、世界史を学ぶ時、興味を引く大きな要因になりました。それらの底流にあるキリスト教的感覚に自然になじめたからです。
 そして、中学になったからは、教会へ行かなくなりました。

 大学生になった時、よりキリスト教を知りたいと思い、高輪教会に行きました。そこで偶然、土曜学校の時の先生と再会しました。当時のことを話すと、すぐ思い出してくれました。当時のドミニコ会の神父様のことなど昔話に花が咲きました。
 初めての公教要理の時、先生が懐かしい写真を見せながら、私をスカボロ宣教会の神父様に紹介してくださいました。求道者は私一人でした。訛のある日本語なのに、とてもわかりやすく、しっかり吸収できました。聖書が身近に感じられました。

 それから何十年か経って、私は八王子教会の土曜学校で教えていました。
 スタッフにと要請があった時、びっくりしてお断りしました。人違いと思ったからです。それほど、信仰と距離のある自分を自覚していたからです。信仰を教えることなど考えたこともありませんでした。熱心な要請に戸惑いながらも、この役を受けたのは土曜学校の体験があったからでした。
 経験をすること、それはどんな講義よりも、説得よりも強い力になるものだと知りました。また、蒔かれた種は長い時間を経ていろいろな形で芽を出すものだと思いました。しり込みをしていたにもかかわらず、子どもたちとの関わりの中で、知らなかったこと、忘れていたことなど楽しく勉強することができました。

 これら教会を通して得た経験、人々との素敵な出会いは貴重です。これからも、教会が日常生活のオアシスであり続けるよう努力していきたいと思います。

投稿記事:「五日市霊園多摩教会墓地への墓参」

五日市霊園多摩教会墓地への墓参

委員長補佐 北村 司郎

 去る11月4日、恒例になった五日市霊園にある多摩教会の共同墓地への墓参を行った。
 あいにくの天候であったが、50名以上の方々の参加があった。数週間前からの呼び掛けにこたえられた方々とお墓を持っておられる方々で、年々参加者が増加していっている。
 貸切りバス1台と数台の車に分乗して教会を9時30分出発。霊園に到着後、今年もあきる野教会のご厚意により、聖堂をお借りして死者のためのミサを行った。当日は死者の月ということもありいくつかの教会からの墓参もあった。
 その後、多摩教会の共同墓地へいき、お祈りとお花をささげた後、個人でお墓を持っておられる方の希望で、神父様が各お墓を回って祈っていただいた。昼食後、帰路につき3時過ぎに解散の1日であった。

 多摩教会の墓地には250名ほどのスペースが用意されており、現在の所、予約を含めてもまだ半数以上が空いている状態である。多くの方に利用していただきたい。
 今後も死者の月の行事の1つとして、続けていかなければならない行事と思う。来年はさらに多くの方の参加を希望している。


あきる野教会でのミサ
あきる野教会でのミサ
多摩教会の共同墓地で
多摩教会の共同墓地で

(上記画像はクリックすると大きく表示されます)


初金家族の会 11月例会報告

初金家族の会 11月例会報告

広報: 志賀 晴児

 天の父のもとに迎えられ、全ての人のためにとりなして下さる聖人方に心を向ける「諸聖人の祭日」の11月1日、ごミサのお説教で晴佐久神父様は「日々の苦しみ、心の痛みが私たちの殉教です。聖人、特に各自の洗礼名(霊名)の聖人の模範に励まされて信仰の旅路を辿りましょう」と話されました。

 ひき続いての初金家族の会、この日は「介護」について、20人ほどが熱心に話し合いました。長く、苦しい傷病に見舞われた家族の自宅介護、入院、転院、最後の救命措置の厳しさなど、貴重な体験談が率直に語られ、公的なサービス、医療費などについても具体的な実例を伺うことが出来ました。
 一人で頑張らないで、お互い声をかけあい、役割を分担して助け合うこと、そのためには介護する側の考え方、意見の一致が大切、また介護される側も辛抱し、出来ることなら感謝の気持を表すことが必要、介護を通して家族が仲良しになったなどなど、お話は尽きませんでしたが、一応12時半で閉会とさせていただきました。

 12月6日(金)には、「九死に一生を得て」と題して松永 重雄さんの今日までの体験と、乗り越えた今のお気持ちをお聞きします。

もう大丈夫、私は生きていていいの…。(受洗者記念文集)

桜井 琴乃(仮名)

 洗礼式を終えて、最初に思ったことは、「ああ、ホッとした・・・。無事、洗礼の秘跡を授かることができて本当に良かった・・・」と。

 洗礼式を前に家族(ペット)が入退院を繰り返し、手術をし、看病し、仕事はハードで夜中に出かけ、夜中に帰ってくる状態で、心身ともに限界状態でした。そして疲労と心労がたたり、もともと重い持病がある上に病気にかかり(それでも、ペットの治療費を稼ぐために休暇を取ることができずに仕事に行っては倒れの繰り返しで)志願式もリハーサルも出席することができませんでした。ですから、神父様をはじめ、入門係の皆さまには、私が本当に洗礼式に来られるのかと、本当に多大なご心配とご迷惑をおかけました。

 さて、私が初めてこの多摩カトリック教会に訪れたのは、昨年の11月でした。それまでは、プロテスタントの教会に通ったり、別のカトリック教会で勉強を続けていました。その別の教会で多摩カトリック教会への誘いを受けて、今、私は神の子として生きることになりました。

 そもそも教会という所に興味を持ち始めたのは、高校を卒業し、上京した先に教会がいくつかあり、もともと仏教の幼稚園に通っていたり、友人が熱心な仏教信者で、説教やお寺によく出向いて話を聞いたり、お寺にいたりしたことで、教会という所がどんな所なのか興味を持ったのが始まりでした。ふらっと教会に立ち寄り通ってみると、とても新鮮で興味はどんどん増していきました。そしてキリスト教の教えが心にスーッと入ってきたのです。今まで感じたことがなかった癒しがそこにありました。そして私もいつかクリスチャンになれたら・・・という思いが強くなりました。
 しかし、そう思った理由が他にもあるのです。

 実は、自分が生きていることに全く自信のなかった私は、常に生きていることに罪悪感を持っていました。
 物心ついてから思春期まで褒められたことは一度もなく、母親に甘えたことも、ほとんど皆無でした。母親いわく、私がとても変わった子(周囲の人間も末恐ろしい、度し難いと言っていたそうです)だったという理由からずっと虐待(言葉と暴力)を受けてきました。常に「お前はゴミだ、害虫だ、ハイエナだ、霊付き子、殺してやる」と言われ続け、心と体の傷は今でも残っています。母はしょうがなかったと今でも言っています。私たち母子の関係は今でも良くはありません(昔ほどではありませんが・・・)。
 私は幼い頃に父を会社の事故で亡くし、18歳になるまで母と暮らしていましたが、その間ずっと「私は愛されていない。いつか本当に殺されてしまうのではないか。だから、早く家を出よう」と考えていました。そう、まだ幼い私が本来考えるはずもないことのはずです。

 晴佐久神父様は、ミサや入門講座でたびたび、「私たちはすでに赦されている、だから、もう大丈夫ですよ」とおっしゃっていました。私はその言葉にどれだけ救われたか。その言葉を聞いたとき、クリスチャンになれたらいいな、という思いから、「私、クリスチャンになる!」と決心がつきました。

 洗礼式を終えて、私は神の子となり、今、自分にこう言い聞かせています。「もう大丈夫、私は赦されている。だから生きいてもいいの・・・」と。
 ただ一つだけ悲しいのは、洗礼式を見に来てくれた母が、私がクリスチャンになったことに理解を示してくれないことです。洗礼を受けるにあたって、もちろん母に相談し、許しも得ました。しかし、本音は反対だったそうです。それを知ったのは、洗礼式を終えた後のことでした。私たち親子はこうもすれ違うのだと涙がこぼれました。
 現在、母は「もう、虐待はしない、手を上げない」と決めているそうです。けれども、肉体的な暴力こそ受けてはいませんが、母の口から出る言葉は刺々(とげとげ)しく私の心に突き刺さります。言葉の虐待を今も続けていることに、本人はまったく気付いていません。

 私はそんな母を見て、少し不安を覚えています。「人はやはり変われないのか」と。「もう大丈夫、私は赦されている、だから生きていていいの・・・」心から私がそう思える日が本当に来るのか、そして、神の子となった私が、母を変えられることができるのかと・・・。
 重い持病よりも、もっと重たい何かが私にのしかかります。

 「もう、大丈夫、もう大丈夫」、そう、まるで呪文のように唱えながら、今日も十字を切っています。
 そしていつか、私の心も体も「生きる強さを持つ」のだと。
 今日より明日、明日より明後日・・・神の赦しと救いを受けながら・・・神を信じ、生きていくのだと決めたのですから。だから「もう、私は大丈夫」。ねっ、神様っ!

洗礼の秘跡にあずかって(受洗者記念文集)

松原 清子(仮名)

 3月30日復活徹夜祭で、晴佐久神父様が私の額に勢いよくご聖水をかけてくださり、『あなたの息吹を受けて♪』 私は新しくなりました。

 幼稚園から大学まで、カトリックの学校に通いました。幼稚園でマリア様に出会い、お誕生日にさずかったおメダイを大切にしていました。子どもの頃は毎晩、神様とマリア様に今日一日あったことを報告し、皆が幸せであるようにお祈りをしていました。
 しかし、ある時期から、心がこわれるようなショックな出来事がいくつも重なり、いくら祈っても神様は私の声を聞いれてないのではないかと不信を抱き、祈ることができなくなり、神様から離れていました。今思い返すと、魂が神様につながっていない、暗闇のような時期でした。

 20代、ヨーロッパのカトリックの聖地や巡礼、黒マリアに興味を持ち、導かれるようにして、何度か旅をしました。サンチャゴ・デ・コンポステラへの道、ルルド、ファティマ、フランスのロマネスクの教会めぐり、アイルランドの修道院、大西洋の孤島スケリングなど。これらの旅を通し聖霊が働き、神様とのつながりが深いところで回復しました。その後、次第に自分の使命が明確になり、少しずつ自分の人生を取り戻していきました。
 そして、10年位前、東京カテドラル内のマリア像の前でひざまずくと、涙が止まらなくなりました。深い魂の底からの涙でした。その夜、東京の夜空に流れ星を見ました。マリア様にずっと見守られていたこと、それを受け取る時期が来たお印と理解し、マリア様のもとで心の告白をする時間を定期的に持つようになりました。
 2012年、旅行先のブルガリアのボヤナ教会で、ふいにキリストの愛に触れる体験がありました。無償の愛への鍵は、イエス・キリストにあると深いところでわかりました。
 同年6月、五島列島へ旅をし、多数の教会とルルドをめぐりました。井持浦教会のルルドで夜、マリア様へ祈っていると「さあ、次へ行きなさい」と押し出されたような不思議な感覚があり、シフトの時期を感じました。

 そして、10月28日、さまざまなめぐり合わせに導かれて多摩教会のミサにあずかりました。神父様を通して神様の言葉が直接私の魂に響き、その後も数日かけて愛と喜びが全身全霊に広がってきました。神様に愛されていることを初めて心と体と魂で感じました。この体験の意味を求めて、ミサと入門講座に通うようになりました。
 そして、12月24日聖誕のミサで、自分を空っぽにして、神様の大きな愛にすべてをゆだねることにしました。今までの数十年は、洗礼に向けての準備期間で、すべては神様のご計画だったと腑に落ちました。
 それから、洗礼までの3カ月、教会の皆さんとのつながりや世界に広がるコミュニティからの祈りを受け取り、カトリック=普遍という意味が少しわかってきました。

 洗礼名は、いつも寄り添い見守ってくださったマリア様と、心から敬愛するアッシジの聖フランシスコからあずかりました。
 折しも、新しい教皇様がフランシスコの名前をお選びになり、この偶然に歓喜し、神様の御心に添えますようにと、祈りました。

なぐさめられるよりなぐさめることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを
私が求めますように

 聖フランシスコの平和を求める祈りとともに、喜びと感謝のうちに、あたらしい一歩を歩きはじめます。

お勧めの一冊 :『祈りと記念の手帖』

祈りと記念の手帖

すべての記念日をこの1冊に
『 祈りと記念の手帖 』

わたしと神、
わたしと大切な人々との出会いを記し、
日々祈り、記念するための永年手帖 ( オリエンス宗教研究所 )

【 収録内容 】

・ 絵画(カラー)と解説 : 祈りに向かう心、空間をつくるために

・ 曜日のないダイアリー : 自由に記入できるスペースが豊富

・ 年ごとの記録 : 周年記念日の忘備録(備忘録)にも

・ 祈りと祈りのヒント(カルメル修道会監修): 祈りの手引き、豊富な祈りの文言、聖句など

オリエンス宗教研究所から、毎日の祈りの友となる一冊が発売されました。
1年だけではなく、ずっとお使いいただけるタイプの「永年手帖」です。
「手帖」というには少し大き目のハンドブックタイプで、書きやすいように工夫されています。
美しい絵画や写真、祈りの手引きや、「主の祈り」をはじめとする日々の祈り、聖人たちや、教皇さまたち、身近な司祭たちの祈り、聖句や詩などが、あちこちに散りばめられていますので、毎日を祈りの中で過ごす助けになるでしょう。
参加型の祈りの手帖です。ぜひご利用ください。

詳しくは、オリエンス宗教研究所の書籍案内でご覧ください。>>> こちら です。


晴佐久神父さまの祈りも掲載されています。
一年の終わりに 聖家族を思う祈り」という祈りです。(170ページに掲載)
過ぎ行く一年、新しく迎える一年に寄せて、毎年共に祈ることができます。
おススメです。



『祈りと記念の手帖』
編者 : オリエンス宗教研究所
祈り監修 : カルメル修道会
発行者 : オリエンス宗教研究所
価格 : 1,680円(税込)
判型 : A5版 / 200ページ
ISBN : 978-4-87232-085-5
初版発行 : 2013年11月15日


◆購入を希望の方は、オリエンス宗教研究所から、または、お近くのキリスト教書店などをご利用ください。